ブバスティス門

ブバスティス門は、古代エジプトのテーベ（現ルクソール）にあるカルナック神殿のアメン大神殿複合体内に位置する歴史的な建造物です。具体的には、ラムセス3世神殿と第2塔門の間に設けられたこの門は、紀元前10世紀初頭、第22王朝（いわゆるブバスティス朝）の創始者であるファラオ、シェションク1世（在位：紀元前943年 - 紀元前922年頃）によって建立されました。この門の最も重要な点は、シェションク1世が行った軍事的遠征、特にアジア方面（カナン地域）への征服事業を記念するレリーフや碑文が刻まれていることです。シェションク1世は、旧約聖書に登場するエジプト王シシャクと同一人物であると考えられているため、ここに記された記録は「シシャク碑文」または「シシャクレリーフ」とも呼ばれ、聖書考古学においても極めて重要な史料とされています。

歴史的背景

ブバスティス朝とも称されるエジプト第22王朝は、リビア系の王家によって開かれた王朝であり、シェションク1世はその初代ファラオとして国内の安定を図るとともに、失われたエジプトの国際的威信回復を目指しました。カルナック神殿は古来よりエジプト信仰の中心地であり、歴代ファラオがその権威を示すために増改築を行ってきました。ブバスティス門もまた、こうした伝統に則り、ファラオの偉大さと軍事力を誇示する目的で建造されたと考えられます。

カルナック神殿自体は中世末期にはヨーロッパに知られていましたが、ブバスティス門に刻まれたヒエログリフの真の歴史的重要性は、ヒエログリフが解読されるまで十分に理解されていませんでした。ロゼッタ・ストーンの解読者として名高いジャン＝フランソワ・シャンポリオンは、1828年にカルナックを訪れた際にこの門の碑文に注目し、その内容が聖書の記述と関連している可能性を示唆しました。彼の研究以降、この碑文の本格的な解読と研究が進められ、その歴史的価値が明らかになりました。

門の描写と内容

ブバスティス門のファサードには、第22王朝のファラオであるシェションク1世、タケロト（おそらくシェションク1世の子孫）、オソルコン（おそらくシェションク1世の子孫）が、エジプトの主要な神々や女神たちに供物を捧げる儀式的な場面が描かれています。これらのレリーフは、ファラオが神々の寵愛を受け、王権の正統性を持つことを示すものです。

また、門の壁面にはシェションク1世の軍事的勝利を象徴する著名なレリーフが見られます。ここでは、巨大な姿で描かれたファラオが、髪を掴んだ敵国の捕虜たちを一団として引き連れ、もう一方の手に持った戦棍で打ち据えようとする伝統的な図像が表現されています。このファラオの背後や下方には、彼の遠征によって征服された、あるいは貢納を約束したカナン地域にあった多数の都市名が、整然と数列にわたってヒエログリフでリスト化されています。元々は156もの都市名が記されていたと推測されていますが、時間の経過と共に一部は破損し、判読できなくなっています。この都市名リストは、当時のカナン地域の地理や政治状況を知る上で極めて貴重な情報源となっています。特に、リストの中に「アブラムの地」（"The Field of Abram"）と読める箇所が含まれていることは、聖書研究者や考古学者の間で大きな注目を集めています。ただし、碑文自体は遠征の詳細な経過や戦略について具体的に述べるものではなく、もっぱらエジプト王の軍事的成功とアジア地域におけるエジプトの権威確立を讃える内容に重点が置かれています。

碑文に記された155の都市名は、地理的にいくつかのセクションに分類されており、これがおそらく遠征の進路や作戦区分を反映していると考えられています。研究者による翻字と翻訳が進められており、例えばセクション2には海岸平野、シェフェラ、メギド平野、エズレル平野といった地域に関連する地名が含まれ、セクション3にはネゲブ地方の地名が多く見られます。これにより、シェションク1世の遠征がカナン全域に及んだ可能性が示唆されています。

聖書との関連

ブバスティス門の碑文が特に注目されるのは、それが旧約聖書に記された出来事と関連していると考えられているためです。旧約聖書『歴代誌下』第12章には、ユダ王国のレハブアム王（ソロモンの子）の治世第5年（シェションク1世の治世とほぼ同時期）、エジプト王シシャクが大規模な軍勢を率いてエルサレムに侵攻し、神殿や王宮の財宝を略奪したという記述があります。

聖書によれば、レハブアム王が国力を増して神の教えから離れたことが、この侵攻を招いたとされます。シシャクは1200台の戦車、6万人の騎兵、そして数えきれないほどのリビア人、スキ人、エチオピア人を含む大軍を率いてユダの要塞都市を次々と攻略し、エルサレムに迫りました。預言者シマヤはユダの指導者たちに対し、彼らが神を捨てたゆえに神も彼らをシシャクに引き渡した、と告げました。これを聞いた王と族長たちは謙遜に自らの罪を認め、「主は正しい」と述べました。彼らの悔い改めを見た神は、完全な滅亡は避けるとしつつも、シシャクの支配下に入らせることで、神に仕えることと異国の王に仕えることの違いを悟らせると預言されました。

結果として、エジプト王シシャクはエルサレムに侵入し、神殿や王宮から大量の財宝、特にソロモン王が作らせた貴重な金の盾を略奪しました。レハブアムは失われた金の盾の代わりに青銅の盾を作り、護衛兵に持たせたといいます。ユダの人々が謙遜になったため、神の怒りは完全に注がれることはなく、国は滅亡を免れ、状況は改善に向かったと聖書は記しています。

ブバスティス門の碑文に記されたシェションク1世の遠征リストには、当時のユダ王国やイスラエル王国の都市名（例：ゲゼル、タアナク、シュネム、レホブなど）が含まれていることが確認されていますが、聖書が伝える中心地であるエルサレムの名前は明示的に記されていない点が、長年の議論の的となっています。一部の研究者は、シシャクが実際にエルサレムを攻略し財宝を奪ったという聖書の記述の史実性について、門の碑文に証拠が見られないことから疑問を呈しています。一方で、エルサレムは特別な扱いを受けた可能性や、リストが必ずしも全ての攻略地を網羅しているわけではない可能性も指摘されており、古代エジプトとイスラエルの関係史における重要な課題の一つとなっています。

このように、ブバスティス門の碑文は、古代エジプトの軍事史、地理学、そして旧約聖書の歴史的背景を研究する上で、極めて貴重な一次史料として、今日でも多くの研究対象となっています。

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