ベンガル太守

ベンガル太守とは

ベンガル太守（ナワーブ）は、ムガル帝国の東インド、ベンガル地方（現在のバングラデシュとインドの西ベンガル州）を統治した地方長官です。1576年にムガル帝国がベンガル・スルターン朝を滅ぼした際に設置され、当初はムガル皇帝の任命による地方行政官としてダッカを拠点に統治を行っていました。管轄はベンガルに加え、ビハール、オリッサの各州にも及び、これらの地域をまとめて「ベンガル、ビハール、オリッサの太守」または「ベンガル総督」とも呼ばれました。場合によっては、ビハールとオリッサにそれぞれ別の太守が置かれることもありました。

18世紀に入りムガル帝国が衰退すると、ベンガル太守は独立政権としての性格を強めていきます。1880年にはベンガル太守の称号は廃止され、1882年からはムルシダーバード太守という新たな称号に引き継がれました。

ムルシド・クリー・ハーンの活躍と独立

18世紀初頭、ムガル帝国の弱体化に伴い、ベンガル太守は実質的な独立政権としての道を歩み始めます。その先駆けとなったのが、ムルシド・クリー・ハーンでした。彼は元々イラン貴族の奴隷でしたが、その才能を見出され、アウラングゼーブ帝の時代にベンガル地方の歳入改善に尽力しました。1690年代にベンガルで発生した反乱鎮圧後、アウラングゼーブ帝の孫であるアズィーム・ウッシャーンがベンガル太守に任命されますが、ムルシド・クリー・ハーンはその補佐役を務めました。その後、アズィーム・ウッシャーンが不正蓄財に手を染めると、ムルシド・クリー・ハーンはベンガルの行政改革を断行します。彼は余剰金を他地域に回さないようにしたり、旧来のザミーンダールを自作農に変えたり、徴税義務を果たさないザミーンダールを厳しく罰するなど、公正な政治を推し進めました。その結果、ムルシド・クリー・ハーンの政治手腕が高く評価され、彼はベンガルの実権を握るようになりました。1704年にはベンガルの行政府をダッカからムルシダーバードに移しています。

1712年にアウラングゼーブ帝の死後、後継者争いが起こり、アズィーム・ウッシャーンは戦死しました。1713年に即位した皇帝ファッルフシヤルは、1717年にムルシド・クリー・ハーンを正式にベンガル太守に任命します。しかし、同年、ファッルフシヤルはイギリス東インド会社に対し、ベンガルでの関税免除特権を与え、これが後にベンガル太守との間で大きな問題となります。イギリス東インド会社は、関税なしで自由に物産を輸出入できる権利を得ましたが、この特権は太守の税収を減少させ、また会社員が私貿易の税を免除するのに利用されるなど、太守との摩擦につながりました。

1724年にはムガル帝国宰相アーサフ・ジャーがデカンで、アワド太守サアーダト・アリー・ハーンがアワドで独立するなど、ムガル帝国の解体が進みました。ムルシド・クリー・ハーンは、1727年に死去し、孫のサルファラーズ・ハーンが後を継ぎましたが、すぐに娘婿のシュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーンに太守の座を譲りました。同年、シュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーンはムガル帝国への税納入を拒否し、ベンガルは事実上独立して世襲王朝となりました。

アリーヴァルディー・ハーンの治世とマラーターの侵攻

1739年にシュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーンが亡くなると、息子のサルファラーズ・ハーンが太守を継ぎますが、父の副官だったアリーヴァルディー・ハーンが太守の座を狙い、1740年に反旗を翻します。両軍はギリヤーの戦いで激突し、サルファラーズ・ハーンは敗死しました。その後、アリーヴァルディー・ハーンがムガル皇帝からベンガル太守に任命されました。

1741年、アリーヴァルディー・ハーンはオリッサを征服しますが、敗れたオリッサ太守がマラーター同盟に支援を求めたことから、マラーターがベンガルに侵攻を開始します。マラーターはベンガルを何度も略奪し、その被害は甚大でした。1751年、アリーヴァルディー・ハーンはマラーターとの講和条約を結びますが、オリッサの領土割譲とチャウタ（諸税の四分の一を徴収する権利）を支払うことを余儀なくされました。

17世紀後半から、イギリスとフランスはインド各地に拠点を築いており、ベンガルでも対立していました。アリーヴァルディー・ハーンは、ベンガルの経済がヨーロッパ諸国の貿易活動に支えられていることを理解しており、貿易を認めつつも、要塞の建設は認めませんでした。また、ムガル帝国には、もはやヨーロッパ諸国を強制する力がないことも認識していました。

シラージュ・ウッダウラの反英闘争とプラッシーの戦い

1756年にアリー・ヴァルディー・ハーンが亡くなると、孫のシラージュ・ウッダウラが太守を継承します。しかし、後継者争いが勃発し、シラージュ・ウッダウラは、イギリスがカルカッタのウィリアム要塞を強化していることや、イギリス東インド会社の私貿易がベンガル経済に悪影響を与えていることに不満を募らせます。彼はイギリスに対し、これらの活動の中止を求めますが、イギリスはこれを拒否し、むしろクリシュナ・ダースという人物の引き渡しを拒否しました。

シラージュ・ウッダウラはイギリス人をベンガルから追放することを決意し、1756年6月にカルカッタを攻撃し、ウィリアム要塞を占領しました。この際、イギリス兵捕虜が「ブラック・ホール」と呼ばれる牢獄で多数窒息死する事件が起こりました。その後、シラージュ・ウッダウラはカルカッタをアリーナガルと改名し、イギリスの工場を破壊しました。しかし、イギリスはロバート・クライヴを派遣し、1757年1月にカルカッタを奪還します。

イギリスとシラージュ・ウッダウラは一時的に和平交渉を行いますが、決裂し、クライヴは夜襲をかけ、ベンガル軍を混乱させます。シラージュ・ウッダウラは休戦協定を結びますが、イギリスはフランスの拠点シャンデルナゴルを攻撃し、占領しました。シラージュ・ウッダウラは、シャンデルナゴルから逃亡してきたフランス人を保護したことで、イギリスとの関係は再び悪化します。

1757年6月4日、イギリスはミール・ジャアファルと条約を結び、シラージュ・ウッダウラ打倒後の太守の座を約束しました。同年6月23日、プラッシーの戦いでシラージュ・ウッダウラ軍は、イギリス軍とミール・ジャアファルの裏切りによって大敗します。シラージュ・ウッダウラは逃亡しますが、捕えられて処刑され、ミール・ジャアファルが新たなベンガル太守に就任しました。

ミール・ジャアファルの憂いとミール・カーシムの反英闘争

プラッシーの戦い後、ミール・ジャアファルは太守となりましたが、イギリス東インド会社に巨額の賠償金を支払うことになり、ベンガルの財政は破綻しました。彼はザミーンダールから容赦なく取り立てを行い、反抗を受けるようになります。そのうえ、イギリスによるベンガル、ビハール、オリッサでの自由貿易権を認めさせられ、私貿易での関税も無税にされたため、ベンガルの経済はさらに悪化します。

1760年、ミール・ジャアファルはイギリスによって退位させられ、代わりに娘婿のミール・カーシムが太守となりました。ミール・カーシムは、有能な人物でしたが、イギリスとの秘密協定によって、チッタゴン、ミドナープル、バルダマーンの収租権をイギリスに譲渡することなどを約束していました。

ミール・カーシムはベンガル軍の改革を行い、首都をムンガーに移し、イギリスからの独立を目指しました。しかし、イギリス東インド会社の社員による私貿易の問題で、イギリスとの関係が悪化します。ミール・カーシムはすべての商品関税を無税にしましたが、イギリスはこれに反対します。1763年、イギリスはミール・カーシムを廃位し、ミール・ジャアファルを再び太守にしました。

ミール・カーシムはイギリスへの怒りを爆発させ、イギリスとの戦争を決意しますが、敗北しアワドに逃れます。

ディーワーニーの授与とベンガル太守の年金生活者化

1764年、ミール・カーシムはアワド太守とムガル皇帝と連合軍を結成して、イギリスとブクサールの戦いを起こしますが、またも敗北します。1765年、ミール・ジャアファルが死亡し、息子のナジュムッディーン・アリー・ハーンが太守となりますが、イギリスはベンガル、ビハール、オリッサ3州の行政権を掌握します。さらに、同年8月、イギリスはムガル皇帝から3州のディーワーニー（州財務長官の職務・権限）を獲得します。これにより、イギリスは3州の税徴収権を手に入れ、ベンガル太守は名目的な存在となりました。

1772年、ベンガル知事ウォーレン・ヘースティングスはディーワーニーを受諾し、直接徴税業務を行うようになります。これにより、ベンガル太守の領有権は事実上失われ、ベンガルの植民地化が決定しました。ベンガル太守は年金生活者となり、その内廷費は160万ルピーに固定されました。

1793年、ベンガル太守が保持していた名目上の統治権（ニザーマト）がイギリスに接収され、ベンガル太守は完全にイギリスの年金生活者となりました。

ベンガル太守の廃止・ムルシダーバード太守の創設

1858年のインド大反乱でムガル帝国が滅亡した後も、ベンガル太守は名目的な存在として存続しました。1880年、太守マンスール・アリー・ハーンが退位する際、ベンガル太守の名称を放棄せざるを得ませんでした。これは彼が浪費でイギリスに多額の借金を抱えていたため、その清算のためでもありました。

1882年、マンスール・アリー・ハーンの息子ハサン・アリー・ミールザー・ハーンは、ベンガル太守に代わる称号として、ムルシダーバード太守の称号を採用しました。1947年のインド・パキスタン分離独立の際、ムルシダーバードは東パキスタンに割り当てられますが、後にインドに併合されました。

こうして、ベンガルのナワーブ王朝は歴史に幕を閉じました。

歴代太守

ムルシド・クリー・ハーン（1717年 - 1727年）
シュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーン（1727年 - 1739年）
サルファラーズ・ハーン（1739年 - 1740年）
アリーヴァルディー・ハーン（1740年 - 1756年）
シラージュ・ウッダウラ（1756年 - 1757年）
ミール・ジャアファル（1757年 - 1760年、1763年 - 1765年）
ミール・カーシム（1760年 - 1763年）
ナジュムッディーン・アリー・ハーン（1765年 - 1766年）
ナジャーバト・アリー・ハーン（1766年 - 1770年）
アシュラーフ・アリー・ハーン（1770年）
ムバーラク・アリー・ハーン（1770年 - 1793年）
バーバル・アリー・ハーン（1793年 - 1810年）
ザイヌッディーン・アリー・ハーン（1810年 - 1821年）
アフマド・アリー・ハーン（1821年 - 1824年）
ムバーラク・アリー・ハーン2世（1824年 - 1838年）
マンスール・アリー・ハーン（1838年 - 1880年）
ハサン・アリー・ミールザー・ハーン（1882年 - 1906年）
ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン（1906年 - 1947年）

参考文献

小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年。
ビパン・チャンドラ 著、栗原利江 訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年。
堀口松城『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』明石書店、2009年。
バーバラ・D・メトカーフ、トーマス・D・メトカーフ 著、河野肇 訳『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』創士社、2009年。
フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡（1206年 - 1925年）』創元社、2009年。

関連項目

ムガル帝国
* ネイボッブ

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