ポリュドロスの森

ティツィアーノの初期作品「ポリュドロスの森」

『ポリュドロスの森』は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが、1505年から1510年頃に制作した油彩画です。この作品は、オウィディウスの『変身物語』に登場する悲劇的な物語を主題としていますが、その解釈には複数の説が存在します。元々は婚礼用の家具であるカッソーネの板絵として制作され、『アドニスの誕生』と対をなす作品とされています。現在は、イタリアのパドヴァ市立博物館に所蔵されています。

主題を巡る二つの解釈

この絵画の主題は、長らくオウィディウスの『変身物語』に登場するポリュドロスの殺害を描いたものとされてきました。ポリュドロスは、トロイア王プリアモスの末息子で、トロイア戦争中に莫大な財産とともにトラキアの王ポリュメストルのもとに預けられました。しかし、トロイアの敗北が濃厚になると、ポリュメストルは財産を奪うためにポリュドロスを殺害しました。その遺体は海岸に打ち上げられ、母ヘカベによって発見されます。

しかし、近年では、この絵画の主題をエリュシクトンの物語とする説が有力視されています。エリュシクトンは、テッサリア地方の王で、女神デメテルの神聖な樫の木を切り倒したため、デメテルの怒りを買い、「飢餓」の呪いを受けます。彼は、飢えを満たすために財産を使い果たし、娘メストラを何度も売り飛ばします。メストラは、ポセイドンの力を借りて動物に変身して逃げ帰り、父を助けますが、エリュシクトンの飢えはさらに悪化し、ついには自分の体を食べ尽くしてしまいます。

作品の詳細な描写

絵画は、画面を大きく二つの場面に分けて描かれています。画面左側には、木の根元に座り込む女性像と全裸の女性の立像が描かれています。一方、画面右側には、斧を持った男性と、首を切断されて横たわる男性像が描かれています。また、近くの樹木には斧が打ち付けられたような跡が見られます。さらに、画面中央の背景には燃える都市の風景が描かれています。

ポリュドロス説によると、右側で殺害されているのがポリュドロスで、背景の燃える都市はトロイアであると考えられます。左側の女性像は、母ヘカベとその召使を表していると解釈されます。一方、エリュシクトン説では、右側の斧を持つ男性がエリュシクトンで、殺害された男性は彼を止めようとした人物と解釈されます。また、左側の女性像のうち、座っているのが娘メストラ、全裸の女性が「飢餓」の擬人像を表すとされています。

作品の来歴と評価

この板絵は、もともとカッソーネの装飾として制作されたと考えられていますが、スパッリエーラやフリーズに使用された可能性も指摘されています。当初は、ジョルジョーネの作品とされていましたが、20世紀初頭にはほとんど否定され、ジョヴァンニ・カリアーニの作品とされることもありました。しかし、1942年にアントニオ・モラッシが、ティツィアーノの非常に初期の作品であると主張し、ロベルト・ロンギやロドルフォ・パッルッキーニといったイタリアの美術史家に支持されました。しかし、アメリカとイギリスの美術史家の多くは、この説を否定しており、現在でもティツィアーノの真作であるかどうかについては議論が続いています。2001年にポール・ジョアニデスはティツィアーノの帰属を支持し、おそらく1509年の制作であるとしています。

『ポリュドロスの森』と対をなす『アドニスの誕生』は、カルロ・リドルフィがジョルジョーネの作品として言及した、ヴェネツィアのヴィドマン宮殿にあった家具の板絵と同一視されています。1864年にエモ・カポディリスタ伯爵のコレクションとともにパドヴァ市立博物館に遺贈されました。

まとめ

「ポリュドロスの森」は、ティツィアーノの初期の作品であり、複数の解釈が可能な複雑な絵画です。その主題や帰属を巡る議論は、美術史研究において重要なテーマとなっています。この作品は、古典文学と美術が融合したルネサンス美術の魅力を伝える貴重な作品と言えるでしょう。

参考資料

オウィディウス『変身物語（上下）』中村善也訳、岩波文庫（1981年、1984年）
高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店（1960年）
* パドヴァ市立博物館公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エリュシクトンの死』

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