ルクレティアと夫

ティツィアーノの『ルクレティアと夫』：悲劇と官能の交錯

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ（Tiziano Vecellio）が1515年頃に制作した『ルクレティアと夫』（または『タルクィニウスとルクレティア』）は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する作品の一つです。この油彩画は、古代ローマの伝説的な女性ルクレティアの悲劇的な物語を描いています。現在、ウィーンの美術史美術館に所蔵されており、ロイヤル・コレクションにも初期の複製が収蔵されています。

主題：ルクレティアの悲劇

ルクレティアの物語は、オウィディウスの『祭暦』やリウィウスの『ローマ建国史』に語られています。ルクレティアは、傲慢なローマ王タルクィニウス・スペルブスの時代に、ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌスの貞淑な妻として知られていました。しかし、夫の不在中に王の息子セクストゥス・タルクィニウスに脅迫され、関係を強要されてしまいます。屈辱を受けたルクレティアは、父と夫を呼び出し、全てを語った後、自らの名誉を守るために短剣で胸を刺し自殺するという悲劇的な最期を遂げます。この事件がきっかけとなり、タルクィニウス王は追放され、ローマは王政から共和政へと移行したとされています。

作品の特徴：ドラマチックな瞬間と謎めいた人物

ティツィアーノは、セクストゥス・タルクィニウスによる強姦を家族に打ち明けた直後、自殺を図るルクレティアを描いています。画面の中央で、ルクレティアは右手に短剣を持ち、胸を刺そうとしています。その瞬間、彼女は顔を上げ、神聖な光を見上げているかのように描かれています。彼女の白いシュミーズと緑のローブは肩から滑り落ち、胸元をあらわにしています。ルクレティアの背後には、暗闇の中に男性の姿がかすかに見えます。この人物が誰なのかは、作品の解釈をめぐって議論の的となっています。美術史美術館は、この人物をルクレティアの夫ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌスとしていますが、ロイヤル・コレクションは彼女を強姦したセクストゥス・タルクィニウスであるとしています。古代ローマの文献では、ルクレティアの夫は妻の死に立ち会ったとされていますが、セクストゥス・タルクィニウスはその場にいなかったとされています。この背後の人物の描写は、ティツィアーノの作品に独特の謎めいた要素を加えています。

ルクレティアの物語は、ルネサンス期以降、絵画芸術において非常に一般的な主題となりました。しかし、ティツィアーノのように背後に人物を加えた作品は非常に珍しいです。この絵画には、滑り落ちたローブやほとんど露出した胸など、官能的な要素も含まれています。当初、ルクレティアの胸は完全に露出していましたが、後世になって白のシュミーズが加筆され、胸を覆うように修正されました。この絵画の本来の姿は、チャールズ1世の時代にピーター・オリバーが制作したミニアチュールの複製から確認することができます。ローブの鮮やかな緑色は、ヴェネツィアで入手可能だった高品質の顔料を使用したことを示しています。

この作品は、1510年代のヴェネツィア派の絵画によく見られる、互いに頭部を近づけた2人または3人の半身像を描いた構成を持っています。これらの絵画は、その表情や相互作用がしばしば謎めいており、主題不明の「ジョルジョネスク」様式またはトローニーを主題とするものが多いです。

ティツィアーノへの帰属は、17世紀に絵画がチャールズ1世と大公レオポルト・ヴィルヘルムのコレクションにあった頃に遡ります。その後、1860年に画家・美術修復家のエラスムス・フォン・エンゲルスによってパルマ・イル・ヴェッキオに最初に帰属されましたが、ロベルト・ロンギが1927年にティツィアーノの作品として再帰属しました。

来歴：王侯貴族のコレクションを経て

美術史美術館またはロイヤル・コレクションのバージョンは、伝記作家カルロ・リドルフィが1648年にチャールズ1世のギャラリーにあったと記述した絵画である可能性が高いです。チャールズ1世が所有したイタリア絵画は、主にマントヴァで購入したゴンザーガ家のコレクションに由来しています。美術史美術館のバージョンは、その後オーストリアの大公レオポルト・ヴィルヘルムのコレクションに入り、ハプスブルク家のコレクションに加わったと考えられています。

複製：初期の模写とミニアチュール

ロイヤル・コレクションには、本作品に非常に近い時期に制作された複製が所蔵されています。ただし、ティツィアーノ本人の作品ではなく、彼に近い画家の手によるものと考えられています。また、ピーター・オリバーによる複製はヴィクトリア&アルバート博物館に所蔵されています。

まとめ

ティツィアーノの『ルクレティアと夫』は、ルクレティアの悲劇的な最期を描いただけでなく、背後の人物の描写によって謎めいた魅力を加えた傑作です。官能的な美しさと歴史的背景が融合したこの作品は、ルネサンス期のヴェネツィア派絵画の重要な例として、今日まで多くの人々を魅了し続けています。

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