世子六十以後申楽談儀

『申楽談儀』の概要と意義

『申楽談儀』、またの名を「世子六十以後申楽談儀」と呼ばれるこの作品は、室町時代に成立した能楽の伝書の一つです。この書は、世阿弥の次男である観世七郎元能が、父である世阿弥の芸談を筆録し、整理して贈ったものであり、芸道論としても重要な役割を果たしています。世阿弥が父の地位を長男の元雅に譲り出家した後の60歳以降の考え方や芸論が記されており、彼の芸術思想を知る上で欠かせない重要な資料です。

成立時期は永享2年（1430年）で、世阿弥の芸の実体験に基づく貴重な直話が多く含まれています。その内容は他の伝書とは異なり世阿弥自身の筆によるものでは無いものの、彼の言葉を直接に聞いた者によってまとめられたものであるため、今でも多くの研究者によって議論が交わされています。実際、彼の芸論は現在においてもさまざまな解釈や議論がなされており、その内容は容易には理解しきれない部分も多いのですが、世阿弥の考えを理解するために欠かせない資料となっています。

成立の背景

世阿弥は、父である観阿弥から観世座を受け継ぎ、当時のライバルたちの芸を取り入れつつ、和歌や古典から得た教養を生かして「猿楽」を洗練させました。その結果、応永6年（1399年）には足利義満の後援を受けて盛大な勧進猿楽の公演を成功させ、名実ともに能楽界の頂点に立つまでなりました。さらに彼は、『風姿花伝』という史上初の能楽論書を執筆するなど、能楽の発展に大きく寄与しました。

世阿弥が60歳を迎え、出家後も彼は猿楽界の第一人者としての地位を保ちました。しかし、彼の後継者である元雅、甥の元重、女婿の金春禅竹などに期待を寄せる一方で、時代の変遷に伴い彼自身とその子息は圧迫を受けることになりました。特に、応永35年（1428年）に足利義持が死去し義教が将軍に就くと、音阿弥というライバルが次第に力を増し、世阿弥と元雅父子は圧迫されることになります。永享元年（1429年）には、父子の演能が強引に中止され、さらに翌年には醍醐寺の楽頭職さえ奪われてしまいます。

そうした厳しい状況下にあって、元能は悲観に暮れ、最终的には出家を決意しました。その最後の証として残されたのが『申楽談儀』です。この書は元能が父に対する敬意を表し、父の芸道との別れを意味する贈り物となったのです。

内容

書の冒頭では、猿楽が「申楽」、つまり神楽であると説明され、その実演には「舞」と「歌」が必要であると主張されています。この部分から始まり、全31条にわたり、能の演技や作成に関する注意点が詳細に論じられています。

演技に関する具体例や音楽に関する知識も豊富に盛り込まれています。特に作能については、世阿弥が重視していたテーマの一つであり、元能は父から伝授された「三道」の教えをもとに作品をまとめています。ここでは構成や表現方法、言葉の余韻を尊重することなど、実践的なアドバイスが多数含まれており、世阿弥の考えが形を成したものと言えるでしょう。

さらに、当時の猿楽における重要な要素や個々の芸人に関するエピソード、また能面や道具についての注意点なども詳述されています。これにより、当時の猿楽の全容を知る手助けとなり、多様な芸風が展開された背景を理解することができます。

写本と伝承

本書は、世阿弥が伝えた道理を後世に伝承する役割を果たし、その後400年以上も広く知られることはありませんでした。明治41年（1907年）にようやく翻刻され、多くの人々にその存在が知られるようになりました。伝承される過程で多くの写本が存在し、様々な家系に譲渡されたことによって、後の日本の能楽に深い影響を与え続けています。

このように、『申楽談儀』は単なる芸論の書ではなく、世阿弥の思想と芸の実践が結実した貴重な資料であり、今なお能楽の研究にとってや重要なテーマとして位置づけられています。

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