千鳥の曲

千鳥の曲：近世邦楽を代表する名曲

吉沢検校（二世、1800-1872）作曲の「千鳥の曲」は、箏と胡弓のための楽曲であり、近世邦楽の代表曲として広く知られています。現代においても、『六段の調』、『春の海』と並んで高い人気を誇り、明治以降の箏曲に多大な影響を与えました。胡弓本曲としても重要な位置を占める作品です。

吉沢検校と作曲の背景

幕末の名古屋と京都で活躍した盲人音楽家、吉沢検校は、箏と胡弓の両方に精通していました。当時の邦楽界では三味線が中心的な役割を担っていましたが、箏曲は地歌三味線に付随する形で発展していました。しかし、天保の頃には地歌の技巧も行き詰まり、新たな表現方法の模索が始まっていました。

この状況の中、吉沢検校は箏に新たな可能性を見出し、「千鳥の曲」の作曲に着手しました。彼は、箏曲の源流である雅楽にも関心を持ち、雅楽家の羽塚秋楽に師事して雅楽の理論や楽箏の調弦法を学びました。

吉沢検校は、雅楽の律音階と近世邦楽の都節音階の両方を融合させた独自の調弦法「古今調子」を考案し、「千鳥の曲」に導入しました。これは、箏曲に雅楽の要素を取り入れた画期的な試みでした。また、歌詞には『古今和歌集』、『金葉和歌集』から千鳥を詠んだ和歌が用いられています。これは、当時台頭していた国学や復古主義の思潮の影響を受けていると考えられます。

曲の構成と特徴

「千鳥の曲」は、地歌「手事もの」の形式である「前弾き（前奏）」「前唄」「手事」「後唄」の構成をとっています。

前弾き: 雅楽風の箏と笙風の胡弓の演奏による前奏部。
前唄: 『古今和歌集』の和歌「塩の山　差出の磯にすむ千鳥　君が御代をば　八千代とぞ鳴く」を歌詞とした歌。
手事: 楽器だけの長い間奏部。前半はゆったりとした旋律から次第にテンポが速くなり、波や松風の音などを表現。後半は千鳥の鳴き声を暗示する旋律から、激しい掛け合いを経て、最後は静かに終わる。
後唄: 『金葉和歌集』の和歌「淡路島　通ふ千鳥の鳴く声に　幾夜寝覚めぬ　須磨の関守」を歌詞とした歌。朗詠を模した独特の旋律が用いられている。

「千鳥の曲」の特徴は、雅楽的な要素と、自然描写を巧みに織り交ぜた、古雅でシンプルな表現にあります。また、箏と胡弓のみの合奏という点も、当時の箏曲としては珍しい試みでした。

後世への影響

「千鳥の曲」は、明治以降、箏曲各流派に広く普及し、現代でも演奏されています。その影響は、明治新曲と呼ばれる箏曲にも見られ、三味線が入らない箏本位の楽器編成、混合音階に基づいた調弦法、前弾き-前唄-手事-後唄の楽式構造など、「千鳥の曲」と共通する特徴を持つ作品が多く存在します。

さらに、宮城道雄の作品にも「千鳥の曲」の影響が認められます。「春の海」における自然描写は、「千鳥の曲」の手事における自然描写に通じるものがあります。

その他

「千鳥の曲」は、箏曲だけでなく、尺八の合奏曲としても演奏されることが多くなりました。また、舞踊曲としても用いられており、上方舞の楳茂都流にはこの曲の舞が伝わっています。

「千鳥の曲」は、近世邦楽の伝統を受け継ぎながら、新たな表現方法を模索した吉沢検校の才能が結実した傑作であり、現代においてもその魅力は色褪せていません。その革新的な試みは、後世の箏曲家たちに多大な影響を与え続け、日本の音楽史に大きな足跡を残しました。

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