大野権兵衛の塚

富山県南砺市利賀村の静かな山あいに位置する史跡、「大野権兵衛の塚」。この塚は、遠い昔、平家が源氏に敗れた後にこの地に逃れてきたとされる落人、大野権兵衛の墓であると伝えられています。

大野権兵衛という人物は、富山県西部の五箇山地方に伝わる民謡「麦屋節」や「五箇山追分節」の中でも「色こそ黒けど名代の男じゃ」と唄われるなど、地域においてはよく知られた存在です。しかし、その実像については必ずしも明確ではなく、多くの伝承や説が存在します。

この塚が位置するのは、利賀村上百瀬の中村集落から西へ向かった山麓にある小高い丘の上です。百瀬川の左岸に面したこの丘は、南北に細長く伸びており、その頂上部分には平坦な空間があります。この平坦面の一角には、いくつか積み重ねられた石塔が確認でき、これが大野権兵衛の墓とされている場所です。

古くから、この塚には不思議な力が宿ると信じられてきました。地元には、「みだりに塚を掘り返したり、荒らしたりすると祟りがある」という伝承があり、地元の人々によって大切に守られてきました。また、現在中村集落には大野姓を名乗る家が複数あり、これらの家系は大野権兵衛の末裔であるとも語り継がれています。石塔についても、元々は丘の南端に置かれていたものが現在の場所に移されたという言い伝えがあります。

大野権兵衛の塚は、その歴史的な価値から南砺市指定の史跡となっています。特に、塚に残る石塔類は、五箇山地域における中世（概ね14世紀後半から15世紀にかけて）の様子を知る上で貴重な考古資料と位置付けられています。塚は昭和45年（1970年）に当時の利賀村の文化財に指定され、その重要性が公的に認められました。

五箇山地域には平家の落人伝説が古くから根付いていますが、考古学的な調査では、伝説の時代である平安時代末期から鎌倉時代にかけての直接的な遺物は少なく、むしろ南北朝時代以降の遺物が多数発見されています。大野権兵衛塚の石塔も、宝篋印塔の一部が14世紀末頃、五輪塔が15世紀後半頃に造られたものと推定されており、伝承上の大野権兵衛が生きたとされる時代とは約200〜300年の隔たりがあります。これらの石塔は地元産の凝灰岩で作られており、この地で加工されたと考えられます。同じ時期には、五箇山周辺でも同様の石塔が造られており、これはこの頃、真言宗や天台宗といった密教が地域に広まっていたことを示唆しています。塚の頂上には、宝篋印塔の基礎が南北に二つ並び、その上に塔身や五輪塔の各部材などが配置されています。

伝承と考古資料の年代にずれがあることから、郷土史家の中には、大野権兵衛という人物や塚の由来について様々な角度から考察を深める人々がいます。例えば、五箇山出身の郷土史家である高桑敬親氏は、大野権兵衛やこの塚の来歴について複数の仮説を提唱しています。

高桑氏が提示する一つの説は、昭和13年（1938年）に塚から盗難され、後に押収された鎧に刻まれていた銘文「卅一年」（応永31年、1424年）と石黒家の九曜星紋に着目したものです。彼は、これが南北朝時代に南朝方に仕え、この地方に滞在したとされる武将、石黒重行の鎧の一部である可能性を指摘し、石黒重行が父である宗良親王を弔うためにこの塚を築いたのではないかと推測しています。

また別の説として、高桑氏は城端町に残る古文書から示唆を得ています。この古文書は、「筑州様」（前田利常）が城端善徳寺に対し、東西本願寺のいずれを支持するかを尋ねた内容を含んでいます。東本願寺の教如上人は、織田信長への徹底抗戦を主張し、天正10年（1582年）には一時的に五箇山を訪れた記録があります。この教如上人を、善徳寺門徒であった大野権兵衛が百瀬川沿いに案内したことが、彼の名がこの地域に残った理由ではないか、という可能性を提唱しています。

さらに高桑氏は、越前国（現在の福井県東部）を治めていた斯波家が、応仁の乱に伴う家中内紛や朝倉氏との争いにより越前を追われ、大野郡の山間部に入った歴史的経緯にも言及しています。大野郡は白山山麓の一部で、加賀国や越中国（五箇山を含む地域）との繋がりが深く、斯波家の分派が加賀一向一揆に協力を求めた記録もあります。この越前大野郡との関連が、五箇山地域に大野姓が根付くきっかけとなった可能性も示唆しています。

このように、大野権兵衛の塚は、平家落人というロマンチックな伝承と結びつきながらも、考古学的な年代や郷土史家の研究によって、その歴史的な背景には複雑な要素が intertwined していることがわかります。塚に残る石塔や、地域に伝わる多様な史料や伝承を紐解くことで、この塚が持つ多層的な歴史的意味合いが見えてきます。大野権兵衛の塚は、民謡に歌い継がれる人物の伝説、中世の貴重な考古資料、そして地域の歴史を探究する対象として、今もなお利賀村に息づいています。

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