安元の大火

安元の大火（あんげんのたいか）は、平安時代後期の安元3年（1177年）4月28日（ユリウス暦では5月27日）に、当時の都である平安京で発生した未曽有の大火災です。特にその規模から「太郎焼亡（たろうしょうぼう）」とも称され、都の歴史に深い爪痕を残しました。

火災は安元3年4月28日の亥の刻、およそ午後10時頃に、樋口富小路のあたりで発生したと伝えられています。出火後、火は南東から吹く猛烈な風にあおられ、瞬く間に北西方向へと燃え広がりました。その勢いは凄まじく、幅約84メートルもあったとされる都の大路、朱雀大路をも飛び越えて右京側にまで及び、藤原俊盛の邸宅なども焼失しました。さらに火は都の中心である大内裏にも迫り、その炎は皇居であった閑院（二条南、西洞院西）にまで及んだため、当時そこに滞在していた高倉天皇と中宮の平徳子は、安全を確保するため正親町東洞院にあった藤原邦綱の邸宅へと緊急避難を余儀なくされました。

この大火は一晩で鎮まることなく、翌日の辰の刻、午前8時頃になっても燃え続け、都を焼き尽くしました。『玉葉』の記述によると、火災が完全に鎮火するまでにはかなりの時間を要したことがわかります。最終的に焼失した範囲は極めて広大で、東は富小路、南は六条、西は朱雀大路のさらに西の右京側、北は大内裏まで達しました。この結果、平安京全体のおよそ三分の一が灰燼に帰したと記録されています。

この火災による被害は甚大で、都の象徴である大内裏も大きな損傷を受けました。特に、国家的な儀式が行われる重要な施設である大極殿が焼失したのは、貞観18年（876年）、天喜6年（1058年）に続き三度目のことでした。しかし、この時代にはすでに朝堂院が政治の中心としての実機能を失いつつあったため、大極殿は以後再建されることはありませんでした。

大内裏以外にも、教育機関である大学寮や勧学院といった公共施設が焼失しました。さらに、多くの公卿たちの邸宅も炎上しました。史料には具体的な公卿の名前とその焼失した邸宅の位置が記録されており、例えば関白・松殿基房、内大臣・平重盛、大納言・徳大寺実定、藤原邦綱など、権力の中枢を担う人々の住まいが多数失われたことがわかります。これらの主要な公卿に加え、『玉葉』には「この外殿上人已下、幾多を知らず」と記されており、殿上人以下の多くの人々の家も数えきれないほど焼失したことを伝えています。

火災の全体的な規模については、いくつかの史料が異なる数字を挙げて被害の甚大さを伝えています。『愚昧記』は「家二万余家云々、町数二百余町を焼く云々」と記し、『百錬抄』は「およそ百八十余町。この中人家、幾万家を知らず」としています。また、『方丈記』では「その外、数へ知るに及ばず。すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ」と述べられており、具体的な数を把握しきれないほどの壊滅的な被害であったことがうかがえます。

安元の大火は、平安京の歴史において最大級の火災の一つであり、都の景観を一変させ、その後の都市構造や権力構造にも少なからぬ影響を与えた出来事として記憶されています。特に大内裏の主要施設が再建されなかったことは、都の形態変化を示す象徴的な出来事となりました。この火災の惨状は、鴨長明の『方丈記』にも記されており、当時の人々の受けた衝撃の大きさを物語っています。翌年には「次郎焼亡」と呼ばれる治承の大火も発生しており、この時期の平安京が度重なる災害に見舞われたことがわかります。

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