尾州不二見原

尾州不二見原：北斎の視点と技法が織りなす風景

葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』は、富士山を様々な角度から描いた46枚の浮世絵シリーズですが、その中の1枚「尾州不二見原（びしゅうふじみがばら）」は、独特の構図と表現で多くの関心を集めています。1831年頃、永寿堂西村屋与八より刊行された大判錦絵で、落款は「北斎改為一筆」とあります。

名古屋の風景と意外な視線

この作品は、現在の愛知県名古屋市中区富士見町周辺を描いたものと考えられています。当時、この地は遊廓や武家屋敷などが存在する、名所として知られていた場所でした。北斎自身、二度名古屋を訪れていることが分かっていますが、実際にこの地を訪れたかどうかは定かではありません。

興味深いのは、この「尾州不二見原」が『富嶽三十六景』の中で最も西側に位置している点です。「常州牛堀」に次いで遠くから富士山を眺めた作品であり、約167キロメートル離れた地点から描かれていると推測されます。しかし、実際にはこの場所から見えるのは南アルプスの聖岳であり、富士山は南アルプスに遮られて見えないはずです。北斎は、実際に見える風景ではなく、独自の解釈で富士山を配置したと考えられます。

樽と職人の躍動感

画面の中央には、巨大な樽の中で板を槍鉋で削る職人の姿が描かれています。樽の中から、田園風景の彼方に小さく富士山が姿を現わす、大胆な構図です。樽の周囲には箍や道具箱、木槌などが配置され、職人の作業と、樽の安定性を強調しています。

この構図は、『北斎漫画　三編』（1814-1818年）にも類似した図案が見られ、河村岷雪の絵本『百富士』の影響を受けた可能性も指摘されています。このようなアクロバティックな構図は、北斎の独創性を際立たせるだけでなく、当時の絵画表現における新たな試みを示唆しています。

北斎の技法と時代背景

空の描写には「ベロ藍」という技法が用いられています。上部を濃く摺り、周囲をぼかすことで、奥行きと広がりを表現しています。また、『三十六景』の刊行予告には「追々出版」「追々彫刻」とあり、36図が同時に刊行されたわけではないことが分かります。落款を分析すると、刊行時期に違いがあったことが推測され、「北斎改為一筆」と記された本図は、比較的初期に刊行されたと考えられます。

版元の西村屋与八は、富士講の世話人であったとされ、富士講の信者数が数千人に上ったと推測されています。当時の浮世絵界では役者絵や美人画が人気の中、名所絵である『富嶽三十六景』の大揃いを刊行できたのは、西村屋与八の富士講人脈と、その経済力によるところが大きかったと考えられています。

まとめ

「尾州不二見原」は、北斎の風景描写における独創性と、当時の社会状況が複雑に絡み合った作品です。遠近法や構図、色彩、そして富士山という象徴的な存在の配置など、様々な要素が複雑に絡み合い、見る者に深い印象を与えます。一見、ありふれた風景の中に、北斎独自の視点と技法が凝縮されたこの作品は、彼の芸術世界の奥深さを示す重要な作品と言えるでしょう。

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