帷幄上奏

帷幄上奏（いあくじょうそう）とは、近代の君主制国家において、軍の最高指揮機関である帷幄機関が、軍事に関する重要事項を君主に対し直接奏上する制度を指します。元来「帷幄」は幕営や本営を意味し、転じて最高指揮官、日本では特に大元帥としての天皇を指すようになりました。したがって、帷幄上奏は軍令事項についての天皇への直接報告を意味します。この制度は、軍事に関する上奏権を統治一般に関する上奏権から区別するもので、ドイツ帝国で確立され、明治憲法下の日本にも導入されました。

ドイツと日本での制度化
この制度は、1883年5月20日にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の勅令により、プロイセン参謀総長ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ（大モルトケ）に直接上奏権が認められたことに始まります。これにより参謀総長は政府の統制を受けずに国王に直接進言できるようになり、軍本部の独立性が強化されました。
日本では、1878年（明治11年）の参謀本部設置により軍令事項が太政大臣の輔弼から外され、1889年（明治22年）の明治憲法及び内閣官制により、統治権と統帥権の分離が明記され、統帥権に関する事項は内閣総理大臣の輔弼の例外と位置づけられ、帷幄上奏が制度化されました。

運用上の問題点と政治への影響
本来、帷幄上奏の対象は軍の作戦や編制などの軍令事項（軍令権）に限られ、人事や予算などの軍政事項（軍政権）は内閣を通じて上奏されるべきでした。しかし実際には、陸海軍大臣を含め、軍政事項まで軍令と解釈して帷幄上奏が行われることが常態化しました。1936年（昭和11年）の軍部大臣現役武官制の復活も相まって、軍部は内閣や議会から独立して天皇に直接働きかけ、自らの意向を国政に反映させようとする傾向を強めました。これは、軍部の政治介入や暴走を招く一因となったと指摘されています。
また、1909年（明治42年）の「軍令に関する件」により、「統帥権の独立」が強調され、元帥や軍事参議官にも帷幄上奏権が拡大されるなど、その権威付けが進められました。

立憲主義との矛盾と政治的対立
帷幄上奏制度の運用は、立憲主義の原則に反し、内閣の責任体制を掘り崩すものだとする違憲論が存在しました。特に、1912年（大正元年）に陸軍大臣が帷幄上奏を通じて内閣の同意なく二個師団増設を企図した問題は、これを拒否した第2次西園寺内閣が陸軍の反対により総辞職に追い込まれるという事態を招きました。この事件は国民の大きな反発を引き起こし、第一次護憲運動の契機となるとともに、政治学者の吉野作造らが帷幄上奏制度の廃止を主張するなど、制度のあり方に対する批判が高まりました。

主な対象事項
帷幄上奏によって天皇の裁可が必要とされた主な事項には、以下のようなものが含まれます。

作戦計画の策定・実施に関する裁可
海外への部隊派遣に関する裁可
国内の治安出動のための兵力派遣に関する裁可
特別大演習の実施に関する裁可
その他、部隊の動員を伴う事項に関する裁可
戦時法規などの諸規則に関する裁可
平時・戦時における軍隊の編成に関する裁可
師団などの部隊配置に関する裁可
戦時における特命検閲に関する裁可
将校および同等以上の身分の人事・職務に関する裁可
* その他、軍令および軍機に関する重要事項に関する裁可

これらの裁可事項から、帷幄上奏制度が軍事組織の根幹に関わる広範な権限を持ち、それが日本の近代政治史において軍部の独自性と影響力を高める上で重要な役割を果たしたことが理解できます。

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