朴烈事件

朴烈事件：無政府主義者たちの悲劇と政治の暗闘

朴烈事件は、1923年に発覚した朝鮮人無政府主義者、朴烈とその内縁の妻である金子文子による大逆事件と、それに付随する政治的な騒動を指します。この事件は、テロ未遂事件という側面だけでなく、当時の政治状況や社会情勢を色濃く反映した複雑なものでした。

事件の概要

事件の始まりは、関東大震災後の混乱期でした。1923年9月3日、朴烈と金子文子は治安警察法に基づく「予防検束」の名目で逮捕されました。朴は、かねてから朝鮮民族主義と反日運動に関わっており、警察は彼が「朝鮮人暴動」を企てていると見ていました。また、大正天皇の写真をナイフで刺したという情報も、逮捕の理由の一つとなりました。当初、警察の目的は、震災後の朝鮮人虐殺に対する国際的な批判をかわし、私刑に関与した日本人を擁護するための大義名分を得ることでした。

検挙と裁判

朴烈は、朝鮮人の無政府主義団体である黒濤会を結成しており、その中心人物でした。当初は爆発物取締罰則違反で起訴されましたが、司法当局は朝鮮独立運動家や社会主義者への威圧を目的として、起訴容疑を大逆罪に切り替えました。朴烈自身も、予審で「皇太子裕仁親王の御成婚の儀の際に、大正天皇と皇太子を襲撃する予定であった」と、大逆計画を認める素振りを見せました。この背景には、事件を担当した判事の立松懐清の出世欲と、朴烈の「朝鮮民族独立の英雄」としての名誉を求める思惑が一致していたという指摘もあります。

1925年5月、朴烈と金子文子はそれぞれ大逆罪で起訴されました。1926年3月には死刑判決が下されましたが、直後に恩赦により無期懲役に減刑されました。しかし、朴烈は恩赦を拒否し、金子文子は特赦状を破り捨てたと言われています。金子文子は1926年7月に獄中で自殺しました。

「怪写真」の浮上と政治利用

事件は、裁判中に撮影された朴烈と金子文子が抱き合っている写真が公開されたことで、新たな局面を迎えました。この写真は、もともと朴烈が母親に送るために撮影したものとされていますが、西田税という人物が写真を入手し、当時の若槻内閣を転覆させるために利用しました。この写真の公開によって世論は騒然となり、司法大臣が暴漢に襲われる事件も発生しました。

野党の立憲政友会は、この写真をきっかけに若槻内閣を追及し、帝国議会は空転しました。しかし、大正天皇の崩御により、与野党間で政治休戦が成立し、倒閣の目論見は失敗に終わりました。その後、写真が撮影されたのは若槻内閣成立以前であることが判明しましたが、政争は収まることはありませんでした。

判決後

恩赦を拒否する受刑者に対する減刑は、世論からの批判を浴びました。しかし、憲法学者の美濃部達吉は、政府の判断を擁護しました。金子文子の死後、遺族は自殺を疑い調査を求めましたが、真相は不明のままとなりました。朴烈は、第二次世界大戦後の1945年まで獄中にあり、釈放後は民団の結成に関与しましたが、朝鮮戦争中に北朝鮮に連行され、1974年に獄死したと言われています。

事件が残したもの

朴烈事件は、単なるテロ未遂事件にとどまらず、当時の政治状況や社会情勢を色濃く反映した出来事でした。朝鮮民族主義、無政府主義、そして政治的な駆け引きが複雑に絡み合い、多くの人々の人生を翻弄しました。この事件は、後世に多くの教訓と反省を促すものとして、記憶されるべきでしょう。

この事件は、小説家の松本清張によって再評価され、再び注目を集めることになりました。2017年には、韓国で「金子文子と朴烈」という映画が制作され、この事件は広く知られることとなりました。

関連書籍と映画

松本清張「昭和史発掘」（文藝春秋）
映画「金子文子と朴烈」（2017年、イ・ジュニク監督）

参考文献

高島駒之助「国立国会図書館デジタルコレクション 朴烈問題」『陰謀暴露政友会の醜悪』大正政治研究会、1927年。
立花宗幸「国立国会図書館デジタルコレクション 朴烈事件」『日本政党罪悪史』大日社、1933年。

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