東海道程ヶ谷

東海道程ヶ谷：北斎が描いた保土ヶ谷宿の風景

葛飾北斎の代表作として名高い『冨嶽三十六景』。その46図の中に、「東海道程ヶ谷」は存在します。落款には「前北斎為一筆」と記されています。この作品は、東海道五十三次の保土ヶ谷宿と戸塚宿の境にある品野坂から望む富士山の風景を描いたものです。

絵画からは、晩春の時期であることが推測されます。富士山の一部の雪解け具合が、その季節感を強く印象づけています。保土ヶ谷は、武蔵国と相模国の国境に位置していました。現在では、上り坂を権太坂、下り坂を品野坂と呼んでいますが、江戸時代には明確な区別はありませんでした。斎藤月岑の『江戸名所図会』にも、品野坂と権太坂が混同して記述されていることがわかります。この坂は東海道の中でも特に険しい難所として知られ、旅人が行き倒れることもあったと言われています。

北斎は、この地の特徴である松並木を丁寧に描き、東海道を行き来する人々の様子を克明に描写しています。松並木の間から富士山が覗く構図は、河村岷雪の『百富士』にも複数見られることから、北斎がその構図を参考にした可能性も指摘されています。さらに、絵画の中央には、富士山に感嘆する馬子の後ろ姿が描かれています。これは、鑑賞者の視線を富士山へと自然と誘導する巧みな演出と言えるでしょう。

興味深いことに、「東海道程ヶ谷」は、西洋絵画にも影響を与えたと言われています。フランスの印象派画家クロード・モネの『ポプラ並木』（1891年）や、ポール・セザンヌの『Trees and Houses Near the Jas de Bouffan』（1885-1886年）など、これらの作品に北斎の構図や表現技法の影響が見られるという指摘があります。北斎の芸術が、時代や国境を超えて、後世の画家たちにまで影響を与えたことを示す重要な事例と言えるでしょう。

北斎は、単なる風景画ではなく、歴史、地理、そして人々の生活といった様々な要素を織り交ぜ、複雑で奥深い作品を創造しました。この「東海道程ヶ谷」は、単なる富士山の風景画としてだけでなく、江戸時代の東海道の旅や、人々の生活、そして西洋絵画史への影響といった、多角的な視点から鑑賞できる、魅力的な作品です。

参考文献

安村敏信「北斎 冨嶽三十六景の旅 天才絵師が描いた風景を歩く」『太陽の地図帖』 5巻、平凡社、2010年。
日野原健司『富嶽三十六景』岩波書店、2019年。
磯崎康彦「北斎の風景・風俗版画」『福島大学人間発達文化学類論集』 34巻、福島大学人間発達文化学類、2021年。
『版画芸術』 203巻、阿部出版、2024年。

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