松本重雄

松本重雄氏は、1908年4月15日に東京・銀座で生まれました。彼の生家は、日本の蓄音機およびレコード販売の先駆者として知られる「三光堂」を経営する商家でした。泰明小学校を卒業後、1921年に麻布笄町へ転居。第一東京府立中学校、第一高等学校を経て、1932年に東京帝国大学経済学部を卒業しています。

大学卒業と同年の1932年、日本銀行に入行し、銀行員としての歩みを始めました。秘書役、静岡支店長、ニューヨーク駐在参事、総務部長、事務改善調査室長、特別審議室長など、日銀内で様々な要職を歴任しました。特に、1960年5月14日には名古屋支店長のまま理事に就任し、1966年4月16日までその職を務めました。その後、大阪支店長を経て本店勤務に戻っています。日本銀行での職務に加え、全国銀行協会や東京銀行協会でも理事を務め、1969年には東京銀行協会の専務理事兼副会長に就任するなど、日本の金融界において重要な役割を担いました。1978年には日銀顧問に退き、1980年には国民政治協会の会長も務めています。

松本氏のキャリアで注目すべきは、戦後から高度経済成長期にかけての日銀における活動です。特に、「法王」と称された一万田尚登総裁のもと、金融制度の見直しを担う特別審議室長に就任しました。戦後GHQは、金融行政を大蔵省と日銀から独立させるべく、1949年に政策委員会を設置しましたが、一万田総裁の強い政治力により、政策委員会は総裁が議長を務める形で日銀内部に置かれることになりました。一方で、当時の日本銀行法は戦時色が薄められたものの、大蔵大臣による業務施行命令権（第43条）が残存するなど、権限の所在が不明確であるとされていました。この日銀法改正を巡る議論の中で、松本氏は日銀側の主要な論客として、池田勇人蔵相や山際正道総裁らの下で、大蔵省による金融行政の統制強化を主張する下村治氏らと対峙し、日銀の立場を擁護しました。日銀はその後も、民間出身の宇佐美洵総裁のもとで高度経済成長期を迎えましたが、時に日銀の意向と異なる公定歩合引き下げや積極財政路線が進められ、さらに佐々木直総裁下の田中角栄内閣時代には「狂乱物価」を招く一因ともなりました。

松本氏の生家である「三光堂」は、日本の蓄音機・レコード産業の歴史に大きな足跡を残しています。父である松本常三郎氏は、日本の蓄音機業の黎明期における草分けの一人であり、実家の「三光堂」は日本初の蓄音機専門店であるとされています。この三光堂の創業には、常三郎氏の兄にあたる松本武一郎氏が深く関わっています。武一郎氏は愛媛県出身で、横須賀造船所での勤務経験を持ち、明治30年代には浅草で街頭蓄音器屋を営んでいました。その頃、横浜で蝋管蓄音器を輸入していたアメリカ人貿易商F.W.ホーン氏と知り合い、その協力も得て、1899年に浅草並木町に店舗を開きます。翌1900年には、武一郎氏を代表に、社会主義者として知られる片山潜氏、ガラス卸商の横山進一郎氏の3名が共同出資する形で、蓄音機とレコードの輸入販売を行う合名会社「三光堂」を設立しました。事業は浅草だけでなく、大阪や銀座にも進出し、大正時代には新宿に「三光堂松本蓄音機製作所」を設立して蓄音機の自社製造も手掛けています。武一郎氏はまた、ホーン氏が1907年に設立した日米蓄音器株式会社および日米蓄音器商会（後の日本コロムビア）の設立にも協力し、土地選定などに尽力しましたが、会社設立直前に急逝し、設立者として名を残すことはできませんでした。その後、弟の常三郎氏（重雄氏の父）が三光堂の事業を継承しました。

常三郎氏のもと、三光堂は意欲的な試みを行います。当時人気を博した浪曲師・桃中軒雲右衛門に対し高額な報酬を支払い、「忠臣蔵外伝」などの全演目を録音。その原盤をドイツに送り、「象印レコード」として輸入販売しました。しかし、明治天皇崩御による歌舞音曲停止期間中に海賊版が出回ったことや、関東大震災前後の外国資本攻勢の中で、最終的に日本蓄音器商会に買収されることになります。特に、1912年に三光堂が発売した雲右衛門のレコードを、日本蓄音器商会が複製販売したことが発端となり、著作権登録者であるドイツ人が訴訟を起こした「桃中軒雲右衛門事件」は有名です。この裁判で著作権侵害が認められなかったことは、著作権法改正の機運を高める契機の一つとなり、1920年の改正著作権法公布へと繋がるなど、日本の文化法制史にも影響を与えた出来事でした。

松本重雄氏は、その長年にわたる金融界での功績が認められ、1978年に勲二等瑞宝章を受章しています。1992年11月14日、84歳でその生涯を閉じました。

もう一度検索