水上の音楽

水上の音楽（Water Music）

『水上の音楽』（英語: Water Music、水の上の音楽とも）は、ドイツ生まれで後にイギリスに帰化した作曲家、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル（Georg Friedrich Händel, 1685-1759）の手による一連の管弦楽作品群です。一般的には管弦楽組曲として知られており、ヘンデルの最も親しまれている代表作の一つに数えられます。この作品は、様々な管楽器を含む大規模なオーケストラのために書かれており、弦楽器に加え、オーボエ、ホルン、トランペット、フルート、リコーダーなどが豊かな響きを生み出しています。全体はフランス風の序曲に始まり、ブーレ、メヌエット、ホーンパイプといった多種多様な舞曲を中心とした小曲で構成されています。なお、同時代の作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマンにも同じく『水上の音楽』（Wassermusik）というタイトルの管弦楽組曲がありますが、全く別の作品です。

作曲の背景

作品が生まれた背景には、当時のイギリス王室とヘンデルとの関係が深く関わっています。ヘンデルは1710年、ドイツのハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの宮廷楽長に就任しました。しかし、彼は長期休暇の許可を得てロンドンへ渡った後、そのままその地に定住してしまいます。ところが1714年、そのハノーファー選帝侯が、イギリス女王アンの死去に伴い、血縁関係からイギリス国王ジョージ1世として迎えられることになったのです。

ロンドンに居座っていたヘンデルと、かつての主君であった新国王との関係は気まずくなった、と長らく信じられてきました。特に、ヘンデルが王との和解を図るため、秘密裏に作曲したこの作品を舟遊びで演奏して披露したというエピソードが、18世紀の伝記作家ジョン・マナリングによって伝えられ、広く知られるようになりました。しかし、近年の研究では、実際にはヘンデルとジョージ1世の関係は良好であり、マナリングの伝える和解のエピソードは事実ではない可能性が高いと考えられています。

この『水上の音楽』が実際に演奏された記録で確実なのは、1717年7月17日にテムズ川で行われた国王主催の舟遊びの際だけです。この時、国王の御座船に付き従った船上で、50人編成のオーケストラがこの音楽を演奏しました。記録によれば、往復の間に同じ曲が3度も演奏されたとされており、国王がこの音楽を非常に気に入った様子がうかがえます。また、1736年にもウェールズ公妃を迎える舟遊びで音楽が演奏された記録がありますが、これがヘンデルの『水上の音楽』であったかどうかは確定していません。現在伝わる作品は、これらの舟遊びに関連して、おそらく1710年代のうちに数回に分けて作曲・演奏されたものがまとめられたと考えられています。

出版と作品の構成に関する議論

『水上の音楽』の自筆譜は現存しておらず、そのため作品の正確な構成や曲順については、長年にわたり学術的な議論が続いています。

最初の楽譜出版は1720年代に一部抜粋の形で行われ、1733年頃には12曲のパート譜が出版されています。1743年にはチェンバロ編曲版が登場し、初めて全曲のオーケストラ総譜が出版されたのは、ヘンデルの没後となる1788年、サミュエル・アーノルドによるものでした。

近代以降の主要な原典版としては、いくつかの版が存在します。

クリュザンダー校訂版（1886年）：初期の全集に収められた版で、アーノルド版と同様に作品全体を一つの組曲として扱いました。
レートリヒ校訂版（1962年）：ハレのヘンデル協会による新全集の一部として出版されました。この頃、筆写譜の調査から、作品が編成や調性によって分かれた3つのグループからなるとの説が有力になっており、レートリヒ版はこの説を採用して「第1組曲」「第2組曲」「第3組曲」の3部構成としました。現在のヘンデル作品主題目録番号（HWV）も、この3部構成に基づいてHWV 348、HWV 349、HWV 350と番号を付与しています。
テレンス・ベスト校訂版（2007年）：レートリヒ版に代わる改訂版として出版され、2004年に発見された新たな手稿譜を参照しています。この版では、再び作品全体を一つの組曲として扱う構成が取られています。

このように、研究の進展によって作品の捉え方が変化しており、演奏家によってはこれらの版に拠らず、独自に曲順を組み替えて演奏することもあります。

また、全曲を演奏すると演奏時間が長くなるため、特にオーケストラのコンサートなどでは、イギリスの作曲家ハミルトン・ハーティが6曲を選んで編曲した版（1922年出版）が広く演奏される時期もありました。

レートリヒ版に基づく構成

現在、最も一般的に紹介される構成は、レートリヒ版に基づいた3つの組曲に分けるものです。全曲の演奏時間は約45分程度です。

第1組曲 ヘ長調 HWV 348：10曲で構成され、オーボエやホルンが活躍する明るく華やかな音楽です。序曲（ラルゴ - アレグロ）に始まり、アダージョ、様々な舞曲（メヌエット、ブーレ、ホーンパイプ）などが続きます。
第2組曲 ニ長調 HWV 349：5曲で構成され、トランペットが効果的に使用されています。特に「アラ・ホーンパイプ」は全曲の中でも最も有名で、単独で演奏される機会も多い曲です。
第3組曲 ト長調 HWV 350：7曲で構成され、フルートやリコーダーが中心となり、より穏やかで優美な響きを持っています。リゴードンやカントリーダンスなどが含まれます。

なお、第2組曲の一部には、第1組曲と同じ楽器編成を持つヘ長調の異稿が存在します。これは当初第1組曲の一部だったと考えられたこともありますが、その後の研究により、『水上の音楽』成立後に改作された別の作品（協奏曲ヘ長調 HWV 331）であることが示唆されています。

関連作品・事項

ヘンデルの管弦楽作品としては、『水上の音楽』と同様に祝祭的な機会のために作曲された『王宮の花火の音楽』HWV 351がよく知られています。両作品には共通点が多く、しばしばセットで録音・演奏されます。また、NHK-FMで放送されているクラシック音楽番組『古楽の楽しみ』のオープニングおよびエンディングテーマ曲としても、この『水上の音楽』の一部が使用されています。

もう一度検索