環境可能論

環境可能論とは

環境可能論（Possibilism）は、地理学における重要な概念の一つで、自然環境は人間に可能性を提供する存在であり、人間がその可能性を積極的に実現できるとする考え方です。この理論は、フランスの地理学者ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュによって提唱され、それまで主流であった環境決定論に対する批判として登場しました。

概要

ブラーシュは、自然環境が人間の活動を決定するのではなく、可能性の場を提供すると考えました。環境が提供する可能性をどのように利用し、現実のものとするかは、人間の選択と行動に委ねられています。これは、環境を軽視しているわけではなく、環境の制約を認識した上で、地域の歴史的・社会的要因の重要性を強調するものです。

環境可能論は、ブラーシュの弟子たちによってさらに発展しました。特に、リュシアン・フェーブルは、ブラーシュの説を「環境可能論」と名付け、ラッツェルの説を「環境決定論」と対比させました。ただし、ブラーシュ自身が自身の立場を「環境可能論」と呼んだわけではなく、フェーブルが後付けで分類したものです。

環境可能論の基本的な考え方

環境可能論を平易に説明すると、自然条件が異なる地域でも、そこで行われる人間の活動は必ずしも自然条件によって決定されるわけではないということです。例えば、自然条件A,B,Cが異なる地域a,bがあった場合、地域aでは活動Dが行われ、地域bでは活動Eが行われる可能性があります。この時、なぜ地域aでD、地域bでEという活動が行われるのかは、その地域の歴史や社会といった人文科学的な要因によって説明されます。環境決定論とは異なり、環境可能論は、人間が自然環境の制約を受けつつも、独自の文化や社会を形成する能動的な存在であると考えます。

問題点

環境可能論は環境決定論への批判として登場しましたが、その理論にも限界があります。特に、ブラーシュの考え方が「人間は自然に干渉し、自然に服従することはない」という前提に基づいているため、必然性を説明することが難しく、地理学者が地域の歴史的な研究なしに地理学的記述を行うことが困難になるという問題が生じました。

また、環境可能論では、すべてが偶然の産物となり、地理学が科学として成り立つのかという疑問も生じます。これは、地理学の根幹を揺るがす問題でしたが、ブラーシュやフェーブルは、地理学の純粋理論に関心がなく、この問題に気づくことはありませんでした。

さらに、20世紀後半には、自然科学や社会科学の進歩により、環境可能論の厳密な再定義が求められるようになりました。しかし、明確な再定義がなされないまま、地理学は大きな変革期を迎えることになりました。

歴史的展開

人間と自然環境の関係を考察することは、古くから人類にとって重要なテーマでした。アリストテレスやモンテスキューといった学者もこの問題に言及しています。近代地理学の基礎を築いたフンボルトとリッターは、自然地理学を重視しましたが、その後、ダーウィンの進化論に影響を受けたラッツェルが登場し、自然環境が人間の活動を制限するという環境決定論を唱えました。

ブラーシュは、ラッツェルの影響を受けながらも、環境可能論を提唱し、地域研究を重視する独自の地理学を確立しました。フェーブルは、ブラーシュの思想を理論的に整理し、環境決定論を批判しました。フェーブルは『大地と人類の進化：歴史への地理学的序論』で、人間社会の複雑さや多様性を安易に一般化することの危険性を訴え、環境決定論を攻撃し、環境可能論を正当化しました。

しかし、フェーブルが環境決定論を批判する前に、すでに地理学は環境決定論から脱却しており、フェーブルの著書は、地理学に大きな影響を与えなかったという見方もあります。

具体例

1930年代のアメリカ大旱魃

1930年代のアメリカでは、砂嵐（ダストボウル）による大旱魃が発生しました。これは、単なる自然災害ではなく、開拓によって耕された土地が、砂嵐を発生しやすくした人災であると考えられています。この事例は、人間が環境に影響を与えることで、自然災害を引き起こす可能性を示唆しています。

日本の稲作

環境決定論では、熱帯・亜熱帯が原産のイネが、寒冷な地域である東北地方や北陸地方で栽培されることは説明できません。しかし、日本では、保温折衷苗代の開発や耐寒性のある品種の導入といった技術革新、そして、三大都市圏から隔絶され、他の商品作物がなかったことなどの社会的な要因が、稲作を可能にしました。これは、人間が自然環境を克服し、独自の農業文化を築いた例と言えるでしょう。

環境可能論は、自然環境と人間の相互作用を理解する上で重要な概念です。人間は、自然環境の制約を受けながらも、その可能性を最大限に引き出し、多様な文化や社会を形成してきました。この視点は、現代社会における環境問題や地域開発を考える上で、重要な示唆を与えてくれます。

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