秦大津父

秦大津父：謎に包まれた古代豪族の軌跡

6世紀前半、日本古代に実在したとされる豪族秦氏の一人、秦大津父。その生涯は、歴史書『日本書紀』の記述から断片的にしか知ることができませんが、彼の存在は、古代日本の政治や経済、さらには社会構造を理解する上で重要な手がかりを与えてくれます。

欽明天皇の夢と大津父の抜擢

『日本書紀』によれば、欽明天皇は幼少の頃、不思議な夢を見ます。それは、秦大津父という人物を寵愛すれば天下を治められるという予言めいたものでした。天皇は夢を実現すべく、大津父を探し出し、その人物と出会います。

そこで語られたのは、大津父が伊勢で商業活動に従事中に遭遇した出来事でした。二匹の狼が争っている現場に遭遇し、大津父はそれらを仲裁し、怪我の手当てをしたというのです。天皇はこの逸話を「神意」と捉え、大津父を近侍として迎え入れ、厚遇します。この物語は、大津父の商業活動と、その人となり、そして神々との関わりを暗示しており、彼の非凡な能力と、朝廷からの信頼の厚さを物語っています。

商業活動と朝廷への貢献

大津父は、商業活動を通じて富を蓄え、やがて朝廷の中枢へと進出します。欽明天皇の即位後、彼は大蔵の司という要職に任じられます。これは、秦氏が朝廷の財政管理に深く関わっていたことを示す重要な証拠であり、大津父が単なる豪族ではなく、経済面でも大きな影響力を持っていたことを物語ります。

欽明天皇元年8月（540年）には、帰化した漢人や秦人を戸籍に登録する際に、7053戸もの秦人を管掌する伴造に「大蔵掾」として任命された記録が残されています。この「大蔵掾」が大津父である可能性が高いと推測されており、彼の朝廷における地位の高さと権力の大きさを示しています。

秦氏の拠点と謎

秦氏の拠点としては、紀伊郡深草（現在の京都市伏見区）と葛野郡太秦（現在の京都市右京区）が知られています。大津父は深草を拠点としていたとされ、6世紀中葉から7世紀初頭にかけて、秦氏の族長権が深草から太秦に移ったか、あるいは深草の秦氏一族が傍系であった可能性が示唆されています。深草という地名は、稲荷山や『日本書紀』に記された山背大兄王の変などにも登場し、歴史的な重要性を秘めていると言えるでしょう。

歴史的考察と今後の研究

秦大津父の物語は、秦氏と商業活動との密接な関わりを示唆しています。彼ら独自の商業ネットワークが、朝廷の財政運営に貢献した可能性が高いと考えられ、このことは、古代日本の経済史を考える上で重要な視点となります。また、秦氏一族の動向、深草と太秦の拠点の関連性、そして大津父自身の出自など、まだ多くの謎が残されており、今後の研究が待たれます。

大津父に関する情報は断片的ではありますが、彼の存在を通して、古代日本の政治・経済・社会構造をより深く理解することができます。さらなる史料の発掘と研究によって、この謎多き人物の生涯がより明らかになることを期待しましょう。

参考文献

『日本書紀』(三)・（四）、岩波文庫、1994年・1995年
『日本書紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟：訳、1988年
『風土記』、武田祐吉：編、岩波文庫、1937年
『日本の歴史1　神話から歴史へ』、井上光貞：著、中央公論社、1965年
『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』p995（三省堂、1993年）
『謎の渡来人　泰氏』文春新書、水谷千秋：著、2009年
『渡来氏族の謎』祥伝社新書、加藤謙吉：著、2017年
『別冊歴史読本　古代謎の王朝と天皇』、新人物往来社、1987年より「古代史人物事典」鈴木靖民編
歴史読本臨時増刊入門シリーズ『渡来人は何をもたらしたか』、新人物往来社、1994年
『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清：編、雄山閣、2015年

もう一度検索