経学歴史

『経学歴史』：清末経学を彩る皮錫瑞の畢生の大作

1907年、清代の学者・皮錫瑞によって著された『経学歴史』は、春秋時代から清朝に至るまで、中国における経学の歴史を網羅した大著です。湖南思賢書局より出版され、経学研究において重要な位置を占める一冊と言えるでしょう。

今文経学の立場からの歴史叙述

本書の特徴は、皮錫瑞自身の今文経学の立場から経学史が記述されている点にあります。単に歴史を列挙するだけでなく、各時代の経学の隆盛と衰退、そして様々な注釈書に対する賛否を明確に示している点が、他の経学史とは一線を画しています。特に、経書の原典に近い時代の注釈書を重視する姿勢は、皮錫瑞の学問への姿勢を如実に反映しています。彼は「新学出でてより、旧学を薄視し、遂に焼経あり」と述べ、伝統的な経学の継承の重要性を訴えています。

東賢司氏によれば、皮錫瑞は今文経学の立場を堅持しながらも、他の学説を一方的に排除することなく、慎重に考証・分析を行っています。これは、皮錫瑞の学問的客観性と深遠さを示すものと言えるでしょう。

晩年の集大成と後世への警鐘

皮錫瑞の著述活動は、戊戌政変後特に盛んになり、『経学歴史』と姉妹編である『経学通論』は、彼の経学研究の集大成と言えるでしょう。井澤耕一氏は、皮錫瑞が晩年になってこの書を著した理由として、当時の教育機関における経学教育の停滞を憂慮し、正しい経学のあり方を後世に伝えようとしたのではないかと推察しています。つまり、『経学歴史』は、単なる経学史の叙述にとどまらず、危機的状況にある経学を救済するための書でもあったと言えるのです。

『経学通論』では、易、書、詩、三礼、春秋などから経学上の重要な問題を取り上げ、議論を整理しています。『経学歴史』と合わせて読むことで、皮錫瑞の経学思想をより深く理解することができるでしょう。

皮錫瑞：今文経学の大家

本書の著者である皮錫瑞（字は鹿門、麓雲、号は師伏、1850-1908）は、湖南善化（現在の湖南長沙）出身の清代の学者です。光緒8年に挙人となり、龍潭書院、経訓書院、尊経書院などで主講を務めた今文経学の大家でした。日清戦争後には、変法運動にも参加しましたが、保守派からの圧力を受け、一時的に失脚する時期もありました。その後、湖南師範館で経学と倫理を講義するなど、教育にも携わっています。

内容：五つの学術区分と時代区分

『経学歴史』では、経学の歴史を以下の5つの学術区分に分類しています。

1. 訓詁学（漢～唐）：文字を厳密に解釈する学問
2. 理学（宋～明）：朱子学や陽明学などの学派
3. 考証学（清）：文献による考証を重視
4. 清末公羊学：春秋公羊伝を重視
5. 現代新儒家（唐以降）：儒学を西洋哲学との関係で現代的に解釈

さらに、各時代における経学の盛衰を反映した独自の時代区分を用いており、その特徴的な命名は本書の大きな魅力の一つと言えるでしょう。

各時代の評価：孔子から清代まで

本書では、春秋時代から清朝に至るまで、各時代の経学とその代表的な学者について詳細な評価が与えられています。孔子を「万世の師表」と評しながらも、その教えの実践面における欠点を指摘するなど、皮錫瑞の鋭い洞察力と批判精神が随所に見られます。

例えば、戦国時代の「顔氏之儒」についての考察、前漢と後漢の儒学者の比較（前漢：世用に適した実用性、後漢：理性的な色彩）、宋代の経学の衰退への批判、明代の経学の低迷への指摘、そして清代の経学復興への貢献などが、具体的な例として挙げられます。清代の考証学の進展や、今文古文の解釈の相違点なども詳細に論じられています。

現代からの評価と課題

現代の研究者からは、西学を意識した最初の経学通史という点で高く評価されています。しかし同時に、先王の事績の欠如、清代漢学の影響、今文・古文の対立という図式への依存といった課題も指摘されています。

『経学歴史』は、皮錫瑞の経学思想を知るための重要な文献であるとともに、中国経学史を理解する上で欠かせない一冊です。その詳細な記述と鋭い分析は、現代の読者にとっても多くの示唆を与えてくれるでしょう。

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