胃液

胃液（いえき）

胃液は、人間を含む多くの動物の胃で分泌される、食物の消化に不可欠な体内液体、すなわち消化液です。特に、主成分の一つである塩酸は「胃酸」とも呼ばれ、胃液の重要な機能の多くを担っています。健康な成人の場合、一日あたりおよそ1.5リットルから2リットルもの胃液が分泌されると言われています。

成分と機能

胃液の最も特徴的な性質は、その非常に強い酸性度にあります。通常、pHは1から1.5程度であり、これはレモン汁や酢よりもはるかに強い酸性です。この強酸性環境は、胃液に含まれる様々な成分の働きに重要な役割を果たします。

胃液の主要な成分は以下の通りです。

塩酸（胃酸）: 胃液の強い酸性を作り出す成分です。この酸性環境は、食物中に含まれる硬い結合を緩め、消化酵素が働きやすいように準備する役割があります。また、後に述べるタンパク質分解酵素ペプシンの前駆体であるペプシノーゲンを活性型のペプシンに変化させるために不可欠です。
ペプシン: 塩酸によって活性化されるタンパク質分解酵素です。摂取した食物中のタンパク質を、より小さなペプチドやアミノ酸の鎖（ペプトン）へと分解します。これにより、小腸でこれらの栄養素が効率良く吸収されるための準備をします。
* リパーゼ: 主に脂肪の消化に関与する酵素ですが、胃液に含まれるリパーゼは胃の強い酸性環境下でも比較的よく働く種類で、主に牛乳などに含まれる短鎖・中鎖脂肪酸の分解を助けると言われています。

胃液の分泌は、食物を見る、匂いを嗅ぐといった段階（脳相）、食物が胃に入る段階（胃相）、そして食物が小腸へ移動する段階（腸相）といった複数の段階を経て精密に調節されています。

生体防御における役割

胃液は単に消化を助けるだけでなく、体内へ侵入しようとする有害な微生物から身を守るための重要なバリアとしても機能します。胃の強い酸性は、食物や飲み物と共に体内に取り込まれる多くの細菌やウイルスを殺菌する効果があります。例えば、コレラ菌のような病原体は、胃酸によってそのほとんどが死滅するため、通常の胃酸分泌能力があれば、大量の菌を摂取しない限り感染が成立しにくいとされています。しかし、胃酸の分泌が低下している低酸症のような状態にある人では、わずかな菌量でも感染するリスクが高まります。

一方で、全ての微生物が胃酸に弱いわけではありません。赤痢菌のように胃酸に対する耐性が比較的高い細菌や、ヘリコバクター・ピロリのように胃酸を中和して胃の粘膜に生息することができる特殊な細菌も存在します。

胃の自己防御と病気

胃の壁自体もタンパク質でできていますが、強力な胃液によって自身が消化されてしまわないように、粘液の層で覆われたり、胃酸を中和する重炭酸イオンを分泌したりといった独自の防御機構を備えています。しかし、ストレスや特定の薬剤、あるいはヘリコバクター・ピロリ感染などによって、この防御システムが弱まったり、逆に胃酸の分泌が過剰になったりすることがあります。このようなバランスの崩れは、胃の粘膜を傷つけ、最終的には胃潰瘍や十二指腸潰瘍といった消化性潰瘍を引き起こす原因となります。

塩酸の分泌は、胃の壁細胞にあるプロトンポンプという仕組みによって行われます。このプロトンポンプの働きを抑える薬や、胃酸分泌を促進するヒスタミンが結合するH2受容体をブロックする薬などは、胃酸の分泌を抑制し、潰瘍の治療や予防に広く用いられています。

俗称と慣用句

胃液は、俗に「虫酸（むしず）」と呼ばれることがあります。「虫酸が走る」という慣用句は、この胃液が食道や口の中に逆流してくるような、吐き気を催すほど不快な気分を表す言葉として使われます。

このように、胃液は消化吸収、生体防御、さらには慣用句にまで関連する、私たちの体にとって非常に重要な液体です。

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