藤岡屋日記

『藤岡屋日記』は、江戸時代末期、特に文化元年（1804年）から明治元年（1868年）までの65年間にわたる、江戸を中心とした出来事を記録した編年体の日記です。全152巻150冊にも及ぶこの膨大な記録は、須藤由蔵、通称「藤岡屋由蔵」によって詳細にまとめられました。

藤岡屋由蔵は、上野国藤岡出身で、江戸に出て人足として働いた後、神田の御成道（現在の秋葉原周辺）で露天の古書店を開業しました。しかし、彼の真骨頂は、古書販売に留まらず、江戸市中の様々な情報を収集し、それを諸藩の記録方や留守居役といった人々に提供する、いわば情報屋としての活動にありました。彼は、市中の事件や噂、落書などを丹念に記録し、それらの情報を有料で提供することで生計を立てていました。そのため、「御記録本屋」という異名で呼ばれることもありました。

『藤岡屋日記』には、大名や旗本の屋敷替え、幕府の政策や町触、火災や飢饉の被害状況、特に安政の大地震に関する詳細な記録が含まれています。また、出開帳や芝居、見世物などの評判、町民の間で広まる噂、錦絵や瓦版といった出版物とその統制、殺人や強盗、喧嘩などの事件、さらには幕末期の軍事行動に至るまで、江戸の社会におけるあらゆる事象が詳細に記録されています。これらの情報は、江戸の住民や出入りの武士などから集められたものであり、同時代の社会情勢を研究する上で、非常に貴重な一次史料となっています。

ただし、『藤岡屋日記』には、桜田門外の変に関する記述が一切ありません。この理由については、最初から記録されなかったのか、それとも現代に伝わるまでに散逸してしまったのか、定かではありません。この点については、今後の研究によって解明されることが期待されます。

藤岡屋由蔵は、集めた情報を各藩の江戸詰の武士などに有料で販売していたことから、情報屋の元祖とも言われています。彼の活動は、現代の情報流通のあり方にも通じるものがあり、非常に興味深い研究対象です。

現在、この『藤岡屋日記』は、三一書房から全15巻で刊行されています。また、鈴木棠三による『江戸巷談藤岡屋ばなし』という解説書も存在し、この日記をより深く理解するための手がかりとなっています。この解説書は、筑摩書房のちくま学芸文庫からも新版が刊行されており、広く読まれています。

参考文献としては、『国史大辞典』（吉川弘文館）に収録された吉原健一郎氏による「藤岡屋日記」の項目や、『日本史大事典 5』（平凡社）に収録された同氏の項目が挙げられます。これらの文献は、『藤岡屋日記』の研究において重要な位置を占めています。

また、関連する日記としては、斎藤月岑による『月岑日記』が挙げられます。これらの日記を比較検討することで、江戸時代の社会情勢について、より多角的な理解を深めることができるでしょう。

『藤岡屋日記』は、江戸時代末期の社会、文化、政治状況を鮮やかに映し出す鏡であり、歴史研究者だけでなく、一般の読者にとっても非常に魅力的な史料です。

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