小幡景憲

小幡景憲（おばた かげのり）は、安土桃山時代から江戸時代前期に生きた武将であり、後に江戸幕府の臣、そして稀代の軍学者として名を馳せた人物です。甲斐武田氏に仕えた武将、小幡昌盛の三男として、元亀3年（1572年）に生まれました。幼名を熊千代、後に孫七郎、勘兵衛を通称とし、縄直と名乗った時期もありました。晩年には道牛と号しています。

景憲の父、昌盛は武田信玄の信任厚い武者奉行でした。『甲陽軍鑑』によれば、昌盛は信濃の海津城主、春日虎綱（高坂昌信）を補佐し、後に信玄直属の旗本に列しています。

天正10年（1582年）3月、織田信長による甲州攻めが進行する最中、父昌盛は武田氏が滅亡するわずか5日前に病没しました。当時11歳だった景憲は、同年12月には徳川家から召し抱えられたとされています。それまでの間は、越後上杉氏に臣従していた大叔父・光盛のもとに身を寄せたと推測されています。徳川家では二代将軍・徳川秀忠の小姓となりましたが、文禄4年（1595年）に突如として出奔し、各地を流浪する生活を送りました。

慶長5年（1600年）の関ヶ原の戦いでは、井伊直政に属して従軍し戦功を挙げたと言われますが、その後再び消息を絶ちます。慶長12年（1607年）には剣術家・小野忠明から兵法の印可状を受けており、この時期に兵法修練に励んだことがうかがえます。慶長19年（1614年）の大坂の陣では、一時豊臣方の大野治房に接近しつつ、幕府側の板倉勝重に内通していたと伝えられています。この複雑な動きを経て、戦後に再び徳川家に仕えることになりました。

幕臣として復帰した景憲は、相模国内に500石の領地を与えられ、後に1500石へと加増されました。寛永9年（1632年）には幕府の役職である御使番に任じられています。

景憲の最も大きな功績は、甲州流軍学の創始者としての地位を確立したことです。彼は多くの武士に兵法を教授し、その門弟は数多に上りました。中でも北条氏長、富永勝由、梶定良、近藤正純の四人は高弟として名高く、近藤正純はさらに渡辺盛房や山鹿素行らを含む十一人を「甲州流十一哲」と称しています。

また、景憲は当時の有力な諸侯にも兵法を教授しました。徳川頼宣や永井尚政など多くの大名がその教えを受け、特に細川光尚、松平輝綱、浅野長治には兵法の印可状を与えています。

武田信玄・勝頼期の軍学や武士の心得を記した『甲陽軍鑑』は、景憲と深い関わりがあるとされています。小幡家に伝わる原本を景憲が入手し、その編修に携わったと考えられており、武田軍学の集大成とされるこの書の成立に大きな役割を果たしたと目されています。

景憲には実子がなかったため、家督は養子が継ぎましたが、学統は継承しませんでした。景憲の兵法の学問上の後継者となったのは、兄・在直の次男、憲行でした。

景憲は寛文3年（1663年）2月25日に、享年92歳でその生涯を閉じました。法名は陪曹院殿無角道牛居士です。墓所は東京都豊島区の法明寺と、神奈川県厚木市の蓮生寺にあります。その生涯は、司馬遼太郎の歴史小説『城塞』でも描かれています。

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