ほんやら洞のべんさん

ほんやら洞のべんさん

つげ義春が1968年に発表した短編漫画『ほんやら洞のべんさん』は、彼の「旅もの」作品群の中でも特異な位置を占めています。舞台は小千谷地方の錦鯉養殖が盛んな農村。

制作背景

1968年はつげ義春にとって非常に充実した年であり、『長八の宿』、『二岐渓谷』、『オンドル小屋』、『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』、『もっきり屋の少女』など、数々の傑作が生まれた年でした。本作『ほんやら洞のべんさん』は、『ねじ式』の3ヶ月前に着想されました。つげは作品の舞台設定のため、厳寒期の新潟を訪れています。権藤晋に教わり湯宿温泉を訪問し、ほんやら洞（雪洞のこと）を見学するために織物で有名な新潟県の十日町市に立ち寄ったものの、時期違いで雪が深すぎ断念。十日町の駅前旅館に宿を取ったため作品に描かれたような農村地帯は見学できませんでした。錦鯉の養殖風景も写真に撮りたいと考えていましたが断念しています。この経験から、つげは純粋なイメージに基づいて作品を構成することになり、それがかえって彼独自の心象風景を色濃く反映させる結果となりました。

あらすじ

物語は、主人公が越後魚沼郡のはずれにある「べんぞうや」という寂れた宿に泊まる場面から始まります。宿の主人であるべんぞうと主人公は、囲炉裏を囲みながら身の上話を交わします。信濃川でのハヤ捕りや宿の雰囲気に浸る主人公に対し、べんぞうは半年ぶりの客に一喜一憂する生活者としての側面を見せます。鳥追い祭の夜、べんぞうは他家の錦鯉を盗むことを決意し、主人公もそれに同行します。

そこで出会った幼女は、実はべんぞうの娘でした。盗みに入った錦鯉養殖農家は、べんぞうの妻の実家であり、彼らは家族ぐるみで宗教に傾倒していました。コイ養殖の成功も信心のおかげだと考える妻の実家は、べんぞうにも入信を勧めますが、彼はそれを拒否します。主人公とべんぞうは、10万円の価値がある「金兜」という錦鯉を盗むことに成功しますが、宿に着く頃には鯉は凍って死んでいました。

その夜、べんぞうの宿では10万円の金兜の料理が出されますが、べんぞうは盃を片手にふてくされた様子で横になります。「お前さまはべらべらとよくしゃべるね」というべんぞうの言葉で物語は幕を閉じます。

作品の評価と影響

つげ自身は「主人公の寂しい気持ちをオーバーにならないように描きたかった」と述懐しています。当時の『ガロ』編集者であった権藤晋は、その瞬間、つげの想像力のダイナミズムにあらためて感動するとともに作家の表現者としてのバランス感覚の見事さに言葉を失ったといいます。権藤晋は本作を完成度の高さからつげの最高傑作に挙げていますが、つげ自身はまとまり過ぎている点を欠点だと考えています。作品の「リアリティ」をめぐっては、つげと権藤の間で激しい議論が交わされました。

また、京都や東京などにある「ほんやら洞」という喫茶店の名称は、この漫画に由来するものが多く、作品の影響力の大きさを物語っています。

『ほんやら洞のべんさん』は、つげ義春の作品の中でも、彼の内面世界を深く探求した作品として、多くの読者に愛され続けています。

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