エレフテリオス・ヴェニゼロス

エレフテリオス・ヴェニゼロス（Ελευθέριος Βενιζέλος, 1864年8月23日 – 1936年3月18日）は、20世紀前半のギリシャを代表する政治家です。彼は、9期12年に及ぶ長期間にわたり断続的に首相を務め、その卓越した指導力でギリシャの近代化と国際的な地位向上に大きく貢献しました。イギリスの外交官ハロルド・ニコルソンは「ヴェニゼロスとレーニンだけがヨーロッパにおける偉大な政治家である」と評し、その功績を称えました。

幼年時代と教育

1864年、ヴェニゼロスは当時オスマン帝国領であったクレタ島のハニアで、雑貨商の父キリアコスと母スティリアニの間に五番目の子として生まれました。幼少期の一部をギリシャ領のシロス島で過ごし、この時期にギリシャ国籍を取得したとされています。アテネとシロス島のギムナジウムで学んだ後、父の意向でクレタ島に戻り商売の修行を積むことになりました。しかし、父の友人でありギリシャの在クレタ総領事であったゲオルギオス・ジコマラスはヴェニゼロスの聡明さを見抜き、父を説得してアテネ大学法学部で学ばせることにしました。

1883年に父が亡くなると、ヴェニゼロスはアテネとクレタを往復しながら商売を続け、家計を支えました。1885年に経済状況が安定すると、アテネに戻り学業に専念しました。1886年、イギリスの政治家ジョゼフ・チェンバレンがアテネを訪れた際、クレタ島の人々がギリシャへの統合を望んでいることを雄弁に語り、チェンバレンを感銘させました。1887年に大学を卒業後、クレタ島で弁護士を開業し、新聞「レフカ・オリ」の編集・発行を通じて、クレタ島の人々に団結を呼びかけ、平和的な状況を作り出すことを説きました。

地方政界での活躍

1889年、ヴェニゼロスはクレタ議会議員に選出されました。彼は、ギリシャ軍の近代化が不十分である現状を認識し、クレタ島のギリシャ統合にはヨーロッパ列強の助言を得ながら慎重に進めるべきだと考えました。1896年に発生したクレタ蜂起では指導者の一員として参加しましたが、この蜂起を外交的に利用することを視野に入れていました。ヨーロッパ列強がクレタ蜂起参加者が掲げていたギリシャ国旗に砲撃を加えた際、欧米に大きな衝撃を与え、その結果、クレタ島のギリシャ正教徒らは交渉相手として認められました。ヴェニゼロスは交渉団の一員として参加しましたが、1897年4月に希土戦争が勃発したことで交渉は打ち切られました。

クレタ島に帰還後、1897年に起こったオスマン帝国に対する反乱運動に参加し、クレタ島の自治権獲得に貢献しました。その後、ギリシャ王国のゲオルギオス王子が総督に任命されると、ヴェニゼロスはその下で参事官として働きました。しかし、ゲオルギオス王子の統治に不満を感じたヴェニゼロスは「エノシス」を呼びかけ、臨時国民議会を招集しました。その結果、ゲオルギオスは総督を辞任し、アレクサンドロス・ザイミスが後任となりました。ヴェニゼロスはクレタ島統合のための政府首班に任命され、1908年10月にはクレタ島議会が「エノシス」を宣言しました。

1909年、ギリシャ王国で軍の将校によるクーデターが発生すると、ヴェニゼロスの政治手腕を高く評価したギリシャ政府は彼をアテネに招きました。総選挙の実施を主張した彼の提案は受け入れられ、1910年8月と11月の二度にわたり総選挙が実施されました。8月の選挙ではヴェニゼロスは立候補しませんでしたが首相に任命され、11月の選挙では多数派を占め、再び首相に任命されました。

中央政界への進出と辣腕

首相に就任したヴェニゼロスは、まずコンスタンティノス皇太子を陸軍に戻し、先のクーデターで抵抗した将校らを釈放することで、クーデターとは無関係であることを示しました。1911年には憲法を修正し、教育改革、土地改革のための法整備を行い、公務員の契約を公開試験で行うことなどを決定しました。さらに、将校の立候補禁止、教育の義務化と無料化、議院における議決定足数を変更するなど、社会改革を進めました。これらの政策は、当時ギリシャで進んでいた工業化のもとで増加していた労働者層から強い支持を得ました。精力的な活動の結果、財政も黒字に転換し、軍隊の整備も進められました。

1912年3月の選挙では、ヴェニゼロス派が多数を占めました。オスマン帝国内の政情不安に乗じて、セルビア、ブルガリア、モンテネグロがマケドニアを巡って暗躍すると、ヴェニゼロスもこれに加わろうとしました。バルカン諸国との間で複雑な交渉を重ねた結果、1912年10月には第一次バルカン戦争が勃発し、ギリシャはテッサロニキを占領し、エーゲ海の島々を手中に収めました。続く第二次バルカン戦争でも勝利を収め、クレタ島の統治権を手に入れたことで、ギリシャの領土は大幅に拡大しました。ヴェニゼロスのリーダーシップにより、ギリシャは地中海の重要な勢力となり、『メガリ・イデア』の実現も現実味を帯びてきました。

エスニコス・ディハズモス（国家分裂）

第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世の妹を娶り、ドイツ帝国とオーストリア＝ハンガリー帝国の軍事力を信じていたコンスタンティノス1世と、イギリス、フランスに敬意を払っていたヴェニゼロスの間に確執が生じました。ヴェニゼロスは連合国側に参加すべきだと主張しましたが、コンスタンティノス1世は中立を維持すべきだと主張し、対立は深刻化しました。

1915年2月にダーダネルス海峡でガリポリの戦いが勃発すると、ヴェニゼロスは参戦を強く主張しましたが、コンスタンティノス1世は拒否しました。これに対し、ヴェニゼロスは首相を辞任しました。1915年6月に選挙が行われヴェニゼロス派が勝利したため、ヴェニゼロスは再び首相に復帰しましたが、国王の妨害により、参戦は難航しました。1915年10月には、連合軍がテッサロニキに上陸しましたが、国王は中立を維持し続けました。1916年8月にはテッサロニキでヴェニゼロスを支持する陸軍将校らがクーデターを起こし、ヴェニゼロスはここに臨時政府を設立、ギリシャは事実上分裂しました。その後、協商国の圧力を受けたコンスタンティノス1世は国外退去を余儀なくされ、ヴェニゼロスは再び首相に就任しました。

戦後と失脚

ヴェニゼロスは首相に復帰後、国王派の粛清を進め、軍部にもその手を広げました。1918年9月、マケドニア戦線において協商国の攻勢が始まると、これに軍を参加させ戦果を挙げました。パリ講和会議にはギリシャ代表団長として参加し、スミルナ（現在のイズミル）の要求を行い、コンスタンティノープルの国際管理に賛成しました。また、ドデカネス諸島、及びイピルス北部の領土的主張も行いました。1920年8月には、セーヴル条約が締結され、スミルナの管理権を5年間維持し、その後住民投票により帰属が決定されることとなりました。しかし、条約締結直後の1920年11月の選挙で、ヴェニゼロス派は敗北し、ヴェニゼロス自身も落選しました。選挙に勝利した元国王派は国民投票を行い、コンスタンティノスを再び王位に就かせました。

元国王派はヴェニゼロスの拡大主義に反対していましたが、政権を握ると拡大主義を継続しました。しかし、ムスタファ・ケマル率いるトルコ軍に敗北し、スミルナも陥落したため、『メガリ・イデア』は終りを告げました。ギリシャ軍は小アジアで壊滅し、ギリシャ人難民がエーゲ海の島々や本土に逃れました。国内では、敗戦の混乱からスケープゴートが求められ、小アジアの司令官をはじめとする政治家や兵士らが軍事法廷で裁かれ、一部が処刑されました。

1924年、国民投票により王政が廃止され、ギリシャ第二共和政が成立しました。首相に復帰したヴェニゼロスはローザンヌ講和会議でギリシャの立場を主張しましたが、セーヴル条約で獲得した領土の多くを放棄せざるを得ませんでした。また、ギリシャとトルコの間で住民交換を行うことが決定しました。

1929年に世界恐慌が始まると、ギリシャもその影響を受け、財政危機に陥りました。ヴェニゼロスは融資を求めて奔走しましたが、失敗し、1932年にはギリシャは債務不履行となりました。この経済危機はヴェニゼロスを支持していた企業家たちを離反させ、反ヴェニゼロス派による中傷キャンペーンも行われました。1933年3月の選挙では人民党が勝利しました。同年6月にはヴェニゼロスが暗殺未遂に遭い、1935年にはクーデターを試みるも失敗し、パリに亡命しました。

亡命後も、ギリシャ国内ではヴェニゼロス派と王政復古派の争いが続きました。1935年10月には王政復古が宣言され、ゲオルギオス2世が帰国しました。ヴェニゼロスは、ギリシャが団結するために国王と協力すべきだと提言しましたが、1936年3月18日にパリで亡くなりました。彼の遺体はアテネへの搬送を拒否され、政治的原点であるクレタ島のアクロティリに埋葬されました。

ヴェニゼロスの生涯は、ギリシャの激動の時代を象徴するものであり、その功績は今もなお語り継がれています。

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