オランダ正月

オランダ正月とは

オランダ正月は、江戸時代に長崎の出島に滞在していたオランダ人や、江戸の蘭学者たちが、太陽暦（グレゴリオ暦）の正月元日を祝った宴のことです。「紅毛正月」や「オランダ冬至」とも呼ばれていました。

長崎のオランダ正月

長崎の出島では、もともとオランダ商館に滞在するオランダ人たちの間で、キリスト教暦の12月25日のクリスマスではなく、ユダヤ教の慣習に基づき、元日を祝う風習がありました。日本ではキリスト教が禁じられていたため、オランダ人は「オランダ冬至」と称して冬至に集まり、日本の正月の祝いに倣って、太陽暦の正月元日に、幕府役人や出島役人、オランダ語通訳などの日本人を招いて、西洋料理を振る舞い、オランダ式の祝宴を催しました。これが長崎の人々に「阿蘭陀正月」と呼ばれるようになった始まりです。長崎では、オランダ語通訳などの間で、この宴を真似て、オランダ式の宴が催されることもありました。

文政年間（1818年 - 1829年）の『長崎名勝図絵』には、オランダ正月の献立が記されています。牛肉、豚肉、アヒルなどの肉料理、ハム、魚のバター煮、カステラ（ポルトガル風ではなく、ケーキ類）、コーヒーなどが提供されたようです。しかし、招かれた日本の役人は、ほとんど料理に手をつけずに持ち帰ったとも言われています。そのため、商館側はオランダ料理だけでなく、日本料理も用意していたそうです。

江戸芝蘭堂のオランダ正月

江戸時代中期に活躍した通訳の吉雄耕牛（幸左衛門）の家には、オランダから輸入された家具が置かれた「阿蘭陀坐敷」があり、庭園にはオランダから渡ってきた動植物が植えられ、長崎の名所となっていました。多くの蘭学者たちが耕牛に師事しており、彼の家では太陽暦の元日に合わせてオランダ正月が開催されていました。江戸の蘭学者で指導的な立場にあった大槻玄沢も、吉雄家の洋間でのオランダ正月に参加し、感銘を受けました。

オランダ商館長（カピタン）は定期的に江戸へ参府することが義務付けられていましたが、寛政6年（1794年）にヘイスベルト・ヘンミーが江戸に参府した際、大槻玄沢が初めてオランダ人と対談しました。これを機に、玄沢は同年の閏11月11日（西暦 1795年 1月1日）に、京橋区水谷町にあった自宅の塾である芝蘭堂で、多くの蘭学者やオランダ風俗の愛好家を招き、新元会（元日の祝宴）を開催しました。ロシアに漂流した大黒屋光太夫なども招待されました。

これが江戸におけるオランダ正月の始まりです。第1回目の江戸オランダ正月は、津藩の市川岳山が描いた『芝蘭堂新元会図』で知られています。この絵には、参加者たちの寄せ書きがあり、当時の楽しげな様子が伺えます。大きな机にはワイングラス、フォーク、ナイフなどが置かれ、部屋には洋式の絵画が飾られています。他にも、玄沢の師である杉田玄白や、弟子の宇田川玄随、稲村三伯などが参加していました。

オランダ正月の背景には、8代将軍徳川吉宗による洋書輸入の一部解禁以降、蘭学の研究が盛んになり、蘭癖と呼ばれるオランダ文化の愛好家が増加したことがあります。蘭癖の舶来趣味に加え、新しい学問である蘭学が一定の市民権を得たことで、日本の伝統的な正月行事にこだわらず、蘭学者たちが親睦を深め、自身の学問の発展を願い、最新の情報を交換する場として、毎年開催されるようになりました。

当時使用されていた寛政暦などの太陰[[太陽暦]]と、西洋のグレゴリオ暦とのずれは毎年異なっていたため、便宜上、翌年以降は冬至（太陽暦ではほぼ同じ日）から数えて11日目に、オランダ正月の賀宴を開催することが恒例となりました。玄沢の子である大槻磐里が亡くなる天保8年（1837年）まで、計44回開催されたとされています。

一方、日本で祝宴が開催された1795年1月、オランダ（ネーデルラント連邦共和国）はフランス革命軍によって占領され、滅亡していました。オランダの地には、フランスの衛星国であるバタヴィア共和国が建国を宣言しました。オランダは、1815年にネーデルラント連合王国が建国されるまでの20年間、地球上に存在していなかったことになります。つまり、蘭癖の日本人たちは、オランダが滅亡と同時に、存在しないオランダの正月を祝っていたということになります。

参考文献

森銑三『新編おらんだ正月』（冨山房百科文庫（新版）、1978年 ISBN 4572001200／岩波文庫、2003年）
片桐一男『江戸の蘭方医学事始　阿蘭陀通詞・吉雄幸左衛門耕牛』（丸善ライブラリー、2000年）
金子務『江戸人物科学史「もう一つの文明開化」を訪ねて』（中公新書、2005年）ISBN 4-12-101826-5
『国史大辞典』（吉川弘文館）。「オランダ正月」（沼田次郎執筆）

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