スティグラーの法則

「スティグラーの法則（Stigler's law of eponymy）」とは、アメリカ合衆国の統計学者スティーブン・スティグラーが1980年に自身の著作で提唱した科学史・社会学的な法則です。その核心は、「科学的な発見に、最初にそれを成し遂げた人物の名前が冠されることは稀である」という皮肉な事象を指摘することにあります。エポニム（eponymy）とは、人名にちなんで命名されることを意味し、この法則は科学史における発見者の栄誉とその名称の関係性に対する洞察を提供します。

この法則が指摘するように、後世に特定の人物の名で広く知られるようになった科学的成果が、実はそれ以前に他の研究者によって独立して、あるいは先行して発見されていたという例は枚挙にいとまがありません。例えば、宇宙が膨張していることを示す「ハッブルの法則」は、エドウィン・ハッブルが発表する約2年前に、ベルギーの宇宙物理学者ジョルジュ・ルメートルが既に提唱していました。「ピタゴラスの定理」は、古代ギリシャの哲学者ピタゴラスの名が冠されていますが、その関係性自体はピタゴラスが生きた時代よりはるか昔、古代バビロニアの数学者に既に知られていたことが分かっています。また、「ハレー彗星」はエドモンド・ハレーがその周期性を計算し、回帰を予言したことで有名ですが、彗星自体の観測記録は少なくとも紀元前3世紀まで遡ることができ、ハレー以前から様々な天文学者によって観測されていました。

スティグラーの法則の最も興味深い点は、提唱者であるスティーブン・スティグラー自身が、この法則のアイデアそのものの第一発見者は自分ではないと明言していることです。彼は、この法則が示す現象は社会学者のロバート・マートンによって先行して指摘されていたものであり、したがって「スティグラーの法則」という名称自体が、まさにこの法則が予言する事態（発見者の名前が冠されない、あるいは先行発見者とは別の人物の名前が付く）を体現している、とユーモアを交えて主張しました。このように、法則名そのものが法則の具体例となっているという自己言及的な側面は、スティグラーの法則を特徴づける要素の一つです。

スティグラーの法則が指摘するような現象は、科学の歴史において普遍的に見られる傾向であり、他の多くの人々によっても同様の観察や考察が行われてきました。例えば、アメリカの文豪マーク・トウェインは、「重要なものを発明するには千人の人が必要で、最後の一人だけが名声を得る」という趣旨の言葉を残しており、多くの貢献者が忘れ去られるという科学発見の側面を風刺しています。スティーブン・スティグラーの父で経済学者であるジョージ・スティグラーも、経済学における発見の過程を調査し、ある理論の早期の陳述が無視され、後の陳述が認められるのは、科学界がその時々の主流の考え方を受け入れやすい証拠だと論じました。また、ロバート・マートンが提唱した「マタイ効果」は、既に名声のある科学者が、比較的新しい研究者よりも、たとえ同様の貢献であっても、より多くの評価を得やすいという社会的な現象を指しており、スティグラーの法則が示す名前の帰属の偏りと関連が深い概念です（女性研究者に対する類似の現象はマチルダ効果と呼ばれます）。数学の分野に特化した類似の法則として、「ボイヤーの法則」があります。これは、科学史家カール・ベンジャミン・ボイヤーの著書で多数の事例が紹介されていることから名付けられたもので、「数学の公式や定理には通常、本来の発見者の名前が付かない」とヒューバート・ケネディが1972年に提唱しました。さらに哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、「重要なことは必ず、その発見者[とされている者]以外の誰かがすでに言っている」という格言を残しています。

具体的に「スティグラーの法則」の例として挙げられる科学的成果は多岐にわたります。統計学で広く用いられる「ガウス分布」は、実際にはガウスより前にアブラーム・ド・モアブルによって初めて導入されました。光の屈折に関する「スネルの法則」は、スネル以前に10世紀のペルシャ人イブン・サフルやヨーロッパのトーマス・ハリオットが発見しており、ルネ・デカルトが初めて出版物で公表したとされています。素粒子物理学の計算に不可欠な「フェルミの黄金律」は、エンリコ・フェルミではなくポール・ディラックが発見しました。微積分学の重要な計算手法である「ロピタルの定理」も、ロピタル自身ではなくヨハン・ベルヌーイがその真の発見者です。「ベッセル関数」も、最初に定義を行ったのはダニエル・ベルヌーイです。スティーブン・スティグラー自身は、自身の専門分野である数理統計学からも多くの例を挙げており、フーリエ変換、ラプラス変換、コーシー分布、チェビシェフの不等式などが、それぞれ名の冠された人物とは異なる先行発見者を持つことを指摘しています。

スティグラーの法則は、科学における発見や功績の認定が、純粋な客観性だけでなく、コミュニケーション、認知、社会的ネットワーク、時代の受容性といった様々な要因によって複雑に影響されるプロセスであることを浮き彫りにします。これは科学史や科学社会学の研究において重要な示唆を与える法則と言えるでしょう。この法則に関連する事柄としては、エポニム、誤った名前をつけられた定理の一覧、科学的優先権（Scientific priority）、そしてマタイ効果やマチルダ効果などが挙げられます。

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