スペインによって救済される宗教

ティツィアーノ作「スペインによって救済される宗教」

イタリア・ルネサンス期の巨匠、ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1572年から1575年にかけて制作した油彩画『スペインによって救済される宗教』は、当初、フェラーラ公爵アルフォンソ1世・デステのために神話画として制作が開始されました。しかし、後に1571年のレパントの海戦におけるスペイン国王フェリペ2世の勝利を記念する寓意的な歴史画へと変更されました。現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されています。

制作経緯

1570年、オスマン帝国のセリム2世によるキプロス遠征は、ヴェネツィア共和国の統治下にあったキプロスを危機に陥れました。スペインは当初、この事態に対して消極的な態度をとっていましたが、翌年にはファマグスタが陥落。キリスト教圏からキプロスが失われたことで、ローマ教皇ピウス5世は危機感を募らせ、反攻戦力の結集を呼びかけました。その結果、スペイン、ヴェネツィア、教皇庁を中心とする連合艦隊が結成され、1571年10月7日にギリシャ西部のレパント沖でオスマン帝国艦隊との間で歴史的な海戦が行われました。

このレパントの海戦で連合艦隊は大勝利を収め、スペイン海軍は大きな名声を得ました。この戦いに従軍し負傷した詩人ミゲル・デ・セルバンテスは、後にこの海戦を「かつてなかった最も偉大な一瞬」と回顧しています。

作品の構成

ティツィアーノは、擬人化された寓意像を用いてスペインの勝利を讃えています。画面左側には、胸当てを身に着け、槍を掲げ、盾で武装した女性像「スペイン」が、剣を持つ女性像「正義」あるいは「剛毅」、甲冑を身につけた男性像を引き連れて堂々と描かれています。「スペイン」の前には青い衣をまとい、身をかがめる「宗教」の擬人像がいます。一方、画面右端には蛇が巻き付いた木があり、トルコ風の衣装をまとった男性像が二頭立ての戦車に乗って海を走っています。

「宗教」の足元には聖杯と十字架が置かれ、背後の蛇はプロテスタントによる宗教的脅威を象徴しています。海上のトルコ人男性像はおそらくネプトゥヌスで、オスマン帝国の脅威を表しています。画面左端の人物は、レパント海戦で連合艦隊を指揮したドン・フアン・デ・アウストリアであると考えられています。また、スペインの足元にはスペインの軍事力を象徴する武具やフェリペ2世の紋章が描かれた盾が置かれています。

制作年代と背景

作品の制作年代は、1571年10月のレパント海戦から、1575年9月のスペイン大使の手紙までの間と考えられています。この手紙の中で、スペイン大使ディエゴ・グスマン・デ・シルバがフェリペ2世に宛てて、本作について言及していることから判明しました。

ただし、作品の制作自体はレパントの海戦以前に遡ると考えられています。ジョルジョ・ヴァザーリは、海戦の5年前の1566年に、ティツィアーノの工房で本作品とよく似た構図の作品を目撃しています。ヴァザーリは、その作品を「支配者に自らを託す苦悩するフェラーラ」を意味すると記しており、この未完成の作品を転用し、レパント海戦を記念する作品へと変更したと考えられています。

ティツィアーノは2人の女性像の役割を変え、ネプトゥヌスを敗走するトルコ人に変更し、さらに武具や紋章、聖具を描き加えることで、全く異なる意味を持つ作品へと昇華させました。

しかし、この作品はヴァザーリが言及した未完成の作品に直接加筆されたものではない可能性もあります。複数のバージョンが存在しており、そのうちの1つである『帝国によって救われた宗教』は1568年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に贈られています。このバージョンは失われたものの、ジュリオ・フォンタナの複製版画によって図像が残されており、ほぼ同一のものであることが分かっています。また、別のバージョンがドーリア・パンフィーリ美術館に所蔵されており、科学的な調査によってトルコ人などの背景部分に加筆の形跡がないことが判明しています。

現在、一般的にはアルフォンソ1世のために制作された未完成の作品に加筆されたものがプラド美術館所蔵の作品であると考えられていますが、マクシミリアン2世に贈られた作品を未完成作に加筆したと考える説も存在します。この説はフォンタナの版画がヴァザーリの記述により近いことを根拠としています。版画では、「スペイン」に相当する「帝国」像はチュニックを着て旗を掲げ、背後の女性は剣ではなく平和の象徴であるオリーブの枝を持っています。海には海の女神アンピトリテが描かれています。

来歴

絵画はフェリペ2世によってマドリードのアルカサル宮殿に送られ、1839年にプラド美術館に収蔵されました。

ティツィアーノの「スペインによって救済される宗教」は、歴史的な背景と複雑な制作過程を持つ、重要な芸術作品です。

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