ロヒンギャの民族運動
ミャンマーのラカイン州において、ロヒンギャと呼ばれるムスリム系の人々が展開してきた民族運動は、イギリス植民地時代にその源流を持ち、以降、地域の政治情勢や国全体の変遷と深く intertwined しながら複雑な歴史をたどっています。
イギリス植民地時代（1826年 - 1942年）
イギリスの支配下で、ラカイン州は稲作地帯として発展しました。これに伴い、隣接するベンガル地方から多数のムスリム系移民が流入します。彼らの多くは定住を選び、農業に従事しましたが、小作農ではなく土地を所有する者も少なくありませんでした。当時、ラカイン州北部はムスリム系住民が、南部はラカイン族が多数を占め、両者は概ね平和的な住み分けをしながら生活していました。当時のラカイン北部には耕作可能な土地に余裕があり、またラカイン族の地主がムスリム系の季節労働力に依存していたことなどが、大規模なコミュニティ間対立が少なかった要因として挙げられています。しかし、1937年にミャンマーが英領インドから切り離され英領ビルマとなると、インド系移民への反感が募る中で、ラカイン州のムスリム系住民の間でも民族として団結する必要性が意識され、組織を結成する動きが生まれます。
第二次世界大戦時（1941年 - 1945年）
太平洋戦争が始まると、ラカイン州は日本軍とイギリス軍の間の激しい戦場となります。この混乱が、それまで比較的保たれていたムスリム系住民とラカイン族の関係を決定的に悪化させました。1942年の日本軍による占領下で、ビルマ独立義勇軍（BIA）がラカイン州南部のムスリム系住民を襲撃し、殺害や追放が行われます。これに対し、ムスリム系住民も武装して反撃し、仏塔や寺院、ラカイン族の家屋が放火・破壊される事態に発展しました。この一連の衝突により、双方合わせて数万人の死者が出たとされ、現在のバングラデシュ領への避難民も発生しました。さらにイギリス軍のラカイン奪還作戦中にも衝突は続き、ラカイン族はビルマ国民軍（BNA）系の武装組織、ムスリム系住民はイギリス軍の支援を受けたVフォースに加わり、相互に攻撃を繰り返しました。これにより、両コミュニティ間の溝は一層深まりました。
独立期（1945年 - 1947年）
第二次世界大戦終結からミャンマー独立にかけての混乱期、ラカイン州北部には東パキスタン（現バングラデシュ）からの不法移民が流入し始めました。彼らは以前からのムスリム系住民とは区別され、「ムジャヒッド」と呼ばれました。彼らは分離主義を掲げ、ラカイン州北部をパキスタンに併合するか、独立したムスリム国家を樹立することを望み、組織を結成して分離独立運動を開始します。パキスタンへの併合を求めて同国の指導者に働きかけますが、これは内政問題として拒否されました。一方、ミャンマーの独立に向けたパンロン会議にはラカイン州のムスリム系住民は招待されず、一部の組織はこれに抗議し、ムスリム自治国家の創設をイギリス政府に求めましたが無視されます。こうした動きの中で、1947年には武装組織ムジャーヒディーンが結成され、ムスリム自治国家「アラカン北部」の設立が宣言されました。
議会政治時代（1948年 - 1962年）
独立後の議会政治の下で、ラカイン州のムスリム系住民の一部は政党政治への参加を選びます。彼らは全国的なムスリム組織の支援を受け、国会にムスリム議員を送り出しました。有力なムスリム議員は武装闘争に否定的で、ムジャーヒディーンに対し武装解除を説得しようと試みましたが成功しませんでした。ムジャヒディーンの反乱が長期化するにつれて、「パキスタン人」の流入や共産主義との連携といった非難がラカイン州のムスリム系住民全体に向けられるようになります。この状況を危惧した一部のムスリム系住民は、自らを「ロヒンギャ」と称するようになり、ラカイン州北部におけるムスリム自治区の設立を政府に要求し始めました。これは、ラカイン州の設置を求めるラカイン族との間で新たな緊張を生じさせました。政府はムジャーヒディーン鎮圧と国境管理を強化するため、ラカイン州北部にマユ辺境行政区を設置します。この行政区の設立は、ムスリム系住民、特にロヒンギャを自認する人々にとって、自らのアイデンティティが政府に一定程度認められた証として記憶されることになります。これにより、ムジャーヒディーンの武装闘争の目的は失われ、組織は政府に降伏しました。
ビルマ社会主義計画党（BSPP）時代（1962年 - 1988年）
1962年のクーデターで成立したネ・ウィン軍事政権は、国民を土着民族（タインインダー）とそれ以外に分類し、土着民族中心主義を掲げました。この政策の下で、行政や教育のミャンマー語化、非ミャンマー語出版物の禁止といった同化主義的な施策が推し進められます。これにより、ロヒンギャと呼ばれる人々は公職から追われたり、ロヒンギャ語のラジオ放送が廃止されたり、ロヒンギャの名を冠した組織が解散させられたりといった抑圧を受けました。マユ辺境行政区も廃止されました。こうした状況に反発したロヒンギャの学生らがロヒンギャ独立戦線（RIF）を結成し、国際社会に窮状を訴えるロビー活動を展開します。武装勢力も再編され、ロヒンギャ愛国戦線（RPF）などが活動しました。1978年には大規模な軍事作戦「ナガーミン作戦」が実施され、多数のロヒンギャがバングラデシュへ流出する事態となります。この経験から、より厳格なイスラム路線を掲げ、国際的な連携を図るロヒンギャ連帯機構（RSO）が結成されました。彼らは国外で軍事訓練を受け、武器調達に関与しましたが、ミャンマー国内での武装闘争は限定的でした。一方、ラカイン族との協力も模索されましたが、反ロヒンギャの動きに阻まれ、実現には至りませんでした。
SLORC/SPDC時代（1988年 - 2011年）
1988年の民主化運動後の混乱に乗じて、ロヒンギャやラカイン族の武装勢力の活動が活発化します。これに対し、国軍は危機感を抱き、1991年から1992年にかけて大規模な掃討作戦「清潔で美しい国作戦」を実行しました。この作戦により、約25万人のロヒンギャが再びバングラデシュへと流出しました。政府は国境地帯の管理強化のため、軍主導の国境地帯入国管理機構（ナサカ）を設置します。ナサカは大きな権限を持つ一方、汚職が蔓延し、不法移民流入の一因とも指摘されました。また、仏教徒の入植を促すモデル村「ナタラ」も建設されました。掃討作戦で打撃を受けたロヒンギャ武装組織は再起を図り、爆弾テロなどを試みますが成功せず、主要組織は武装闘争からの引退を表明しました。この時代には、長年対立してきたロヒンギャとラカイン族の武装勢力が連携する試みもなされましたが、内部対立により再び破綻しました。
テインセイン時代（2011年 - 2015年）
民政移管後のテインセイン政権下では、言論の自由が拡大したことで、インターネット上でムスリム系住民に対するヘイトスピーチが拡散されるという皮肉な状況が生まれます。仏教徒民族主義が高まる中で、2012年にはラカイン州でムスリム系住民と仏教徒の衝突が発生し、多数の死傷者と難民が出ました。この衝突はラカイン州以外にも波及します。国際的な批判を受け、政府はナサカを解散しましたが、一方でムスリム系住民に差別的な民族保護法を制定しました。また、仮登録証明書（TRC）を持つロヒンギャへの選挙権付与案が強い反対運動で撤回されるなど、ロヒンギャの権利は制限され続けました。TRC失効後、国民証明書（NVC）の交付が始まりますが、取得の際に「ベンガル人」と自認するよう求められるなどしたため、交付率は低迷し、多くのロヒンギャが選挙権を失うこととなりました。
NLD時代（2016年 - 2020年）
NLD政権が成立し、アウンサンスーチー国家顧問がラカイン州の課題に取り組む姿勢を示すため諮問委員会を設置しますが、ロヒンギャ代表は和平会議の場に呼ばれることはありませんでした。2016年には武装集団による国境警備隊監視所襲撃事件が発生。そして2017年8月、アラカン・ロヒンギャ救世軍（ARSA）を名乗る武装組織が複数の警察署を襲撃したことで、国軍による掃討作戦が始まり、約70万人という未曾有の規模でロヒンギャ難民がバングラデシュへ流出しました。この一連の出来事により、合計90万人以上のロヒンギャが難民として国外に暮らす状況が生じています。
2021年クーデター後
2021年のクーデター後、ラカイン州ではラカイン族武装勢力であるアラカン軍（AA）と国軍の戦闘が再開しています。この中で、過去にロヒンギャ危機の発端となったARSAや、ロヒンギャ連帯機構（RSO）といったロヒンギャの武装組織が、国軍の指揮下に入りAAと戦うという複雑な構図が見られます。特にRSOはバングラデシュの難民キャンプで支配権を確立し、ロヒンギャの若者を強制徴兵して国軍側に送っていると指摘されています。この「RSO」とされる組織の実態や、バングラデシュ政府の関与については様々な憶測が飛び交っています。
ロヒンギャ民族運動は、外部からの移民という起源、ラカイン族との歴史的な関係性、国家による抑圧、そして武装闘争と難民流出という悲劇的なサイクルを経て、現在も複雑な状況下にあります。
イギリス植民地時代（1826年 - 1942年）
イギリスの支配下で、ラカイン州は稲作地帯として発展しました。これに伴い、隣接するベンガル地方から多数のムスリム系移民が流入します。彼らの多くは定住を選び、農業に従事しましたが、小作農ではなく土地を所有する者も少なくありませんでした。当時、ラカイン州北部はムスリム系住民が、南部はラカイン族が多数を占め、両者は概ね平和的な住み分けをしながら生活していました。当時のラカイン北部には耕作可能な土地に余裕があり、またラカイン族の地主がムスリム系の季節労働力に依存していたことなどが、大規模なコミュニティ間対立が少なかった要因として挙げられています。しかし、1937年にミャンマーが英領インドから切り離され英領ビルマとなると、インド系移民への反感が募る中で、ラカイン州のムスリム系住民の間でも民族として団結する必要性が意識され、組織を結成する動きが生まれます。
第二次世界大戦時（1941年 - 1945年）
太平洋戦争が始まると、ラカイン州は日本軍とイギリス軍の間の激しい戦場となります。この混乱が、それまで比較的保たれていたムスリム系住民とラカイン族の関係を決定的に悪化させました。1942年の日本軍による占領下で、ビルマ独立義勇軍（BIA）がラカイン州南部のムスリム系住民を襲撃し、殺害や追放が行われます。これに対し、ムスリム系住民も武装して反撃し、仏塔や寺院、ラカイン族の家屋が放火・破壊される事態に発展しました。この一連の衝突により、双方合わせて数万人の死者が出たとされ、現在のバングラデシュ領への避難民も発生しました。さらにイギリス軍のラカイン奪還作戦中にも衝突は続き、ラカイン族はビルマ国民軍（BNA）系の武装組織、ムスリム系住民はイギリス軍の支援を受けたVフォースに加わり、相互に攻撃を繰り返しました。これにより、両コミュニティ間の溝は一層深まりました。
独立期（1945年 - 1947年）
第二次世界大戦終結からミャンマー独立にかけての混乱期、ラカイン州北部には東パキスタン（現バングラデシュ）からの不法移民が流入し始めました。彼らは以前からのムスリム系住民とは区別され、「ムジャヒッド」と呼ばれました。彼らは分離主義を掲げ、ラカイン州北部をパキスタンに併合するか、独立したムスリム国家を樹立することを望み、組織を結成して分離独立運動を開始します。パキスタンへの併合を求めて同国の指導者に働きかけますが、これは内政問題として拒否されました。一方、ミャンマーの独立に向けたパンロン会議にはラカイン州のムスリム系住民は招待されず、一部の組織はこれに抗議し、ムスリム自治国家の創設をイギリス政府に求めましたが無視されます。こうした動きの中で、1947年には武装組織ムジャーヒディーンが結成され、ムスリム自治国家「アラカン北部」の設立が宣言されました。
議会政治時代（1948年 - 1962年）
独立後の議会政治の下で、ラカイン州のムスリム系住民の一部は政党政治への参加を選びます。彼らは全国的なムスリム組織の支援を受け、国会にムスリム議員を送り出しました。有力なムスリム議員は武装闘争に否定的で、ムジャーヒディーンに対し武装解除を説得しようと試みましたが成功しませんでした。ムジャヒディーンの反乱が長期化するにつれて、「パキスタン人」の流入や共産主義との連携といった非難がラカイン州のムスリム系住民全体に向けられるようになります。この状況を危惧した一部のムスリム系住民は、自らを「ロヒンギャ」と称するようになり、ラカイン州北部におけるムスリム自治区の設立を政府に要求し始めました。これは、ラカイン州の設置を求めるラカイン族との間で新たな緊張を生じさせました。政府はムジャーヒディーン鎮圧と国境管理を強化するため、ラカイン州北部にマユ辺境行政区を設置します。この行政区の設立は、ムスリム系住民、特にロヒンギャを自認する人々にとって、自らのアイデンティティが政府に一定程度認められた証として記憶されることになります。これにより、ムジャーヒディーンの武装闘争の目的は失われ、組織は政府に降伏しました。
ビルマ社会主義計画党（BSPP）時代（1962年 - 1988年）
1962年のクーデターで成立したネ・ウィン軍事政権は、国民を土着民族（タインインダー）とそれ以外に分類し、土着民族中心主義を掲げました。この政策の下で、行政や教育のミャンマー語化、非ミャンマー語出版物の禁止といった同化主義的な施策が推し進められます。これにより、ロヒンギャと呼ばれる人々は公職から追われたり、ロヒンギャ語のラジオ放送が廃止されたり、ロヒンギャの名を冠した組織が解散させられたりといった抑圧を受けました。マユ辺境行政区も廃止されました。こうした状況に反発したロヒンギャの学生らがロヒンギャ独立戦線（RIF）を結成し、国際社会に窮状を訴えるロビー活動を展開します。武装勢力も再編され、ロヒンギャ愛国戦線（RPF）などが活動しました。1978年には大規模な軍事作戦「ナガーミン作戦」が実施され、多数のロヒンギャがバングラデシュへ流出する事態となります。この経験から、より厳格なイスラム路線を掲げ、国際的な連携を図るロヒンギャ連帯機構（RSO）が結成されました。彼らは国外で軍事訓練を受け、武器調達に関与しましたが、ミャンマー国内での武装闘争は限定的でした。一方、ラカイン族との協力も模索されましたが、反ロヒンギャの動きに阻まれ、実現には至りませんでした。
SLORC/SPDC時代（1988年 - 2011年）
1988年の民主化運動後の混乱に乗じて、ロヒンギャやラカイン族の武装勢力の活動が活発化します。これに対し、国軍は危機感を抱き、1991年から1992年にかけて大規模な掃討作戦「清潔で美しい国作戦」を実行しました。この作戦により、約25万人のロヒンギャが再びバングラデシュへと流出しました。政府は国境地帯の管理強化のため、軍主導の国境地帯入国管理機構（ナサカ）を設置します。ナサカは大きな権限を持つ一方、汚職が蔓延し、不法移民流入の一因とも指摘されました。また、仏教徒の入植を促すモデル村「ナタラ」も建設されました。掃討作戦で打撃を受けたロヒンギャ武装組織は再起を図り、爆弾テロなどを試みますが成功せず、主要組織は武装闘争からの引退を表明しました。この時代には、長年対立してきたロヒンギャとラカイン族の武装勢力が連携する試みもなされましたが、内部対立により再び破綻しました。
テインセイン時代（2011年 - 2015年）
民政移管後のテインセイン政権下では、言論の自由が拡大したことで、インターネット上でムスリム系住民に対するヘイトスピーチが拡散されるという皮肉な状況が生まれます。仏教徒民族主義が高まる中で、2012年にはラカイン州でムスリム系住民と仏教徒の衝突が発生し、多数の死傷者と難民が出ました。この衝突はラカイン州以外にも波及します。国際的な批判を受け、政府はナサカを解散しましたが、一方でムスリム系住民に差別的な民族保護法を制定しました。また、仮登録証明書（TRC）を持つロヒンギャへの選挙権付与案が強い反対運動で撤回されるなど、ロヒンギャの権利は制限され続けました。TRC失効後、国民証明書（NVC）の交付が始まりますが、取得の際に「ベンガル人」と自認するよう求められるなどしたため、交付率は低迷し、多くのロヒンギャが選挙権を失うこととなりました。
NLD時代（2016年 - 2020年）
NLD政権が成立し、アウンサンスーチー国家顧問がラカイン州の課題に取り組む姿勢を示すため諮問委員会を設置しますが、ロヒンギャ代表は和平会議の場に呼ばれることはありませんでした。2016年には武装集団による国境警備隊監視所襲撃事件が発生。そして2017年8月、アラカン・ロヒンギャ救世軍（ARSA）を名乗る武装組織が複数の警察署を襲撃したことで、国軍による掃討作戦が始まり、約70万人という未曾有の規模でロヒンギャ難民がバングラデシュへ流出しました。この一連の出来事により、合計90万人以上のロヒンギャが難民として国外に暮らす状況が生じています。
2021年クーデター後
2021年のクーデター後、ラカイン州ではラカイン族武装勢力であるアラカン軍（AA）と国軍の戦闘が再開しています。この中で、過去にロヒンギャ危機の発端となったARSAや、ロヒンギャ連帯機構（RSO）といったロヒンギャの武装組織が、国軍の指揮下に入りAAと戦うという複雑な構図が見られます。特にRSOはバングラデシュの難民キャンプで支配権を確立し、ロヒンギャの若者を強制徴兵して国軍側に送っていると指摘されています。この「RSO」とされる組織の実態や、バングラデシュ政府の関与については様々な憶測が飛び交っています。
ロヒンギャ民族運動は、外部からの移民という起源、ラカイン族との歴史的な関係性、国家による抑圧、そして武装闘争と難民流出という悲劇的なサイクルを経て、現在も複雑な状況下にあります。
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