ロンスヴォーの戦い

ロンスヴォーの戦いは、西暦778年に現在のスペイン、ナバーラ州に位置するピレネー山脈中のロンセスバーリェス峠で発生した軍事衝突です。フランク王国軍と、山岳地帯を本拠とするバスク人勢力の間で戦われました。

この戦いは、イベリア半島への遠征から帰還途上のカール大帝率いるフランク軍後衛部隊が、バスク人部隊による待ち伏せ攻撃を受けたものです。特に、後衛を率いていたブルターニュ辺境伯ローランが戦死したことが知られています。これは、輝かしい軍事歴を持つカール大帝にとって数少ない、歴史上唯一の敗北として記録されています。

背景

フランク王国の南進

フランク王国のカロリング朝を開いたピピン3世（小ピピン）は、フランス南西部のアキテーヌ公国を服属させ、その影響力を拡大していました。アキテーヌの主力であったヴァスコニア（後のガスコーニュ）のバスク人も一度はピピン3世に服従しました。しかし、ガロンヌ川以南の地域は自治を維持していました。カール大帝は778年、この地域へのフランク支配を強化するため、フランク人やブルグント人の高官を送り込み、フェザンサックやボルドー、トゥールーズなどに辺境伯領を設置して、ヴァスコニアへの浸食を進めました。

イベリア半島の動向

当時、イベリア半島では、アッバース朝から独立した後ウマイヤ朝が勢力を拡大していました。これに対し、アッバース朝側であったバルセロナやジローナの長官スレイマン・アル・アラビーは、フランク王国に支援を求め、カール大帝に服従を申し出ました。これは、アッバース朝カリフも後ウマイヤ朝討伐の準備を進めているという情報とも相まって、キリスト教勢力拡大の好機と捉えられました。

カール大帝のイベリア遠征

アル・アラビーの要請に応じたカール大帝は、778年に大軍を率いてピレネーを越えてイベリア半島に侵攻しました。アル・アラビーの案内でフランク軍はサラゴサを包囲しましたが、サラゴサの守将フサインは変心して降伏を拒否しました。包囲が長期化し、さらに北方でのザクセン人の反乱の報が届いたため、カール大帝は本国への帰還を決断しました。

帰途に就く前に、カール大帝は自身の権威への潜在的な脅威と見なしたヴァスコニア地方のバスク人を含む勢力を排除しようとしました。特に、バスクの中心都市パンプローナは城壁が破壊され、町自体が徹底的に破壊されたとも伝えられています。ヴァスコニアの多くの町も同様に破壊され、フランク軍の前哨基地が設置されました。

戦闘の経緯

故郷を蹂躙されたバスク人たちは、フランク軍に対する激しい復讐心を燃やしていました。彼らは地形を利用してフランク軍に気づかれぬよう追跡し、ピレネー越えの難所に先回りして待ち伏せました。

バスク人部隊は、ガスコーニュ公ルポ2世に率いられたとも言われています。彼らは鎧を身につけず、短槍やナイフ、弓、投石器で武装した、機動力の高い山岳ゲリラ戦を得意とする部隊でした。彼らの襲撃は、ヴァスコニアへのフランク支配への抵抗という側面のほか、フランク軍の輜重隊（物資輸送部隊）の略奪を目的としたものであったという見方もあります。

778年8月15日の夜、フランク軍の後衛部隊がピレネーの峠を進んでいる最中、バスク部隊は突如として襲いかかりました。フランク軍後衛には、ブルターニュ辺境伯ローランや宮宰エッギハルドといったカール大帝の重要な家臣たちがおり、本隊の退却を支援し、膨大な財宝を含む輜重隊を護衛していました。奇襲を受けたフランク軍はパニックに陥り、地形を熟知したバスク人部隊の巧みな攻撃によって分断されました。ローラン率いる殿軍はしばらく抗戦しましたが、最終的には全滅しました。

この後衛部隊の壊滅的な犠牲によって、カール大帝とフランク軍本隊は辛うじて危地を脱することができました。バスク軍は輜重隊から略奪を行った後、夜陰に乗じて退却し、フランク軍の追撃を振り切りました。

戦闘の後

カール大帝の伝記作家アインハルトは、この戦いでフランク軍の「しんがりの戦士は最後の一人まで殺された」と記しています。多くの著名な貴族や重臣（エッギハルド、ローラン、アンセルムスなど）が命を落とし、サラゴサで得た財宝も失われました。戦いの規模自体は比較的小さかったものの、カール大帝にとっては痛恨の損失であり、その軍歴における唯一の汚点として記憶されました。

この後、カール大帝自身が再びイベリアに遠征することはなく、その後の軍事行動は配下の将軍に委ねられました。フランク王国は795年にイスラーム勢力に対する緩衝地帯としてスペイン辺境領を設置し、徐々に勢力を拡大しました。また、カール大帝はアキテーヌを確実に掌握するため、息子のルイ敬虔王を王とするアキテーヌ王国を建国しました。ピレネー山脈周辺地域でもカロリング朝による統治とキリスト教化が進められましたが、バスク人は790年頃まで抵抗を続けました。

サラゴサはイスラーム勢力下に留まり、パンプローナも一時期イスラームの支配を受けましたが、バスク人の反乱を経て824年にはパンプローナ王国が成立しました。この王国は建国直後にフランク軍の侵攻を受けますが、再びロンスヴォーの地でフランク軍を撃破しています。これが「第2次ロンスヴォーの戦い」と呼ばれ、フランク軍はより大きな損害を被ったとされています。

伝説と影響

歴史上のロンスヴォーの戦いは、口頭伝承を経て大幅に脚色されていきました。フランク軍とバスク人との間の小規模な戦闘は、いつしかキリスト教徒とイスラーム教徒（サラセン人）の間の壮大な激戦へと姿を変え、敵軍は数十万人規模に膨れ上がりました。ローランの戦死も、単なる奇襲での戦死から、英雄的な玉砕譚として語られるようになりました。

この伝説化された物語の中で、「聖剣デュランダル」や「ローランの角笛オリファン」といった要素が加えられ、ローランは中世ヨーロッパにおける理想的な騎士像として絶大な人気を博しました。11世紀には、ローランの活躍を歌い上げた作者不詳の古フランス語叙事詩『ローランの歌』が成立しました。これは、オイル語（古フランス語の一方言）で書かれた現存する最古の武勲詩であり、フランス文学の重要な源流の一つです。

『ローランの歌』に描かれたローランとその仲間たち（パラディン、十二勇将）の物語は、イングランドのアーサー王物語と並んで、中世ヨーロッパの騎士道を象徴する存在となり、その後の騎士文化に計り知れない影響を与えました。戦場で騎士たちの士気を高めるためにこの歌が歌われた事例もあり、特に1066年のヘイスティングズの戦いでは、ノルマンディー公ウィリアム（征服王）の軍勢が戦闘前に『ローランの歌』を歌ったと伝えられています。ローランの武勲は、ルネサンス期のイタリア叙事詩『狂えるオルランド』にも引き継がれています。

このように、ロンスヴォーの戦いは歴史的にはカール大帝の数少ない敗北という位置づけに留まらず、その後の伝説化を通じて中世ヨーロッパの文学、文化、特に騎士道の精神形成に深く関わることとなった、非常に影響力の大きい出来事と言えます。

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