二笑亭

二笑亭：深川に現れた異形の建築

二笑亭は、東京深川（現在の門前仲町二丁目）に存在した、地主・渡辺金蔵によって建てられた個人住宅です。渡辺自身が設計から建築までを指揮したこの建物は、その特異な外観から「牢」や「お化け屋敷」と近隣住民から呼ばれていました。二笑亭は、1920年代後半から1930年代初頭にかけて建設され、その奇妙な構造と閉鎖的な雰囲気は、当時から多くの人々の関心を集めました。

建設の経緯

関東大震災後の1925年から1926年にかけて、渡辺金蔵は世界一周旅行に出かけました。帰国後、区画整理が進んだ深川の地に、バラック建てだった自邸を本格的な建築物として改築することを決意します。1927年頃に着工された二笑亭ですが、渡辺は設計図を持たず、大工に口頭で指示を出すという異例の手法で建築を進めました。その指示も頻繁に変更されたため、工事は幾度も中断し、1931年8月にようやく新築届が提出されたものの、その後も工事は続けられました。こうした状況から、家族は渡辺の奇行に耐えかねて別居し、最終的には渡辺と女中だけが二笑亭に残りました。

1936年4月には、渡辺が自宅の電話を無料返却するという奇妙な事件が発生します。この事件をきっかけに、家族は渡辺を加命堂脳病院に入院させます。入院から2年後の1938年頃、二笑亭は取り壊されました。渡辺金蔵は1942年に亡くなり、深川の玉泉院に埋葬されています。現在、二笑亭があった場所にはインテリア店が建っています。

二笑亭の奇妙な特徴

二笑亭は、その閉鎖的で特異な外観から、近所では異質な存在として認識されていました。精神科医の式場隆三郎は、この建物に強い興味を抱き、建築家の谷口吉郎とともに取り壊し前に調査を行いました。その調査結果は、写真とともに『二笑亭綺譚』としてまとめられ、二笑亭に関する貴重な資料となっています。

式場の記録によると、二笑亭には以下のような数々の奇妙な特徴がありました。

敷地と建坪: 敷地95.7坪に対し、建坪は約67坪と、当時の一般的な建築単位である尺や間を守っていません。
構造: 木造2階建てでありながら、物置と炊事場は鉄骨造という異質な組み合わせ。
窓: 正面二階には、五角形を組み合わせた巨大なはめ殺しのガラス窓が三枚設置されています。
玄関: 入り口には、鉄製の半円形の雨よけが設置されています。
裏門: 裏門には、出入りの邪魔になるように菱形の枠が設けられています。
塀: 鉄棒をずらりと立てて作られた、牢獄のような塀。
壁: ガラス入りの節穴窓を空けた室内の壁。
風呂: 和式と洋式の風呂を隣り合わせに配置した、和洋合体風呂。
はしご: 屋根を越えて空に伸びるだけの、実用性のないはしご。
棚: 傾いた違い棚。
土蔵: 土蔵の中の床から天井に伸びる、昇ることができないはしご。
押入: 奥行きが異常に浅く、使いようのない押入（関東大震災後の区画整理計画により、建物の側面が強制取り壊しとなったため）。
便所: 中庭の離れに設置された、扉が下半分しかない便所。
狛犬: 左右とも口を閉じた狛犬。
* 壁: 虫よけとして黒砂糖と除虫菊を練りこんだ壁。

これらの特徴は、渡辺の独創的な発想と、既存の建築様式にとらわれない自由な精神を物語っています。

芸術や研究からの視点

漫画家の水木しげるは、著書『東西奇ッ怪紳士録』の中で「二笑亭主人」と題して、二笑亭と渡辺金蔵を取り上げています。また、建築史家の藤森照信は、二笑亭の建築をダダイスムのマヴォやポストモダン建築の石井和紘と比較し、その特異性を論じています。藤森は、二笑亭の全体構造のアシンメトリー化と、逆に本来アシンメトリーな部分をシンメトリーとしている点を指摘しています。

また、式場隆三郎の子息である式場隆成は、「定本　二笑亭綺譚」の中で、渡辺金蔵が茶道（鎮信流）に造詣が深く、二笑亭の構成にも茶道の影響が見られると述べています。

電話返却事件

1936年春、渡辺は当時高価だった自宅の電話の無料返却を申し出ました。当局がその理由を尋ねると、渡辺は「電話を使わないのに料金を払うのは悪いことだ」と答えました。この事件をきっかけに、別居していた家族は渡辺を入院させることになります。この事件は、渡辺の特異な思考を象徴する出来事として知られています。

二笑亭の遺産

二笑亭は取り壊されてしまいましたが、その特異な建築は多くの人々の記憶に残っています。特に、式場隆三郎が著した『二笑亭綺譚』は、二笑亭の姿を後世に伝える貴重な資料となっています。また、二笑亭は、現代においても、芸術や建築の研究において、その独創性から注目を集め続けています。それは、既成概念にとらわれない自由な発想の重要性を、私たちに示唆しているといえるでしょう。

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