伊藤祐民

伊藤次郎左衞門祐民

伊藤 次郎左衞門祐民（いとう じろうざえもんすけたみ）は、明治11年（1878年）5月26日に愛知県名古屋市で生を受け、昭和15年（1940年）1月25日にその生涯を終えた実業家です。松坂屋の前身である呉服店「いとう」を株式会社組織とし、近代的な百貨店へと発展させた立役者であり、初代の代表を務めました。隠居後の名は治助。15代目の伊藤次郎左衞門となります。

幼少期と特別な教育

14代目伊藤次郎左衞門祐昌の四男として生まれた祐民は、本来であれば家督を継ぐ立場ではありませんでした。幼名は守松。幼い頃は身体が弱かったものの、いたずら好きな一面もあったといわれます。長兄と次兄は幼くして亡くなり、年子の三兄・宮松も若くして急逝したため、17歳で伊藤家の跡継ぎとなりました。

明治26年（1893年）に明倫小学校高等部を卒業後、当時の商家の慣習に倣い、正規の学校教育には進まず、自宅で多岐にわたる分野の個人教授を受けました。雅楽、龍笛、謡曲、茶道、水彩画、狂言、漢文、漢学、弓道といった専門家から指導を受けたほか、父や祖父からも茶道、和歌、国文学、雅楽、書道などの手ほどきを受けるなど、幅広い教養を身につけました。

事業の近代化と挑戦

家業に関わるようになった祐民は、革新的な経営手法を取り入れます。明治40年（1907年）の上野いとう松坂屋の新装開店に際し、江戸時代から続いていた「座売り」を廃止し、商品を棚に並べる「立ち売り」形式へと変更しました。これは当時の呉服店では画期的な試みでした。

明治42年（1909年）8月、渋沢栄一を団長とする渡米実業団に伊藤銀行取締役として参加した際、アメリカのデパートを視察し、その経営手法に多大な影響を受けます。これが契機となり、翌明治43年（1910年）には株式会社いとう呉服店を創立。同年、第10回関西府県連合共進会が名古屋で開催されるのに先駆け、名古屋市中区栄町に3階建ての洋館形式による百貨店を開業しました。この開業に際しては、すでに百貨店として成功していた三越の専務・日比翁助に直接教えを請うなど、謙虚かつ学ぶ姿勢も持ち合わせていました。

災害対応と商号統一

大正5年（1916年）に完成した洋風4階建ての上野店は、大正12年（1923年）の関東大震災で惜しくも全焼してしまいます。しかし祐民は、全社員に3ヶ月分の給与を前払いする異例の対応をとるとともに、「松坂屋慰問団」を結成して被災者への生活必需品配布などの支援活動を展開しました。この時、名古屋の店舗からも支援者を派遣し、自らも軍の駆逐艦で被災地へ駆けつけ陣頭指揮にあたったといいます。これらの迅速かつ手厚い対応は、被災した上野周辺住民を中心に大きな信頼と好感を生み、松坂屋の名を広く知らしめる結果となりました。この知名度向上を受け、大正14年（1925年）には、全国の店舗の商号を「松坂屋」に統一しました。

揚輝荘とオッタマとの交流

大正7年（1918年）には、覚王山日泰寺に隣接する広大な敷地に別荘「揚輝荘」の建設を開始します。翌年、妻の貞が急逝した後、大正11年頃には揚輝荘を自宅とし定住。この頃、川橋千代と再婚しました。大正13年（1924年）には15代目伊藤次郎左衛門を正式に襲名しています。

祐民の人生に大きな影響を与えた出来事の一つに、ビルマ（現ミャンマー）の僧侶で独立運動家でもあったウ・オッタマとの交流があります。明治41年（1908年）、いとう呉服店栄店の開店日に偶然店を訪れたオッタマとの出会いをきっかけに、祐民はビルマからの留学生受け入れを約束。実際に6名の留学生を受け入れ、自宅に同居させながら日本語や日本の文化・作法を教え、その後、日本の学校で学ばせるなど手厚く支援しました。これは後に揚輝荘が多くの海外留学生を受け入れる国際交流の拠点となる礎となりました。オッタマがイギリス政府により日本への渡航を禁じられた後も交流は続き、昭和9年（1934年）に祐民がビルマやインドを歴訪した際に再会し、共に仏跡を巡拝しています。

公職と晩年

実業界での実績に加え、祐民は公職にも尽力しました。昭和2年（1927年）11月から昭和8年（1933年）1月にかけて、名古屋商工会議所の第9代会頭を務めました。会頭在任中の昭和6年（1931年）には、1000人規模の支那視察団の団長として中国を訪問しています。

昭和8年（1933年）、自らが定めた55歳という年齢での定年制に従い、一切の公職から退きました。同年には財団法人衆善会を設立するなど社会貢献にも努めます。翌昭和9年（1934年）には先に述べたビルマ・インドへの仏跡巡拝の旅に出、帰国後はその経験を各地で講演しました。駐タイ特命全権公使矢田部保吉の要望に応じ、昭和10年（1935年）には名古屋日暹協会（現・愛知県日・タイ協会）を設立するなど、国際的な活動も行いました。昭和11年（1936年）には、名古屋初の本格的なシティホテルである名古屋観光ホテルの創業に中心となって携わっています。

昭和14年（1939年）に体調を崩し手術を受けた後、揚輝荘で療養していましたが、10月には茶屋町の居宅に戻り、家督を長男の祐茲に譲りました。この際に隠居名である治助を名乗ります。昭和15年（1940年）1月25日、61歳で死去しました。

人物像

本来は家督を継ぐ立場ではなかったためか、祐民は古い慣習や因習にとらわれない自由闊達な人物でした。いとう呉服店の栄店を百貨店として開業する際には、父や古参の店員からの反対を押し切って実現させるなど、強い意志を持って改革を推し進めました。幼少期からのいたずら好きな一面は大人になっても変わらず、友人をからかうこともあったといわれます。一方で、代々の当主と同様に仏教への信仰が篤く、これがウ・オッタマとの交流や国際支援に繋がる基盤となりました。

歿後、昭和16年（1941年）7月3日に紺綬褒章飾版を授与されています。

祐民の築いた基盤は、その後の松坂屋の発展のみならず、名古屋の国際交流や産業振興にも大きな足跡を残しました。

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