元和本源氏物語

元和本源氏物語：簡素な本文に秘められた謎

元和本源氏物語は、江戸時代初期の元和年間（1615～1624年）に刊行された、古活字本の『源氏物語』版本です。刊記に元和9年（1623年）夏の刊行と記されていることから、この名称で呼ばれています。

この版本は、表紙に『源氏物語』としか記されておらず、固有の表題がありません。そのため「無印源氏」と呼ばれることもあります。さらに、挿絵や注釈が一切なく、本文のみで構成されていることから「素源氏」という別名も持っています。簡素な装丁が特徴的な初期の版本の一つと言えるでしょう。

刊記には「落陽二条通鶴屋町富社哥鑑開板」とあり、京都で出版されたことは明らかです。しかしながら、この「富社哥鑑」が何者であったのかは、現在も不明な点です。

本文の特徴と系統

元和本源氏物語の本文は、多くの源氏物語版本と同様に、三条西家本系統の青表紙本に分類されます。しかしながら、詳細に比較検討すると、「伝嵯峨本源氏物語」や「絵入源氏物語」、「首書源氏物語」、「源氏物語湖月抄」といった、広く知られる主要な版本とは、微妙な差異が見られます。

実際、元和本は「無刊記整版本源氏物語」や「版本万水一露」といった他の版本と、一つのグループを形成すると考えられています。これらの版本は、来歴の明確な写本を底本としていないと考えられており、何らかの末流写本を底本として用いた可能性が高いです。

さらに、河海抄などの注釈書で引用されている河内本の本文と一致する部分も見られますが、一方で、その由来が不明な異文も少なくありません。これらのことから、元和本源氏物語の本文は、複数の系統の写本が混在した複雑な成立過程を経ていることが示唆されます。

未解明な点と今後の研究

元和本源氏物語は、刊行された時期や簡素な本文、そしてその本文の系統など、多くの謎に包まれた版本です。「富社哥鑑」という人物の正体、本文の具体的な写本系統、そして本文中に見られる異文の由来など、今後の研究によって解明されるべき課題は数多く存在します。

この版本は、単なる『源氏物語』の版本としてだけでなく、江戸時代初期の出版文化や、テキストの伝播過程を理解する上で重要な資料と言えます。今後、さらなる研究を通して、この貴重な古書の謎が解き明かされることに期待したいです。

参考文献

清水婦久子『源氏物語版本の研究』研究叢書292 、和泉書院、2003年
川瀬一馬著『古活字版之研究』増補版、日本古書籍商協会、1967年
* 大津有一「諸本解題　元和九年刊源氏物語」『源氏物語事典　下巻』東京堂

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