南坡の変

南坡の変（なんはのへん）

南坡の変は、至治3年（1323年）に大元ウルスで発生した政変であり、当時の皇帝であったゲゲーン・カアン（英宗シデバラ）が暗殺された事件です。この事件は、大元ウルス内部の権力闘争が激化する中で起こり、その後の政治情勢に大きな影響を与えました。

事件の背景

ゲゲーン・カアンの祖母であるダギは、子のクルク・カアン（武宗ハイシャン）が即位して以来、興聖宮を拠点として絶大な権力を振るっていました。クルク・カアンの死後、弟のブヤント・カアン（仁宗アユルバルワダ）が即位すると、ダギの権力は一層強化され、同時にカアンの権力は空洞化していきました。ブヤント・カアンの死後、息子のシデバラが即位する際にも、ダギの傀儡政権であることが公然と語られ、ダギの信任を受けたテムデルが太師右丞相として報復人事を行いました。

しかし、新たに即位したゲゲーン・カアンは、父のブヤント・カアンとは異なり、自らが傀儡状態にあることを快く思わず、ジャライル国王家のバイジュを起用してテムデル勢力の削減を図りました。至治2年（1322年）には、ダギとテムデルが相次いで亡くなり、自らを掣肘する存在がいなくなったゲゲーン・カアンは、バイジュを中書右丞相とし、新政を開始しました。その一方で、ゲゲーン・カアンは旧テムデル勢力を朝廷から一掃することにも力を注ぎ、テムデルの子を処刑し、その財産を没収しました。

かつてテムデルと近しい関係にあったテクシは、ゲゲーン・カアンの治世の下で御史大夫に任ぜられ、左・右阿速衛（アスト軍閥）を率いていましたが、テムデルの子が処刑されたのを見て、自らも処罰の対象となるのではないかと不安に駆られるようになりました。そこでテクシは、同様にゲゲーン・カアンの粛正に怯える旧テムデル派の高官、安西王国を廃止された恨みを持つ有力皇族のオルク・テムル及びアルタン・ブカ、ゲゲーン・カアンの弟でありながら冷遇されていたウドゥス・ブカらと協力して、ゲゲーン・カアンの暗殺計画を立案しました。

南坡の変の勃発

至治3年8月4日（1323年9月4日）、季節移動を行うゲゲーン・カアンとバイジュは、上都（夏営地）から大都（冬営地）への移動中であり、南坡に天幕を張っていました。テクシは、知枢密院事エセン・テムル、大司農シクドゥル、前平章政事チギン・テムル、前雲南行省平章政事オルジェイ、テムデルの子で前治書侍御史のソナム、テクシの弟で宣徽使の鎖南、典瑞院使トゴチ、枢密院副使アサン、僉書枢密院事章台、衛士トゥメン、諸王アルタン・ブカ、ボラト、オルク・テムル、オルク・ブカ、ウルス・ブカらとともに、自らの配下にあるアスト兵を率いてゲゲーン・カーンの天幕を襲撃しました。

テクシらはまず右丞相バイジュを殺害し、次いで天幕の中にいたゲゲーン・カアンを弑逆しました。こうしてゲゲーン・カアンは、治世3年、享年21歳で南坡で崩御することとなりました。

その後の影響

南坡の変当時、ゲゲーン・カアンにはまだ息子がおらず、新たなカアンは別の皇統から選ばなければならなくなりました。ゲゲーン・カアンと血統が近く、カアンの最有力候補であったのは、クルク・カアンの遺児のコシラ（後の明宗）とトク・テムル（後の文宗）でしたが、テクシらが実際に擁立したのは、やや遠縁の晋王（ジノン）イェスン・テムルでした。

これは、そもそもクルク・カアンの遺児を冷遇したのがダギ－テムデル勢力であり、その残党であるテクシ等がカアンに擁立したとしても、かつての恨みから報復人事を行われることが予想されたこと、またコンギラト部出身のダギの下で栄達したテクシらにとって、非コンギラトの母から生まれたクルク・カアンの遺児よりも、コンギラト出身の母のブヤンケルミシュを持つイェスン・テムルを擁立する方が都合が良かったことなどが理由にあったと考えられています。

しかし、クルク・カアンの遺児こそが正統なるカアンに相応しいと考える勢力は多数残っており、彼らはイェスン・テムルの血統による統治を好まず、その死後に天暦の内乱を引き起こすこととなります。



参考資料
岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』藤原書店、2010年
杉山正明「大元ウルスの三大王国 : カイシャンの奪権とその前後(上)」『京都大學文學部研究紀要』第34巻、京都大學文學部、1995年3月、92-150頁

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