奥吉野方言

奥吉野方言

奥吉野方言は、奈良県南部の十津川村、上北山村、下北山村、天川村、五條市旧大塔村地区で話されている日本語の方言です。この地域は、紀伊山地に囲まれた山深い場所であり、その地理的な特性から、独自の言語文化が育まれてきました。そのため、近畿地方に位置しながらも、東京式アクセントを用いるなど、他の方言とは異なる特徴を持っています。

概要・区画

奈良県の方言は、大きく北部方言（奈良弁）と南部方言（奥吉野方言）に分けられます。この境界線は、天辻峠、小南峠、伯母峰峠といった山々によって隔てられています。奥吉野は、長らく周囲との交通が困難であったため、独特の方言が発達しました。しかし、近年のマスメディアの影響、ダム建設による住民の移転、交通網の整備、過疎化などにより、奥吉野方言も急速に変化しつつあります。

南部方言の中でも、十津川村、上北山村、下北山村、大塔村、天川村ではそれぞれ方言に違いが見られます。また、野迫川村は北部方言に分類されますが、南部方言の特徴も持っているため、南部方言に含めるという説もあります。

西宮一民氏による区分では、南部方言（奥吉野方言）は以下のように分類されます。

十津川方言：吉野郡十津川村
北山方言：
上北山方言：吉野郡上北山村
下北山方言：吉野郡下北山村
大塔・天川方言：
大塔天川方言：五條市旧大塔村、吉野郡天川村
洞川方言：吉野郡天川村洞川

音声

奥吉野方言のアクセントは、内輪東京式アクセントです。これは、名古屋弁、丹後弁、岡山弁などと同じ種類で、東京のアクセントとはやや異なります。しかし、地域によってアクセントが異なる場合もあります。例えば、無核型アクセントでも、「かぜが」という単語の発音が、上北山村・下北山村では「かぜが」のように初拍が強く発音されることがあります。

また、京阪式アクセント地域との境界にあたる天川村（洞川を除く）から旧大塔村阪本にかけての地域では、東京式と京阪式の中間的なアクセントが使われています。特に、天川村坪内、和田、塩野、旧大塔村阪本などの集落では、アクセントが一定ではなく、揺れが見られます。一方で、山奥の天川村洞川は、東京式アクセントですが、同じ東京式アクセントを使う十津川村や上北山村とは地理的に離れており、孤立しています。また、下北山村池原は、地理的に三重県紀北町と同じアクセントを使っています。

近畿方言では、「エイ」が「エー」に変化する（例：丁寧→てえねえ）以外の連母音変化はあまり見られませんが、奥吉野方言では、「アイ」が「アー」（例：大根→だあこ、早い→はやあ）、「ウイ」が「イー」（例：明るい→あかりい）に変化する現象が見られます。また、近畿方言によく見られる「目→めえ」のような1拍語の長音化は起こらず、「行こおか→いこか」や「おもおた→おもた（思った）」のような短音化も起こりません。

全県的に、「座布団→だぶとん」「雑巾→どおきん」のようにザ行音がダ行音に変わる現象がよく見られます。特に、天川村洞川ではこの現象が顕著です。また、「…けど→…けろ」のように、ザ・ダ行音とラ行音が混同されることもあります。

古音としては、四つ仮名の区別が残っているほか、全県で合拗音クヮ・グヮが使われています。また、奥吉野の一部では、語中・語尾のダ行鼻濁音（十津川村では [d̃]、下北山村では [nd]）が見られますが、クヮ・グヮは急速に消滅しつつあります。

その他に、天川村洞川では、「貸して→かいせ」「消しとけ→けいそけ」「明日→あいさ」「人→ひそ／いそ」のようにタ行音とサ行音が入れ替わるという特殊な現象が見られます。

文法

活用など

動詞

奥吉野方言では、「ゆうて（言って）」「こおた（買った）」のようなア・ワ行ウ音便が見られるほか、各地で特殊な音便が存在します。十津川村や下北山村では、「かあて（書いて）」「なあて（泣いて）」のような音便が見られます。天川村洞川では、「とんだ（研いだ）」「つんだ（注いだ）」のようなガ行撥音便が、天川村坪内ではその前段階とみられる「といんだ」が見られます。また、十津川村、旧大塔村、下北山村では「のおで／のおんで／のおんで（飲んで）」のようなバ・マ行ウ音便が見られます。さらに、サ行イ音便は天川村洞川で徹底的に音便化します。

奥吉野方言では、「見らん（見ん）」「見れ（見よ）」「見ろお（見よう）」のように、一段動詞が五段活用化する傾向があります。一方で、十津川村では「起くる」「笑わるる（受身）」「見さする（使役）」「飛ばるる（可能）」のように、二段活用が残っています。

形容詞

全県で「あこおなる（赤くなる）」「よおない（良くない）」のようなウ音便が見られます。天川村洞川では、「良い」の語幹がすべて「え」となり、「えかった（良かった）」「えけりゃ（良ければ）」「えかろお（良かろう）」のように活用します。

主な表現

断定

「じゃ」または「だ」が用いられますが、「じゃ」の方がよく使われます。

否定

「-ん」「-せん」「-やせん」が用いられます。「-ん」には「見いでも（見なくても）」「まだ行かずか（まだ行かないのか）」「書かんどくに（書かないままに）」などの表現があります。仮定形は「書かにゃあ」「書かんだら」「書かなんだら」、過去形は「書かんだ」「書かなんだ」ですが、昭和初期以降は「書かんかった」も使われるようになりました。

受身・可能・自発

五段・サ変では共通語と同じく「-れる」を使いますが、それ以外では「-られる」ではなく「-やれる」を使います。十津川村では二段活用の「-るる」「-らるる」が残っています。

例：見える／見やれる／見れる／よう見る／見らるる（いずれも共通語では「見ることができる」の意。）

使役

五段・サ変には「-す」、それ以外には「-さす」を使います。十津川村では二段活用が残っています。

例：食べさす／食べさする（食べさせる）

打消推量・意志

「-まい」がよく使われ、「書こうまい」「泣かまい」「せまい・来やしまい」の3通りの接続があります。

アスペクト

奥吉野方言では、進行と結果の相の区別があります。進行は「-おる」の変形（降りよる、降りょる、降りょおる、降っりょる、降ろる）で、結果は「-ておる」の変形（降っとる）で表します。

例：「雪降りよる」は雪がちらちらと降っている状態、「雪降っとる」は雪が降り積もっている状態を表します。

待遇

待遇表現は、奈良弁では助動詞や補助動詞を使うのに対し、奥吉野では文末助詞による待遇のみです。待遇表現は地域によって使い方が異なり、同じ形でも意味が異なることがあります。ここでは、敬いの気持ちを込めて使うものを「敬」、親しみを込めて使うものを「親」、見下す気持ちを込めて使うものを「卑」とします。卑は主に男性が使います。

助詞待遇：文末助詞として「なあ」と「のお」が広く使われますが、奥吉野では「のお」が敬、「なあ」が卑となり、奈良弁とは逆になります。十津川村では敬・親に「のおら」を使いますが、下北山村では「のおら」は卑であり、敬には「のおえ」を使います。下北山村では親に「ねや」を使いますが、旧大塔村・天川村では「にや」、天川村洞川では「にょお」となります。
助動詞待遇：天川村洞川には「行かんしよ（いらっしゃい）」という表現があります。

助詞

「を」の省略は起こりにくく、「は」は「杖は→杖あ」「バスは来たか→バスや来たか」のように「あ」や「や」に変化する傾向があります。

接続助詞では、逆接に「けど」がありますが、「けんど」を使うことが多いです。原因・理由を表す順接は、「よって」系、「さかい」系、「ので／んで／で」「し」など多数ありますが、十津川村・下北山村では「さかい」系はなく「よって」系を使います。

疑問・反語の終助詞には「か」「こ（お）」があり、地域によって待遇的な使い分けがあります。旧大塔村・天川村では「こ（お）」が敬、「か」が卑ですが、上北山村・下北山村では「こ（お）」を待遇を伴わずに使います。下北山村では敬に「え」、卑に「か」を使い、上北山村では敬に「かえ」とも言います。

「しか」や「だけ」に当たる副助詞には「しか／だけしか／だけよか」があります。

相手を誘う表現には、「行こおら」「行こおらい」のように紀州弁と共通する「ら」や「らい」をよく使います。

例文

雨（が）降っているから、傘（を）差して行きなさいよ。
あめや ふっとるよって、かさあ さあて いけさ。（下北山村）
あめ ふりょるよって、かさ さして いけよお。（十津川村）
あめや ふりょおるよって、かさ さいせ いかんしよお。（天川村洞川）
そうだ、そうだ、そのほうがよいだろうな。
じゃあえ、じゃあえ、そのほおが いいじゃろおのお。（下北山村）
そおじゃ、そおじゃ、そのほおが いいじゃろおのおら。（十津川村）
そおれえ、そおれえ、そのほおが ええれにゃあ。（天川村洞川）
焼鳥（を）食って酒（を）飲んで半日遊んでしまったそうだ。
やきどり くうて さけえ のおで はんぐ あそんでしもたちゅわれ。（下北山村）
やきとりゅう くうて さきょお のおで はんぐ あそおでしもおたちゅげえ。（十津川村）
やきどり くうて さけ のんで はんぐ あすんでしもたげな。（天川村洞川）

参考文献

平山輝男ほか『日本のことばシリーズ 29 奈良県のことば』明治書院、2003年。
飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学7 ―近畿地方の方言―』国書刊行会、1982年。
西宮一民「奈良県の方言」113-140頁。
楳垣実編著『近畿方言の総合的研究』三省堂、1962年。
西宮一民「奈良県方言」301-364頁。
西崎亨『大和のことば誌』桜楓社、1990年。
大野晋、柴田武編『岩波講座 日本語11方言』岩波書店、1977年。
山口幸洋「南近畿アクセント局所方言の成立」『日本語東京アクセントの成立』港の人、2003年（井上ほか編(1996)にも収録）。
井上史雄ほか編『日本列島方言叢書 13 近畿方言考1（近畿一般）』ゆまに書房、1996年。
生田早苗「近畿アクセント圏辺境地区の諸アクセントについて」97-187頁（『国語アクセント論叢』1951年）。

外部リンク

十津川探検〜十津川方言集〜（十津川かけはしネット）
* 十津川探検〜十津川郷の昔話〜（十津川かけはしネット）

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