崑央の女王

クトゥルフ神話とバイオホラーの融合：『崑央の女王』の世界

朝松健氏によるホラー小説『崑央の女王』は、1993年に角川ホラー文庫より刊行されたクトゥルフ神話を題材とした作品です。当時話題となったヒトゲノム計画を絡めたバイオホラー要素と、中国神話の祝融と黄帝の伝説を巧みに織り交ぜた、独特の世界観が特徴です。ラヴクラフトの『墳丘の怪』やクラーク・アシュトン・スミスの作品からの影響も色濃く反映されており、特に「クン・ヤン」という地下世界の設定は『墳丘の怪』に由来しています。本作では、このクン・ヤンがアジアの地下に広がると設定されており、朝松氏の他の作品、『肝盗村鬼譚』とも繋がりを持つ複雑な物語となっています。

菊地秀行氏による解説、松本寛大氏による新装版解説が掲載され、英訳版は黒田藩プレスより刊行、ブライアン・ラムレイ氏による推薦文も添えられています。海外でも高い評価を得たこの作品は、小島文美氏によるイラストも魅力の一つで、2013年の新装版にも使用されています。

1997年8月、佳木斯市で発生した大地震と、謎のプロジェクト

物語は、1997年8月1日、中国東北部の佳木斯市で発生した大地震から始まります。酷暑の中、分子生物学者である森下杏里は大学の研究室から、日本遺伝子工学株式会社（JGE）の民間研究施設へと向かいます。JGEの本社ビルは60階建ての円柱型で、「リヴァイアサンの塔」と呼ばれています。

杏里は、道中で戦時中の強制収容所を彷彿とさせる白昼夢を見ます。これは、後に物語の重要な要素となる伏線です。JGEに到着した杏里は、「プロジェクトYIN」のメンバーと面会します。プロジェクトの目的は、殷王朝時代の少女のミイラ、「崑央のプリンセス」の遺伝子解析です。中華人民共和国が資金提供しているため、人民解放軍の兵士が監視に当たっています。

謎のミイラと、古代の秘密

ミイラの遺伝子解析が始まると、杏里は衝撃的な事実を目の当たりにします。ミイラの細胞は八角形をしており、DNA構造は爬虫類のものだったのです。リー博士と呼ばれるプロジェクトの責任者は、このミイラが古代人類と共存していた非人間種族のものであると説明し、「旧支配者」と呼びます。

杏里は、ラボのメインコンピューターにハッキングを試み、ミイラのDNAパターンを解析します。その結果、「黒い、死を、与える」というキーワードが頻繁に現れ、「黒き死を与えたまえ」という謎めいたメッセージが浮かび上がります。

プロジェクトの真の目的、そして、恐怖の始まり

物語が進むにつれ、プロジェクトYINの真の目的が明らかになります。それは殷王朝の文化研究などではなく、古代人のDNAを利用した生物兵器の開発だったのです。ミイラは、ペスト菌を注入され、「クイーン」と呼ばれる巨大なモンスターへと変貌を遂げようとしていました。

JGEビルは混乱に陥り、クイーンによって作り変えられた異形の化物たちが徘徊します。杏里は、クイーンから逃れるため、ビル内を逃げ回ることに。物語は、杏里の必死の逃亡劇と、プロジェクトYINの恐るべき真実の解明へと展開していきます。

クトゥルフ神話的要素と、時代背景

本作では、中国神話の祝融と黄帝の伝説が、クトゥルフ神話と重ね合わせて描かれています。祝融は旧支配種族、特に蛇人間のような存在として表現され、黄帝は旧神に相当します。また、五行思想や、満州族の伝説なども物語に織り込まれ、多層的な世界観を構築しています。

『崑央の女王』は、バイオテクノロジー、古代文明、そしてクトゥルフ神話という、異なる要素が見事に融合した、独特のホラー小説です。その衝撃的な展開と、謎に満ちた世界観は、読者に忘れられない恐怖体験を与えてくれるでしょう。

もう一度検索