日本運動協会

日本におけるプロ野球の歴史は、大正時代にその幕を開けました。初のプロスポーツチームとして、1920年に東京府東京市芝区（現在の東京都港区）の芝浦を拠点に活動を開始したのが、日本運動協会です。

誕生までの道のり

当時の日本の野球界は、主に学生野球が中心でした。しかし、1913年のメジャーリーグ選抜チームの来日やベーブ・ルースの活躍といった海外の情報が伝わるにつれて、日本でもプロ野球を求める声が高まります。雑誌『野球界』ではプロ球団の設立に関する特集が組まれるほどでした。

一方で、学生野球のスター選手たちが学業を疎かにしたり不祥事を起こしたりするケースが増え、早稲田大学野球部部長の安部磯雄らはその状況を憂えていました。この状況に対し、早稲田OBの河野安通志は、学生野球を抑圧するのではなく、彼らの模範となるようなプロ球団を作ることで浄化できると考え、設立を提唱しました。こうして1920年、河野、同じく早稲田OBの押川清、橋戸信を中心に、合資会社日本運動協会が設立されたのです。早稲田野球部の後輩であり、生涯学生野球を重んじた飛田穂洲も、この協会設立には協力しました。

プロとしての基盤構築

翌1921年、協会はまず本拠地となる芝浦球場を建設しました。同時に新聞で選手を公募したところ、200名以上の応募がありました。しかし、プロ野球という概念がまだ世間に浸透していなかった時代、早稲田や慶應といった有力大学の現役・OBからの応募は皆無でした。採用においては、野球の技術だけでなく、学生選手の模範たりうる人格が重視され、14歳から27歳までの14名が選手として選ばれました。初代主将には、後に東京巨人軍で活躍する山本栄一郎が就任しています。

1921年秋、芝浦球場に合宿所が完成したことを機にチームは本格的に始動します。結成から約1年間は対外試合を行わず、徹底的な練習に費やされました。同時に、英語や数学、簿記といった座学も行われています。これは、「大学選手と同等の学力や社会常識がなければプロ野球を世間に認めさせることはできない」という信念と、引退後の選手の人生を見据えてのものでした。当時の捕手・片岡勝は、合宿生活が厳しく、まるで学校の寄宿舎のようだったと回想しつつも、「日本のプロ野球のリーダーになるのだから当然」と、選手たちが不満を感じていなかったことを語っています。山本栄一郎も生前、「あのころは本当に幸せだった」と振り返っていたといいます。

始動、そして発展

1922年6月21日、協会は初めての対外試合として朝鮮・満州への遠征を行います。約1ヶ月間の遠征で12勝5敗という成績を収め、現地では相撲興行を圧倒するほどの人気を博したと記録されています。

帰国後、軽井沢で行われた早稲田二軍との合同合宿を通じて、協会の技術やマナーは早稲田野球部部長の安部磯雄を感心させ、当時日本一とも目された早稲田一軍との対戦が実現します。強力な選手を擁する早稲田の圧勝が予想されましたが、試合は延長戦の末、早稲田が1-0で辛勝するという白熱した展開となりました。惜しくも敗れはしましたが、協会はその実力を見せつけ、各地のアマチュアクラブチームから対戦申し込みが殺到するようになりました。実業団最強といわれた大阪毎日（大毎）野球団など、多くの強豪と対戦を重ねました。

1923年にはチーム力はさらに向上し、早稲田大学からも勝利を奪いました。そして6月21日には、日本で2番目に設立されたプロ野球団・天勝野球団と京城（現在のソウル）で対戦。日本初のプロ球団同士の対決は、初戦を天勝が、2戦目を協会が制し、1勝1敗の引き分けとなりました。続く8月30日の芝浦での第3戦は、協会が勝利を収めています。

関東大震災と日本運動協会の終焉

しかし、その矢先の1923年9月1日に関東大震災が発生します。芝浦球場自体は大きな被害を免れたものの、戒厳司令部によって救援物資の置場として徴発されてしまいます。非常時ゆえに当初は他の球場で試合を続けていましたが、翌1924年になっても球場は返還されず、グラウンド上に倉庫が建設されるに至りました。当局に返還の意思がないことを悟った協会は、本拠地なしでの興行継続は不可能と判断し、解散を決定。1月23日にマスコミに発表されました。

宝塚運動協会としての再出発

日本運動協会の解散の報を聞いた当時の阪神急行電鉄（現在の阪急電鉄）社長、小林一三は、協会を引き取ることを申し出ます。複数の申し入れがあった中で、最も熱心であり、「金は出すが協会の理想は全て継承する」と約束した阪急に協会は委ねられることになりました。こうして協会は、本拠地を兵庫県川辺郡小浜村（現在の宝塚市）の宝塚球場に移し、宝塚運動協会として再結成されます。この時、押川清は東京を離れられませんでしたが、河野安通志は指導者として関西へ同行しました。

小林一三は、かねてより電鉄会社によるプロ野球リーグ構想を抱いており、宝塚運動協会の結成はその実現に向けた第一歩と位置づけられていました。

宝塚運動協会となってからは、主将で投打の中心だった山本栄一郎が肩の故障で退団（後任主将は清水鷹治郎）するというアクシデントもありましたが、新たにエースとなった大貫賢の活躍などでチーム力はさらに向上しました。日本運動協会時代には対戦すらしてもらえなかった慶應や明治といった大学野球部と互角に戦い、かつては勝利できなかった大毎野球団にも打ち勝つようになります。三高（現在の京都大学）に一度敗れた際には、その強さから新聞社が「協会が三高に敗れるはずがない」と判断し、「協会勝利」と誤報を掲載したというエピソードも残されています。

宝塚運動協会の終焉とその後

しかし、昭和金融恐慌の影響による不況や、宝塚協会に続くプロ球団が現れなかったことなど、チームの未来は必ずしも明るくありませんでした。阪急は年間3万円もの維持費を負担していたといわれます。そのような中、最大の人気カードであった大毎野球団が経営難で解散します。これを機に阪急首脳陣は協会の存続に見切りをつけ、1929年7月31日をもって宝塚運動協会は解散しました。

解散後、多くの選手たちは協会で培った簿記などの知識を生かし、阪急の関連会社に就職しました。一部の選手は朝鮮や満州の実業団へ移籍しています。宝塚協会の解散によって、日本のプロ野球は1934年に大日本東京野球倶楽部（現在の読売ジャイアンツ）が誕生するまで、約5年間の空白期間を迎えることになります。この空白期を経て、山本栄一郎は東京倶楽部に、大貫賢は東京セネタースを経て、河野・押川が創設に関わった後楽園イーグルスで再びプロ野球の舞台に立ちました。

宝塚運動協会の経営母体であった阪急は、1936年に大阪阪急野球協会（阪急軍、現在のオリックス・バファローズ）を結成しますが、これは球団としての直接的な繋がりというよりは、かつての運営元が再びプロ野球に参入した形であり、当時の協会マネージャー兼スカウトであった片岡勝が参加する程度でした。

球団歌とその他のエピソード

日本運動協会時代には「日本運動協会野球歌」という球団歌が存在しました。作詞は天狗倶楽部メンバーでもあった詩人の児玉花外で、これは「日本初のプロ野球球団歌」とされる阪神タイガースの歌（六甲おろし）よりも古いものとされています。

また、歌舞伎俳優の6代目尾上菊五郎は、宝塚公演の際に協会の練習風景を見て大の野球好きとなり、自らチームを結成したり、山本栄一郎ら多くの野球選手を支援したりしました。これも、協会が日本の文化人に与えた影響の一例と言えるでしょう。

日本運動協会、そして宝塚運動協会は短命に終わりましたが、日本のプロ野球が誕生し、その礎を築いたパイオニアとして、その歴史に名を刻んでいます。

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