未完成の音楽作品

未完成の音楽作品とは、作曲家によってその構想が最後まで実現されず、完成を見なかった楽曲群を指します。フランツ・シューベルトの交響曲第7番ロ短調 D.759（しばしば「未完成交響曲」として親しまれています）のように、その名の通り、作曲家の手によって完成に至らなかった楽曲全般がこれに含まれます。

文字通り完成されていない性質上、これらの作品が作曲家自身の「作品」として公式に発表されることは基本的にありません。また、一部の例外を除き、「作品」として演奏される機会も限られています。むしろ、多くの未完成作品は、各作曲家の創作過程や音楽語法を研究する上での貴重な資料として扱われることが多いでしょう。

未完成に至った経緯

未完成の音楽作品は、なぜ完成に至らなかったのかという視点から分類することが考えられます。

1. 作曲の途中で完成を断念した作品: 作曲家が創作に行き詰まったり、興味を失ったり、あるいは別のプロジェクトに移行したりといった理由で、自身の意思で完成を諦めたケースです。
2. 作曲の途中で死去した作品: 作曲家がその作品を完成させる前にこの世を去ってしまったケースです。

ただし、この分類は常に明確な線を引けるわけではなく、定義が曖昧な場合も少なくありません。便宜上、ここでは後者の「作曲が中断した理由」に着目した分類で主要な作品を解説します。

作曲家が完成を断念した作品の例

作曲家自身の判断で未完成となった作品には、以下のようなものが知られています。

シューベルト: 複数の未完成交響曲（D 2B, D 615, D 708A, D 729など）やピアノソナタ（第1, 2, 8, 10, 11, 12, 15番など）があります。特に交響曲ホ長調 D 729は、後世にワインガルトナーなどによってオーケストレーションが施された版が存在します。
シューマン: ツヴィッカウ交響曲は、作曲者の生前に第1楽章のみが初演されました。3楽章構成を意図していたものの、第2楽章までしか完成していません。ジョン・エリオット・ガーディナーをはじめ、複数の指揮者が録音を残しています。
ワーグナー: 交響曲（第2番）ホ長調は、スケッチをもとに第1楽章などが補筆されています。
チャイコフスキー: 交響曲として作曲が始まった交響曲変ホ長調は、後に構想が変更されピアノ協奏曲第3番として完成に至りましたが、これも単一楽章で未完成のままとなっています。ただし、交響曲としては様々な補筆完成版が試みられています。
ドビュッシー: オペラ『ペレアスとメリザンド』は完成させましたが、他にオペラ『ロドリーグとシメーヌ』、オペラ『鐘楼の悪魔』、オペラ『アッシャー家の崩壊』など、未完に終わった複数のオペラがあります。少年時代には交響曲の第1楽章のみをピアノ連弾譜として作曲しており、これも演奏機会があります。

これらの作品は、シューベルトの交響曲ロ短調のような例外を除き、多くは習作的な性質を持つか、あるいは作曲家が創作を放棄したものであり、「作品」として演奏される機会は限られています。

完成前に作曲家が死去した作品の例

作曲家が逝去したために未完成となった作品には、有名なものが多く含まれます。

モーツァルト: 晩年のレクイエムは、「涙の日」（ラクリモーサ）の途中まで作曲したところで亡くなりました。その後、弟子によって補筆完成されています。
ベートーヴェン: 着手していたとされる交響曲第10番変ホ長調は、スケッチのみが残されています。
シューベルト: 交響曲ニ長調 D 936Aは、一般に第9番または第10番（「未完成交響曲」を第8番とした場合）と呼ばれることがあります。ルチアーノ・ベリオによる創意的な改作『レンダリング』や、ニューボールトなどによる補筆完成版が存在します。
ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調は、第3楽章までがほぼ完成した状態で亡くなりました。第4楽章は断片的なスケッチのみですが、複数の補筆完成版が作成されています。
マーラー: 交響曲第10番嬰ヘ長調は、第1楽章がほぼ完成していましたが、それ以降は詳細なオーケストレーションのないスケッチ段階でした。研究者による補筆完成版が広く知られています。
ヨハン・シュトラウス2世: バレエ『灰かぶり姫』は、マーラーの依頼を受けて作曲されましたが、第1幕のみ完成した段階で亡くなりました。ヨーゼフ・バイヤーが補筆完成させましたが、マーラーは自身の劇場での上演を拒否しました。
日本の作曲家: 黛敏郎の管弦楽曲『パッサカリア』や、武満徹の『ミロの彫刻のように』（フルート、ハープとオーケストラのための協奏曲）、八村義夫の『ラ・フォリア』なども、作曲者の死により未完となりましたが、書かれた部分までが演奏されることがあります。
シュトックハウゼン: ライフワークとした連作オペラ『光』の完成後、最後の取り組みとなった『時間 Klang』は、24時間分を構想していましたが、21時間目まで完成したところで亡くなりました。

頻繁に演奏される未完成作品

未完成でありながらも、今日、比較的頻繁に演奏会や録音で取り上げられる主要な作品群があります。これらの多くは、未完の部分が限定的であったり、後世の研究者や他の作曲家によって補筆完成されたりしたものです。

交響曲

シューベルト：交響曲第7番（D 759, 「未完成交響曲」）
第2楽章までしか完成していませんが、その音楽的な完成度の高さから、この2楽章のみで一つの交響曲として演奏されるのが一般的です。第3楽章のスケッチや草稿も存在しますが、演奏会で取り上げられることはほとんどありません。
ブルックナー：交響曲第9番ニ短調
第3楽章までがブルックナー自身によって完成されました。第4楽章は断片的なスケッチのみですが、ブルックナーは完成しなかった場合は自身の『テ・デウム』を終曲として演奏することを提案したとも伝えられています。今日、多くの演奏会では第3楽章までで演奏を終えますが、複数の研究者による第4楽章の補筆完成版も存在し、全楽章で演奏される機会もあります。
マーラー：交響曲第10番嬰ヘ長調
第1楽章のみオーケストレーション済みのスケッチが存在し、他は詳細なオーケストレーションがないスケッチ段階でした。特にデリック・クックによる補筆完成版が有名で、この版を用いた全楽章演奏が数多く行われています。第1楽章単独で演奏されることもあります。
ボロディン：交響曲第3番イ短調
一部が未完成でしたが、作曲者の死後、リムスキー＝コルサコフとグラズノフによって完成されました。第二楽章は弦楽四重奏曲から編曲されたものです。

オペラ

オッフェンバック：『ホフマン物語』
作曲者の死後、エルネスト・ギローなど複数の作曲家によって補筆・編集され、様々な版が存在します。
ボロディン：『イーゴリ公』
リムスキー＝コルサコフとグラズノフにより補筆完成され、現在でも主要なロシアオペラとして上演されています。
ムソルグスキー：『ホヴァーンシチナ』、『ソロチンスクの定期市』
ムソルグスキーの作品は生前に完成に至らなかったものが多く、『ホヴァーンシチナ』はリムスキー＝コルサコフ版が長らく標準でしたが、近年はショスタコーヴィチ版も普及しています。『ソロチンスクの定期市』も多くの補筆版が存在します。
プッチーニ：『トゥーランドット』
最後の場面が未完のまま亡くなり、弟子のアルファーノが遺されたスケッチをもとに補筆完成しました。今日上演されるのは多くの場合このアルファーノ版ですが、ルチアーノ・ベリオによる新たな補筆版も作られています。
ベルク：『ルル』
第3幕が未完でしたが、フリードリヒ・チェルハによって補筆完成版が作成され、全3幕で上演されるようになりました。

その他のジャンル

モーツァルト：レクイエム
ジュスマイヤー版が最も有名ですが、バイヤー版やモーンダー版など、新たな研究成果に基づいた様々な補筆完成版が試みられています。
J.S.バッハ：『フーガの技法』
最後のフーガが未完のまま終わっています。様々な補完や解釈が試みられています。
エルガー：『威風堂々』第6番
主要主題を含む草稿が発見され、アンソニー・ペインによって補筆完成されました。
チャイコフスキー：ピアノ協奏曲第3番
前述の通り交響曲からの改作で、単一楽章作品として演奏されます。
バルトーク：ピアノ協奏曲第3番、ヴィオラ協奏曲
いずれも作曲者没後に弟子のシェルイによって補筆完成されました。
ハイドン：弦楽四重奏曲第83番
中間楽章であるアンダンテとメヌエットのみが完成しており、この2楽章のみが演奏されることがあります。
シューベルト：弦楽四重奏曲第12番（四重奏断章）
第1楽章のみがほぼ完成しており、演奏会で取り上げられます。
ブーレーズ：ピアノ・ソナタ第3番
全5楽章構想でしたが、作曲者自身が完成とみなして公開出版したのは第2楽章と第3楽章のみです。特に第3楽章は演奏の順序や選択肢が奏者に委ねられる「管理された偶然性」の手法で書かれています。

未完成の音楽作品は、その名の通り完結していませんが、残された楽譜やスケッチは作曲家の思考をたどる重要な手がかりとなり、また、一部の作品は後世の努力や独自の価値によって、今日でも多くの人々に聴かれています。未完成であること自体が、これらの作品に特別な魅力を与えているとも言えるでしょう。

関連事項として、「第九の呪い」（ベートーヴェンの第九交響曲完成後、多くの作曲家がその次に着手した交響曲を完成できないまま世を去るというジンクス）も、未完成交響曲の歴史と深く関連しています。

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