野馬奉行

野馬奉行とは

野馬奉行（のまぶぎょう）は、江戸幕府が下総国（現在の千葉県北西部）に設置した小金牧（こがねまき）という牧場を管理するために置かれた役職です。主に、現在の千葉県葛飾郡を中心とした地域を管轄していました。牧士（ぼくし）と呼ばれる牧場の管理者の長として、御家人（ごけにん）である綿貫（わたぬき）氏が世襲しました。野馬奉行は、小金牧の管理業務全般を担い、年に一度行われる野馬捕獲（のまどり）を指揮する役割を担っていました。また、小金牧だけでなく、佐倉牧や峯岡牧の管理にも関わっていたとされています。役高は30俵でした。

概要

『千葉縣東葛飾郡誌』によると、野馬奉行の職制は慶長年間に牧士頭として設けられ、享保7年（1722年）に野馬奉行という名目になったとされています。この記述は、明治39年（1906年）に千葉毎日新聞に掲載された、小金中野牧の牧士の子孫である三橋彌（みつはしわたる）の記事を再録したものです。その後、この『千葉縣東葛飾郡誌』や三橋家文書を基にした研究が多くなされています。

綿貫氏の由緒書によると、慶長年間に綿貫重右衛門（わたぬきじゅうえもん）が徳川家康から野馬奉行に任じられ、以後代々世襲し、重右衛門や夏右衛門（なつえもん）などを名乗ったとされています。しかし、慶長19年（1614年）以降に登場する「小金領野馬売付帳」には、綿貫十右衛門（重右衛門と同一人物とみられる）が「伯楽」として記載されており、野馬奉行という称号が存在しなかったことがわかります。

一方、小金牧の牧士の末裔とされる三橋氏に伝わる「従野馬始之野方万控」には、元禄年間に関東郡代の伊奈氏が地元で手習いを教えていた綿貫氏を小金厩（こがねうまや）の書役に任じ、召馬預を務めていた諏訪部氏の下に配属したこと、扶持は米ではなく捕馬で支給されていたこと、享保2年（1717年）になって綿貫氏が御家人として書役から厩預となり、名字帯刀が許された上で5人扶持が与えられたこと、享保16年（1731年）になって初めて野馬奉行に任じられ、30俵が与えられたことなどが記されています。また、宝暦年間には綿貫氏の役所が「厩役所」と称されたともあります。

これらの史料を総合的に見ると、享保2年以降に綿貫氏が厩預であったことや佐倉牧の捕馬の立会人であったことは事実ですが、元禄期以前の記述には矛盾があることがわかります。また、綿貫氏の由緒書によれば、宇右衛門（うえもん）の実父は、同じ老中の戸田山城守（とだやましろのかみ）の家臣であったとされています。

野馬奉行成立に関する新説

佐倉藩や佐倉牧の研究者であった篠丸頼彦（しのまるよりひこ）が収集した古文書の中に、安永年間に書写された「綿貫十右衛門綿貫平内并佐倉牧士四人之御切米并御扶持方御代官江御断御証文之写」という文書の存在が明らかになりました。この文書には、享保9年（1724年）に当時小金牧を支配していた代官の小宮山昌世（こみやままさよ）が「総州小金 綿貫十右衛門」に対して支配地の御物成から切米30俵を与えたこと、同16年3月に「小金野馬奉行 綿貫平内」に対して先に亡くなった養父の十右衛門と同じ切米30俵を与えることが記されていました。

このことから、綿貫平内（わたぬきへいない）改め宇右衛門が初代の野馬奉行であったとする説が有力になりました。この説では、野馬奉行の成立時期は享保16年とされています。また、綿貫氏の由緒書によれば、享保15年に綿貫夏右衛門が亡くなり、宇右衛門（平内）が継承したとされています。このことから、文書中の綿貫十右衛門を夏右衛門の別名乗りと考えれば、「従野馬始之野方万控」の記述は一部誤りがあるものの、ほぼ事実を記していると考えられるようになりました。

しかし、徳川幕府の公日記である『柳営日次記』の元禄9年（1696）12月9日条には、綿貫十右衛門・宇右衛門親子が「小金佐倉野馬奉行」として書かれていることも指摘されており、野馬奉行の成立時期については、いまだにはっきりとした結論が出ていません。

野馬奉行のその後

野馬奉行は、寛政5年（1793年）に小金牧の管轄が小納戸頭取（こなんどがしら）に移るとともに、小納戸頭取野馬掛配下となりました。その後、天保11年（1840年）に鳥見格（とみかく）とされ、幕末まで続きました。

綿貫氏について

『千葉縣東葛飾郡誌』に記載されている綿貫氏に関する記述を要約すると、以下のようになります。

野馬奉行の綿貫氏は、千葉介昌胤（ちばのすけまさたね）より出た政胤（まさたね）が初代であるとされています。政胤は月見里（ヤマナシ）五郎と称していましたが、次の政家（まさいえ）が綿貫重右衛門と改名し、野馬奉行兼牧士支配となりました。中興した十二代目の政直夏右衛門（まさなおなつえもん）の墓碑銘には、綿貫氏の由来として、政家が4月1日に江戸で徳川家康から野馬奉行兼牧士支配に任命された際、袷を着るべき時期に袷がなく、綿を抜いた綿入れを着てきたため、家康の命により氏を綿貫と改め、四月朔（しがつさく）と号したと記されています。

しかし、政直が1845年（弘化2年）に亡くなっていることから、この話は後世の創作である可能性が指摘されています。また、上記の史実とは異なる「野馬奉行」という呼称も、1755年（宝暦5年）に提出された綿貫氏の『由緒書』などの影響による後世の呼称と考えられています。

まとめ

野馬奉行は、江戸幕府の牧場管理において重要な役割を果たした役職でした。その成立時期や役割については、史料によって異なる記述があり、まだ解明されていない部分も残っています。しかし、綿貫氏が代々世襲し、小金牧の管理や野馬捕獲を差配したことは確かなようです。今後の研究によって、野馬奉行の実態がより詳しく解明されることが期待されます。

参考文献

大谷貞夫『江戸幕府の直営牧』（岩田書院、2009年）
「野馬奉行考」（『國學院雑誌』88巻4号、1987年）
「享保期の下総小金牧について」（『國學院雑誌』89巻11号、1988年）
佐々木克哉「野馬奉行」（『江戸幕府大事典』吉川弘文館、2009年）

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