黒死病

黒死病（Black Death）

黒死病は、1346年から1353年にかけてユーラシア大陸で大流行した腺ペストの俗称です。このパンデミックは、人類史上最も多くの死者を出した感染症の一つとして記録されています。

名称の由来

黒死病という名前は、感染が進行すると敗血症により皮膚が出血し、体が黒ずんで見えることに由来します。また、発症からわずか2〜3日で死亡するケースが多かったことも、この病気の恐ろしさを象徴しています。

パンデミックの概要

黒死病は、ユーラシア大陸と北アフリカで7500万人から2億人もの命を奪いました。ヨーロッパでは1347年から1351年にかけてピークを迎え、社会、経済、宗教に大きな混乱をもたらしました。このパンデミックは、ペスト第二波の始まりとされています。

ペスト菌

腺ペストはペスト菌によって引き起こされ、敗血症型ペストや肺ペストを合併することもあります。ペスト菌は1894年にアレクサンドル・ヤーシンによって発見され、ネズミが主な媒介者であることが示唆されました。その後の研究で、ペスト菌に感染したノミの咬傷が主な感染経路であることが判明しました。

黒死病の起源

黒死病の起源については議論が続いていますが、中央アジアまたは東アジアが発祥の地と考えられています。ヨーロッパでの最初の明確な発症は、1347年のクリミア半島でした。感染したネズミに寄生するノミが、ジェノヴァ共和国の船で地中海沿岸に運ばれ、そこからコンスタンティノープル、シチリア島、イタリア半島、アフリカ、西アジア、そしてヨーロッパ各地へと広がったとされています。

感染経路

上陸後、黒死病は主にノミによる感染（腺ペスト）と、エアロゾルを介した人から人への感染（肺ペスト）によって広がりました。このため、流行は非常に速いスピードで内陸へと拡大しました。

ヨーロッパへの影響

黒死病は、後期中世ヨーロッパを襲った二番目に大きな自然災害（一番目は大飢饉）であり、ヨーロッパ人口の30〜60%が死亡したと推定されています。これにより、14世紀の世界人口は約4億7500万人から3.5〜3.75億人へと減少しました。19世紀初頭まで、ペストは世界中で繰り返し発生しました。

黒死病という名称

「黒死病」という用語が初めて使われたのは1775年で、デンマーク語の「den sorte død」を英訳した「the black death」が起源です。この名前は、15世紀から16世紀にかけてスウェーデンとデンマークの年代記作者によって広まり、16世紀と17世紀には他のヨーロッパ言語にも翻訳されました。それ以前は、多くのヨーロッパ言語がラテン語の「magna mortalitas（大量死）」を翻訳してこのパンデミックを表現していました。

「黒い死」という表現は古くから存在しており、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場します。また、ルキウス・アンナエウス・セネカが流行感染を「黒死」と表現したとされています。

14世紀の状況

当時の学説

当時の人々は、黒死病の原因を天体の配置や瘴気だと考えていました。パリの医学部からの報告書では、1345年の三惑星の合を原因とする「空中にある大疫病（瘴気）」が問題視されていました。ムスリム宗教学者は、このパンデミックを神からの「殉教と慈悲」だと解釈し、信者には楽園での地位を約束し、非信者には懲罰としました。

現代の学説

現代では、アジアの気候変動によってげっ歯類が乾燥した草原から人口密集地へ移動し、病気を広げたとされています。ペスト菌は、中央アジア、西アジア、アフリカ、アメリカ西部などの様々な地域に存在するげっ歯類が運ぶノミによって伝播します。

DNAの証拠

21世紀に入り、ペスト菌のゲノム解析が進み、黒死病の原因がペスト菌であることが確認されました。ヨーロッパ各地の集団墓地から発見された人骨の歯槽に存在するDNAを分析した結果、黒死病を引き起こした菌株が、現在のペスト菌の祖先であることが判明しました。また、古代のペスト菌の遺伝子も回収されています。

伝染

19世紀に病原菌説が確立するまで、衛生の重要性は認識されていませんでした。当時のヨーロッパの通りは不潔で、動物や人間の寄生虫が蔓延し、伝染病の拡大を助長していました。

発祥地域

医学遺伝学者チームの分析によると、ペスト菌は「中国国内かその付近で進化」し、複数の流行によって世界中に広がったとされています。別の研究チームは、キルギスタンと中国の国境にある天山山脈を起源としています。

キルギスタンのイシク・クル湖近郊の1338-1339年頃の墓には、疫病を言及する碑文があり、これが流行の発生を記したものだと考えられています。

ヨーロッパでの感染爆発

1347年、クリミアの港町カッファから、ジェノヴァ共和国の貿易商を介してペストがヨーロッパに侵入したとされています。包囲されたカッファでは、感染した死体が城壁に投げ込まれ、感染が拡大しました。その後、ジェノヴァの貿易商が黒海を渡ってコンスタンティノープルに逃れ、そこで1347年夏にヨーロッパに初めてペストが上陸しました。

コンスタンティノープルでの感染爆発は1年続き、1400年までに10回も繰り返されました。ジェノヴァのガレー船がシチリア島にペストを運び込み、イタリア全土に広がりました。その後、ペストはフランス、スペイン、ポルトガル、イングランド、ドイツ、スコットランド、スカンジナビア、そしてロシアへと広がりました。感染は、人里離れた地域では比較的まれでした。

西アジアと北アフリカでの感染爆発

黒死病は中東や北アフリカでも猛威を振るい、深刻な過疎化と社会構造の変化を引き起こしました。1347年秋にはエジプトのアレクサンドリアに到達し、カイロでは人口の3分の1以上が死亡しました。1348年までに、ガザ、ダマスカス、アレッポなどにも広がり、アラビア半島から北アフリカ全域に広がりました。メッカはハッジの巡礼者によって感染し、イエメンにもペストが持ち込まれました。

徴候と症状

黒死病は主に腺ペストでしたが、一部に肺ペストも観察されました。

腺ペスト

腺ペストの症状には、38〜41℃の発熱、頭痛、関節痛、吐き気、嘔吐、倦怠感などがあります。治療を受けない場合、感染者の80%が8日以内に死亡します。最も特徴的な症状は、鼠径部、首、腋の下に現れる横痃（ペスト腺腫）です。

肺 ペスト

肺ペストは、肺に感染し呼吸器系の障害を引き起こします。症状としては、発熱、咳、喀痰などがあり、喀痰が血液混じりになることもあります。肺ペストの死亡率は非常に高く、90〜95%に達します。

結末

死者数

正確な死者数は不明ですが、ヨーロッパでは人口の45〜60%が死亡したと推定されています。都市部では、人口の50%が死亡することも珍しくありませんでした。パリでは人口の半分が死亡し、フィレンツェでは1338年の11万人から1351年には5万人へと激減しました。ハンブルクとブレーメンでは、人口の60%以上が死亡したとされています。ヨーロッパでは多数の遺体を収容するために大量の埋葬地が作られ、現在も考古学者によって調査されています。

その後の感染爆発

黒死病の流行は、14世紀から17世紀にかけてヨーロッパと地中海地域で何度も再発しました。特に1360〜63年、1374年、1400年、1438〜39年など、数多くの感染爆発がありました。17世紀には、ペストはヨーロッパで約400万人もの犠牲者を出しました。

経済面への影響

黒死病による人口激減は労働力不足を引き起こし、賃金が上昇しました。しかし、イギリスではインフレーションにより、労働者や職人の実質所得は減少しました。土地所有者は、労働使役の代わりに金銭賃貸料を支払うことを余儀なくされました。

環境面への影響

一部の歴史家は、パンデミックによる大量の死が土地を未開拓のままにし、森林再生を促し、気候の寒冷化を引き起こしたと考えています。これが小氷期を招いた可能性もあります。

迫害

黒死病は、宗教的熱狂と狂信を煽り、ユダヤ人、修道士、外国人、乞食、巡礼者、ハンセン病患者、ロマなど、さまざまな集団が迫害の対象となりました。特にユダヤ人に対する攻撃は激しく、ストラスブール大虐殺やマインツ、ケルンのユダヤ人コミュニティの壊滅など、多くのユダヤ人が命を落としました。ユダヤ人はポーランドに移住し、カジミェシュ大王の歓迎を受けました。

社会面への影響

黒死病によるフィレンツェの荒廃が、14世紀のイタリア市民の世界観に変化をもたらし、ルネサンスにつながったという説があります。死への達観が、精神性や来世よりも現世について思索する原因になったとされています。また、黒死病は宗教芸術の後援者に新たな信心深さを生み出したとも言われています。黒死病によって、労働者階級の価値が高まり、庶民はより自由を享受するようになりました。ヨーロッパでは、封建制と宗教勢力が再構築されました。人口減少は経済にも影響し、食料価格が下がり、土地の価値が下落しました。

検疫

ペストの蔓延を防ぐための隔離という概念は古くから存在しましたが、この時期に「検疫」という言葉が定着しました。ラグサ共和国では、1377年にペスト感染地域からの新規入国者に対して30日間の隔離を実施しました。その後、隔離期間は40日に延長され、「検疫（quarantine）」と名付けられました。

再発

ペストは14世紀から17世紀にかけて繰り返し発生し、ヨーロッパと地中海地域に大きな影響を与えました。第二のパンデミックは、1360年から1671年まで毎年ヨーロッパのどこかに存在したとされています。その後の感染爆発も深刻でしたが、18世紀にはヨーロッパの大部分から、19世紀には北アフリカから撤退しました。

大衆文化

黒死病は、映画、小説、オペラ、歴史小説など、様々な大衆文化作品の題材となっています。

『黒死病』(2010年のホラー映画)
『デカメロン』(1353年にジョヴァンニ・ボッカッチョが完結した物語)
『ドゥームズデイ・ブック』(コニー・ウィリスによるSF小説)
『黒死病の時代の饗宴』(アレクサンドル・プーシキンによる劇詩)
『第七の封印』(イングマール・ベルイマン監督による映画)
『大聖堂-果てしなき世界』(ケン・フォレットによる歴史小説)

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