マルドゥク

マルドゥク：バビロニアの至高神

マルドゥク（Marduk）は、古代メソポタミア、特にバビロニア神話において重要な役割を担う男神です。バビロンの都市神であり、後に神々の指導者となった彼は、アッカド語で「主人」を意味するベールとも呼ばれました。創世神話『エヌマ・エリシュ』では、世界と人間の創造主としても語られています。

神名の由来と概要

マルドゥクは「太陽の雄の子牛」を意味するとされ、シュメール語では「太陽の若き雄牛」を意味するアマルトゥと表記されます。彼のヘブライ名は「メロダク」であり、旧約聖書にも同名の王が登場します。父はエア神、母はダムキナ神で、妻は女神ザルバニトゥとされます。息子には書記の神ナブーがおり、一説には性愛の女神イシュタルの兄弟とも言われています。彼の随獣は蛇龍ムシュフシュです。

また、アサルヒヒという神格を吸収し、エアの息子として位置づけられています。マルドゥクの神殿は「エテメンアンキ」と呼ばれる巨大なジッグラトで、旧約聖書の「バベルの塔」のモデルになったとされています。

武装と力

マルドゥクの象徴的な武器は、鍬に似た三角の刃を持つ農具「マルン」です。また、天命の粘土板「トゥプシマティ」を胸に下げ、ムシュフシュや強風、砂嵐といった7つの悪風を従えていました。嵐の戦車、弓と三つ叉の矛も彼の武器であり、最大の武器は洪水でした。彼の力は強大で、山を潰滅させ、海の波を狂わせると言われています。その一方で、彼は知恵深く勇敢な神でもあったとされます。

容姿

メソポタミア神話の神々は擬人化されることが多いですが、マルドゥクは異質な姿で描かれています。4つの目と耳（あるいは2つの頭）を持ち、唇から火を吹き出し、背が高く四肢も長かったとされます。しかし、現存する図像では、冠を被り髭を生やした男性として描かれています。

神性

マルドゥクは、木星の守護神、太陽神、呪術神、英雄神といった多面的な神格を持っていました。春分の日に祭儀が行われたことから、彼は「春の太陽」を象徴し、植物の再生を司る神としても崇拝されました。また、農耕神（豊穣神）としての側面も持ち合わせていました。

呪術神としては、早い段階から信仰を集め、エアの息子で呪術神であるアサルヒヒと習合しました。呪いが医療と深く関係していたことから、治癒神としての側面も持っていました。

神話：『エヌマ・エリシュ』

マルドゥクの英雄神としての神格を最もよく表しているのが、バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』です。

原初の女神ティアマトが産んだ新しい神々が騒がしいことを嫌った夫アプスは、彼らを殺害しようとします。しかし、アプスは息子のエアの策謀によって倒されます。エアは父の上に神殿を建て、ダムキナとの間にマルドゥクをもうけました。

夫を殺されたティアマトは、息子キングーに天命の粘土板を与え、11の怪物たちを率いて若い神々に戦いを挑みます。若い神々の側では、マルドゥクが先頭に立ち、圧倒的な力でティアマトらを撃退します。そして、キングーから天命の粘土板を奪い、勝利を収めます。

倒されたティアマトの体は天地創造の礎となり、キングーは処刑され、その血が人類創造の材料になったとされます。こうして、マルドゥクは神々の王となり、50の称号を与えられ「神々のエンリル神」と呼ばれるようになりました。

50の称号と王権

天命の粘土板は、本来エンリルが持つ「生けるもの全ての個人情報」が記された印版です。マルドゥクは、この粘土板を奪い取ったことで最高神としての権力を継承しました。彼は王権授与の神格も継承し、バビロンの支配者たちは即位の際に「マルドゥク神の御手を取る」儀式を行いました。これはマケドニアのアレクサンダー大王も例外ではありませんでした。

マルドゥクは「ベール」と呼ばれるほどの信仰を集め、その優れた能力を讃える50もの称号が与えられました。例えば、「一切を創造したマルッカ」や「アヌの孫アサルヒヒ」、「天地の境を固定する木星・ネビル」などがあります。

エラ神話

『エヌマ・エリシュ』で英雄として描かれるマルドゥクですが、『エラ神話』では老齢に差し掛かり、権力を失った支配者として描かれています。彼はエラに騙され、支配者としての権力を譲渡してしまいます。これは、若い英雄としてのマルドゥクと、老いて落ちぶれたマルドゥクという対比を意図的に描いたものと考えられています。

歴史的な信仰

マルドゥクの信仰は、もともとバビロンの都市神として始まったものです。シュメール地方では、彼の信仰に関する伝承はほとんどありません。マルドゥクがパンテオンの主神となったのは、バビロンの台頭とバビロン王朝の誕生によるものです。

ハンムラビはバビロニア地方を統一し、バビロニア第1王朝を築くにあたり、バビロンの都市神であるマルドゥクを主神としました。当時のメソポタミアでは、王権は神から与えられるという考えがあり、守護神の権力が増すことは、国の支配権を確立する上で重要でした。そのため、ハンムラビ法典にはマルドゥクが「アヌとエンリルから権力を譲渡された」と明記されています。

ネブカドネザル1世は、「マルドゥク像の奪還」によって、マルドゥクの権力をさらに推し進めました。当時の戦争は、敵対都市の主神像を捕虜にすることで終結していたため、マルドゥク像を取り戻すことは、バビロンの人々にとって悲願でした。この悲願達成によって、バビロンの支配権は安定し、マルドゥクの神性も高まりました。

マルドゥク像はその後も放浪しましたが、彼の信仰は新バビロニア時代からアケメネス朝の頃まで続きました。

バビロンの新年祭

マルドゥクは、盛大な祭儀でも重要な存在であり、特に春に行われる「バビロンの新年祭」は最大の儀式でした。祭りは11日間に渡って行われ、マルドゥク像は「アキトゥの家」と呼ばれる施設に移され、『エヌマ・エリシュ』の朗読が行われました。最終日には、盛大な行列を伴って凱旋しました。

評価

旧約聖書では、マルドゥク信仰は偶像崇拝として批判的に描かれています。しかし、聖書に記述された豪華な神殿や祭儀の様子は、当時のメソポタミアの繁栄と、強大なマルドゥク信仰があったことを示しています。

このように、マルドゥクは古代メソポタミアにおいて、都市神から至高神へと変貌を遂げた、非常に重要な神であったと言えるでしょう。

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