イギリス理想主義

イギリス理想主義：経験論を超えて精神の重要性を説く思想

イギリス理想主義は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで発展した哲学および政治思想の潮流です。しばしば「イギリス観念論」とも呼ばれ、経験論や功利主義といったイギリス伝統の思想に対抗する立場をとりました。本稿では、その歴史的背景、主要な思想家、政治思想への影響、そして衰退と再評価について詳述します。

イギリス理想主義の台頭：カント復興と経験論への批判

19世紀後半、ヨーロッパではイマヌエル・カントの哲学が再評価され、ドイツでは新カント学派が形成されました。イギリスにおいても、この流れを受けてイギリス理想主義が台頭しました。中心人物はトーマス・ヒル・グリーンであり、彼らはこの潮流において、イギリスの伝統的な経験論や功利主義を批判し、観念論的な認識論、人格主義や教養主義を重視する価値論を提唱しました。政治思想においては、自由主義、ニューリベラリズム、多元的国家論といった主張を展開しました。

思想の源流：ロマン主義からの影響

イギリス理想主義の思想的ルーツは、19世紀初頭のイギリス・ロマン主義にも見出すことができます。サミュエル・テイラー・コールリッジやトーマス・カーライルといったロマン主義の思想家たちは、経験論や功利主義への反発を表明し、後のイギリス理想主義の萌芽と言える思想を提示しました。ただし、彼らの活動は哲学理論というよりも、文学、伝記、評論といった分野での活動が中心でした。

イギリス理想主義の成熟：グリーンとその後継者たち

ジョン・スチュアート・ミルが功利主義に理想主義を取り入れることで、その思想に転換期が訪れます。この影響を受け、トーマス・ヒル・グリーンはドイツ観念論にも学び、経験論、功利主義、唯物論に対抗する本格的な理想主義哲学を打ち立てました。グリーンの後には、エドワード・ケヤード、フランシス・ブラッドリー、バーナード・ボザンケらが重要な役割を果たしました。彼らはカントやヘーゲルといったドイツ観念論の哲学者に影響を受けつつも、独自の思想を展開し、物質よりも精神の重要性を強調しました。

政治思想への影響：自由主義と社会主義への貢献

イギリス理想主義の哲学は、政治思想にも大きな影響を与えました。グリーン自身は人格主義に基づいた自由主義を主張し、その思想はイギリス自由党の理論的支柱となりました。また、グリーンの影響を受けたレオナルド・ホブハウスはニューリベラリズムを提唱し、多元主義的な国家論の発展に貢献しました。さらに、シドニー・ウェッブはフェビアン主義の理論形成に携わり、イギリス労働党の理論的基礎を築きました。エルネスト・バーカーやアレキサンダー・リンゼーなど、政治理論に専念した思想家たちも存在しました。

衰退と再評価：イギリス実在論の台頭と研究の復活

20世紀初頭、オックスフォードを中心としたイギリス理想主義に対する反動として、ケンブリッジを中心としたイギリス実在論が台頭しました。ジョージ・エドワード・ムーアやバートランド・ラッセルといった実在論者や、論理実証主義の隆盛により、イギリス理想主義は衰退の一途を辿ります。しかし、20世紀後半以降、イギリスのみならず日本においても、イギリス理想主義の研究は再び注目を集め、再評価が進んでいます。

主要な論者と著作

哲学：

トーマス・ヒル・グリーン 『倫理学序説』
フランシス・ブラッドリー 『倫理学研究』『現象と真実在』
バーナード・ボザンケ 『論理学――知識の形態学』

政治思想：

トーマス・ヒル・グリーン 『政治的義務の原理』
バーナード・ボザンケ 『国家の哲学的理論』
レオナルド・ホブハウス 『国家の形而上学的理論』

日本におけるイギリス理想主義

明治時代には、多くの哲学者がグリーンの人格主義思想を研究し、自身の思想形成に役立てました。中島力造、大西祝、高山樗牛、綱島梁川、桑木厳翼、西田幾多郎らがその例です。昭和戦前には河合栄治郎がグリーンの人格主義に加え、教養主義、自由主義を研究しました。戦後も、行安茂、北岡勲、萬田悦生、芝田秀幹らによって研究が続けられています。また、初期のカーライルに影響を受けた新渡戸稲造も重要な研究者です。現在では、日本イギリス理想主義学会が研究を推進しています。

参考文献

本稿では、多くの参考文献を省略しておりますが、上記の主要な論者や、日本における研究者たちの著作が、イギリス理想主義を理解する上で重要な資料となります。 これらの著作を通して、イギリス理想主義の深遠な思想世界を探求することができます。

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