ガザーリー

アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザーリー：イスラーム思想史における巨人

アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザーリー（1058年-1111年）は、ペルシア出身のイスラーム教の巨人です。神学者、神秘主義者（スーフィー）として知られ、スンナ派イスラームの確立に多大な貢献を果たしました。彼の名は、しばしばガザーリーと略されますが、正確な発音はガッザーリーとする見解もあります。ヨーロッパではアルガゼルとして知られ、哲学者としても認識されてきました。

ガザーリーは、「ムハンマド以後に生まれた最大のイスラーム教徒」と称賛され、スンナ派がイスラーム世界で優勢となる過程における最重要人物の一人です。彼はスンナ派と対立するシーア派への反論、イスラーム哲学への批判、そして神秘主義（スーフィズム）への深い関与を通して、スンナ派神学の体系形成に大きな影響を与えました。存命中に高い名声を博したガザーリーは、没後も思想的権威として崇められ、彼の著作はウラマー（イスラーム世界の知識人）によってコーランやハディース（預言者ムハンマドの言行録）と同様に重要な参考文献として扱われています。弟のアフマドもスーフィズムの思想家として知られ、ガザーリーの思想形成に影響を与えたと考えられています。

波乱に満ちた生涯

1058年、ガザーリーはイランのホラーサーン地方トゥース近郊で生まれました。父は羊毛商人だったと伝えられていますが、その職業や母については明確な記録が残っていません。幼くして父を亡くした彼は、兄弟とともに父の友人であるスーフィーに育てられました。その後、父の遺産を基に学業に専念し、マドラサ（神学校）に入学。トゥース、ジュルジャーンなどで学び、イスマーイーリー派の教えに傾倒した時期もありましたが、盗賊にノートを奪われた経験がきっかけとなり、その思想を見直す契機となります。その後、スーフィーの指導の下、修行を積みました。

1077年、ニーシャープールのニザーミーヤ学院で、当時著名な学者であったイマームル・ハラマイン・ジュワイニーに師事し、シャーフィイー学派の法学とアシュアリー学派の神学を学びました。才能を発揮し、ジュワイニーの代講を務めるまでになりましたが、過度の研鑽により健康を害することもありました。その後、セルジューク朝の宰相ニザームル・ムルクの庇護を受け、1091年にはバグダードのニザーミーヤ学院教授に任命されます。

300人の学生を指導しながら、法学・神学の講義、著述活動を行い、哲学やシーア派思想を研究し、批判を行いました。しかし、信仰の確信を得るための探求は彼を満たすことができず、さらにスーフィズムに傾倒していきます。1095年、信仰の危機に直面したガザーリーは、ニザーミーヤ学院での講義中に言葉が出なくなり、職を辞してメッカ巡礼の旅に出ます。

約2年間、シリアやパレスチナを巡り、1096年にメッカ巡礼を行いました。ダマスカス、エルサレムなどで瞑想を行い、禁欲的な生活を送ります。この間に『エルサレム書簡』を著しました。放浪中も完全に世俗と断絶していたわけではなく、政治指導者への書簡が残されています。1099年、子供たちの要請でトゥースに戻り、スーフィーの道場を設立し、修行に専念しました。

1106年、ニザームル・ムルクの息子の要請を受け、再びニーシャープールのニザーミーヤ学院の教壇に立ちます。復職後には、『法源学の精髄』、『誤りから救うもの』などを著しました。1110年に公職を辞し、トゥースに戻り、1111年に同地で没しました。トゥース旧市街には、ガザーリーの墓とされる遺構が残っています。

ガザーリーの思想

ガザーリーの著作は、法学、神学、哲学、護教論、神秘主義の5つの分野に大別されます。

法学

ガザーリーは、シャーフィイー学派の法学を学び、発展させました。権威主義に陥った信仰のあり方を批判し、個人の内面への回帰、イスラーム法の遵守とスーフィズムの実践の両立を説きました。ウラマーの堕落にも批判的な視点を示しています。

懐疑論と信仰

スーフィズムに傾倒する以前、ガザーリーは、自身の信仰が単なる生得的なものではないと自覚していました。「確実な知識」を求め、懐疑的な立場から様々な学問を探求しました。理性による知識の限界を認識し、理性による「知（'ilm）」と、神への信仰に根ざす「信（qalb）」の区別を提唱しました。理性と信仰の調和、そして両者の混同を戒めました。

イスラーム哲学批判

ガザーリーは、イスラーム哲学を研究し、批判しました。1094年に『哲学者の意図』、翌年には『哲学者の自己矛盾』を著し、イスラーム哲学に大きな衝撃を与えました。哲学の形而上学を批判しつつも、論理学などの有用性も認めており、アシュアリー学派の神学に論理学を取り入れました。『中庸の神学』はその成果です。しかし、晩年の自伝では、神学の限界を認め、霊的な救いにはスーフィズムが必要であると述べています。

護教論

ガザーリーは、イスマーイール派などの異端思想を批判する護教論も著しました。特に、イマームへの盲目的な服従を批判し、スンナ派の自主的な判断と共同体による合意形成を主張しました。

スーフィズム

1095年から始まる遍歴の旅は、スーフィズムへの回心の表れだと解釈されています。自伝『誤りから救うもの』では、スーフィズムの教えが信仰の確信をもたらしたことが示されています。ガザーリーはイスラーム法学をスーフィズムの観点から再検討し、『宗教諸学の再興』などで日常の生活と来世への備えについて論じています。スーフィズムの修行法を整理し、ウィルドやズィクルといった修行方法を紹介しました。また、神への愛について、独自の思想を展開しました。スーフィーとウラマーの対立を緩和し、スーフィズムの社会的地位向上に貢献しました。

アルガゼルとしてのヨーロッパでの受容

ガザーリーの『哲学者の意図』は、イブン・スィーナーの思想入門書として、ラテン語に翻訳され、中世ヨーロッパのスコラ派に影響を与えました。しかし、『哲学者の自己矛盾』は伝わらず、ヨーロッパでは「哲学者アルガゼル」として知られていました。19世紀以降のアラビア語原典からの研究により、ガザーリーの思想の全体像が明らかになり、ヨーロッパにおける誤解が解消されつつあります。

ガザーリーの遺産

ガザーリーの功績は計り知れません。彼はイスラーム法学、神学、哲学、神秘主義に多大な貢献を果たし、スンナ派イスラームの確立に重要な役割を果たしました。彼の思想は、現代においてもイスラーム世界のみならず、世界中の思想家に影響を与え続けています。彼の主要な著作には、『哲学者の意図』『哲学者の矛盾』『宗教諸学の再興』『迷いから救うもの』『幸福の錬金術』などがあります。

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