ラヴクラフト神話

ラヴクラフト神話：宇宙的恐怖とニューイングランドの影

ラヴクラフト神話とは、ホラー小説の巨匠、H・P・ラヴクラフトの作品世界を指す用語です。ラヴクラフト研究者のS・T・ヨシによって提唱され、ラヴクラフト自身の作品、特に「宇宙的恐怖（コズミック・ホラー）」の概念に基づいた作品群を指します。後世の作家、特にオーガスト・ダーレスらが体系化し拡大解釈した「クトゥルフ神話」とは明確に区別される概念です。

クトゥルフ神話との違い

ラヴクラフト神話とクトゥルフ神話の最大の違いは、その範囲と解釈にあります。クトゥルフ神話は、ラヴクラフトの作品を基盤としながらも、多くの作家が独自の設定や解釈を加え、膨大な世界観へと発展しました。一方、ラヴクラフト神話は、ラヴクラフト自身の作品、そして彼の生前に彼の意図を汲んで書かれた作品に限定されます。ダーレス以降の追加設定や、ラヴクラフトの死後に創作された作品、あるいはラヴクラフト作品の中でも「宇宙的恐怖」の要素が薄い作品は、ラヴクラフト神話からは除外されます。

この線引きの難しさは、クトゥルフ神話の「フィクションの上に積み上げられたフィクション」という性格に由来します。例えば、ある作家がクトゥルフ神話の既存の神々に新たな神を登場させたり、既存の設定を拡張した場合、それがラヴクラフト神話の範囲に含まれるかどうかは判断が難しい問題となります。山本弘は、ヘンリー・カットナーとC・L・ムーアの共作における事例を挙げてこの問題点を指摘しています。

ダーレス版のクトゥルフ神話では、「旧神」が邪悪な「旧支配者」を封印したという設定や、善悪二元論的な解釈、旧支配者と四大元素の関連などが追加されました。しかし、大瀧啓裕は、ラヴクラフトの原点は超越的な視点とリアリズムに基づくドキュメント的な恐怖であり、人間の無力さを強調するのに対し、ダーレス以降の神話では人間側の視点が強調されていると指摘しています。

ラヴクラフト神話の主要な要素

S・T・ヨシはラヴクラフト神話の主要な要素として、以下の4点を挙げています。

1. 宇宙主義（Cosmicism）： 人類の存在や歴史は宇宙全体から見れば取るに足らないものだという思想。
2. ニューイングランドの架空都市： アーカムなどが代表的な架空都市として描かれています。
3. 擬似神話的な神性： アザトースやヨグ＝ソトースといった強力な存在が描かれています。
4. 謎の魔道書： 『ネクロノミコン』などが象徴的な存在として登場します。

これらの要素はラヴクラフトの作品世界に一貫して見られるものですが、ラヴクラフト自身によって体系的に構築されたものではなく、創作活動の中で自然発生的に形成されたものです。

ドリームランドと神話の境界

ラヴクラフト作品の中でも、ドリームランドを舞台とした作品群は、ラヴクラフト神話に含めるべきかどうかが議論の的となります。東雅夫は、『クトゥルー神話事典』において、「固有の神格や魔道書がストーリーに密接に関わるもの」を神話と定義し、初期のドリームランド作品は除外しています。このように、ラヴクラフト神話と非神話の線引きは、解釈によって大きく変わる可能性があります。

ミシェル・ウェルベックによる「絶対的核心部」

フランスの作家ミシェル・ウェルベックは、エッセイ『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』において、「HPL神話の絶対的核心部」として以下の8作品を挙げています。

クトゥルフの呼び声
異次元の色彩
ダンウィッチの怪
闇に囁くもの
狂気の山脈にて
魔女の家の夢
インスマウスの影
時間からの影

これらの作品群は、ラヴクラフト神話の核心を理解する上で重要な手がかりとなるでしょう。

ラヴクラフト神話の解釈は多様であり、今後も議論が続くでしょう。しかし、その奥深さこそが、ラヴクラフト作品の魅力であり、読み手の想像力を掻き立てる要素となっています。

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