中井履軒

中井履軒：江戸時代後期の博識な儒学者

中井履軒（なかい りけん、1732年-1817年）は、江戸時代中後期に活躍した著名な儒学者です。名は積徳、字は処叔、通称を徳二といい、幽人という号も用いました。折衷学派に属し、特に懐徳堂学派の中心的存在として知られています。

懐徳堂での活躍と独自の学問

中井甃庵を父に持ち、兄は同じく著名な儒学者である中井竹山です。履軒は、若き日に五井蘭洲に師事し朱子学を学びました。兄とともに大坂の学問所、懐徳堂の全盛期を支え、同派最大の学問的業績を残したと評価されています。懐徳堂五代学主の地位に就いたものの、経営には関与せず、私塾である水哉館を設立し、そこで独自の研究を精力的に行いました。その水哉館は後に息子の柚園が継承しています。また、山片蟠桃ら後進の学者にも大きな影響を与えました。

履軒の号「履軒」は、『周易』の「履」卦の爻辞に由来します。「履道坦坦、幽人貞吉」という爻辞は、正しい道を歩む隠者であれば、穏やかで清廉な生き方ができ、幸福に到達できるという意味です。履軒は、この爻辞に自身の生き方を投影したのでしょう。

多様な学問分野への貢献

履軒は、経学を基盤としながらも、その研究対象は多岐に渡ります。古典注釈においては、『論語』『七経』など多数の著作に注釈を施し、それらを集成した『七経逢原』は代表作として知られています。『中庸』にも高い評価を与え、その研究成果を『中庸逢原』にまとめました。彼の著作に見られる「雕題」という語は、先行研究の欄外に注釈を付記することを意味し、その注釈をまとめあげることで独自の思想を構築する、履軒の学問方法をよく表しています。

経学に加え、天文学にも造詣が深かったことは特筆に値します。麻田剛立を水哉館に迎え、西洋天文学に関する知識を交換しました。『天経或問』の解説書である『天経或問雕題』を著し、独自の天体図も作成しています。宇宙モデルとしてはティコ・ブラーエの説を支持していました。

さらに、博物学にも興味を示し、『左九羅帖』（植物図譜）、『越俎弄筆』（解剖図）、『顕微鏡記』（顕微鏡観察記録）といった著作を残しています。また、古文書を用いて古代中国の衣服である深衣を復元し、『深衣図解』を著しました。

履軒の学問的探究心は、架空の理想国家「華胥国」を舞台とした『華胥国物語』にも見られます。この作品では、理想的な国家運営について考察しています。これらの多様な研究活動を通じて、履軒は懐徳堂学派に特有の合理主義的で近代的な学風を確立したと言えるでしょう。

主要著作

履軒の著作は多岐に渡り、以下に主なものを挙げます。

『華胥国物語』
『四茅議』（恤刑茅議・均田茅議・攘斥茅議・浚河茅議）
『通語』
『有間星』
『遺草合巻』
『越俎弄筆』
『華胥国新暦』
『顕微鏡記』
『史記雕題』
『中庸錯簡説』
『中庸懐徳堂定本』
『中庸断』
『中庸雕題』
『中庸雕題略』
『中庸天楽楼定本』
『中庸逢原』
『詩雕題』
『毛詩雕題附言』
『論語雕題』
『論語雕題略』
『論語逢原』
『荘子雕題』
『孟子雕題』
『孟子雕題略』

関連文献

履軒の生涯や業績に関する研究書は多数存在します。代表的なものとしては以下のものが挙げられます。

『中井竹山・中井履軒　叢書・日本の思想家24』（明徳出版社）
『中井履軒『周易逢原』と朱子『周易本義』』（汲古書院）
『懐徳堂とその人びと』（大阪大学出版会）
『懐徳堂事典』（大阪大学出版会）
『自由学問都市大坂 懐徳堂と日本的理性の誕生』（講談社選書メチエ）
『懐徳堂知識人の学問と生 生きることと知ること』（和泉書院）
『懐徳堂 18世紀日本の「徳」の諸相』（岩波書店）
『「見る科学」の歴史 懐徳堂・中井履軒の目』（大阪大学出版会）

これらの文献を参照することで、中井履軒の生涯と学問についてより深く理解することができます。

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