五経正義

『五経正義』：唐代経学の集大成とその後遺症

『五経正義』は、中国唐代の太宗皇帝の命により、孔穎達ら多くの学者が貞観年間から永徽年間にかけて編纂した、儒教経典である五経（『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』『春秋左氏伝』）の注釈書です。全180巻に及ぶ大規模な事業であり、唐代における経学研究の到達点を示す重要な文献と言えるでしょう。

経学史における位置づけ

中国の経学においては、魏晋南北朝時代には、経典本文に注釈を付すことが盛んでした。南北朝時代にはさらに、経典本文と注釈の両方に詳細な解説である「義疏」をつける形式が主流になります。しかし、南北朝時代は南北で用いられる注釈が異なり、経学の解釈にも違いが見られました。

太宗皇帝は、統一された経学体系を構築し、それまでの南北の学説の相違を解消することで、国家の統一と文化の統一を図ろうとしました。その意図の下、孔穎達を筆頭とする多くの学者たちが動員され、『五経正義』の編纂が始まりました。当初は『五経義賛』という名称でしたが、後に『五経正義』と改められました。

編纂作業は二段階で行われました。まず貞観12年から14年にかけて第一段階の編纂が行われ、その後、馬嘉運らによる批判を踏まえ、貞観16年に孔穎達を中心とした第二段階の編纂が行われました。この過程からも、当時の経学研究の活発さと、皇帝による強い後押しがあったことが窺えます。

採用した注釈と義疏

『五経正義』は、それまでの様々な注釈や義疏を参考に編纂されました。具体的にどの注釈や義疏を底本としたのかは、各経典ごとに異なり、複雑な経緯があります。それぞれの経典について、採用された注釈や義疏、その選定理由などを詳細に検討することで、『五経正義』の編纂思想をより深く理解することができるでしょう。

編纂者と顔師古

『五経正義』の編纂は孔穎達が中心となり、多くの学者が協力しました。各巻の序文には、編纂に関わった学者たちの名前が記載されています。しかし、顔師古という学者の関与については諸説あり、史料によって記述が異なっています。『貞観政要』や『旧唐書』孔穎達伝には顔師古の関与が示唆されていますが、『五経正義』の序文にはその名前が見当たりません。顔師古の実際の関与度合いについては、今後の更なる研究が必要でしょう。

後世への影響と評価

『五経正義』は国家事業として編纂された注釈書であるため、それまでの経学研究の成果を統合し、一つの基準を示したという点で、大きな意義を持っています。しかし、その一方で、科挙制度において『五経正義』の解釈が唯一の正解とされたことで、経学の発展が停滞したという批判もあります。また、他の注釈や義疏が廃れてしまったという事実も、無視できません。宋代には『十三経注疏』に収録されるなど、後世の経学研究にも大きな影響を与えましたが、その影響は必ずしもプラス面ばかりではありませんでした。

総じて、『五経正義』は唐代経学の集大成と言える重要な文献ですが、その編纂と普及が経学研究に与えた影響は、多面的かつ複雑であったと言えるでしょう。国家による学問の統一がもたらしたプラス面とマイナス面の両方を理解することで、歴史における学問の役割と国家権力の影響について、より深い考察を行うことができるでしょう。

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