制吐薬

制吐薬とは

制吐薬（せいとやく）とは、吐き気や嘔吐といった不快な症状を和らげる目的で使用される薬剤の総称です。制吐剤（せいとざい）や鎮吐薬（ちんとやく）とも呼ばれます。これらの薬剤は、乗り物酔いに伴う吐き気や、胃炎による嘔吐、さらにはがん化学療法によって引き起こされる激しい吐き気など、多様な原因による悪心・嘔吐に対して用いられます。

歴史的には、1940年代頃から乗り物酔いや妊娠中のつわり、そして抗がん剤治療の副作用対策として、制吐薬の研究開発が進められてきました。しかし、吐き気や嘔吐は体の異常を知らせる重要なサインであるため、その原因（原疾患）を特定し、根本的な治療を行うことが最も重要です。したがって、制吐薬の安易な使用は、原因の発見や適切な処置を遅らせる可能性があるため、注意が必要です。

作用のメカニズム

悪心や嘔吐は、脳にある「嘔吐中枢」が刺激されることによって引き起こされます。この嘔吐中枢を刺激する要因は多岐にわたります。

物理的・機械的な刺激としては、舌の奥を触る、胃腸が過度に膨らむ（食べ過ぎ、飲み過ぎ、腸閉塞など）、あるいは頭蓋内の圧力が上昇する（脳出血、脳腫瘍など）といったものが挙げられます。

化学的な刺激には、抗がん剤のような特定の薬剤や、妊娠（つわり）、腎不全、肝不全といった代謝異常による体内物質の変化があります。これらは、脳の特定部位にある「化学受容器引き金帯（CTZ）」を介して嘔吐中枢を刺激することがあります。

平衡感覚、視覚、嗅覚による刺激も嘔吐を引き起こします。乗り物の揺れによる平衡感覚の乱れ（乗り物酔い）、不快なものを見たり、嫌な匂いを嗅いだりすることも原因となります。

さらに、過去の嘔吐経験や強い嫌悪感といった精神的な要因も、大脳皮質などを経由して嘔吐中枢を刺激することが知られています。

これらの様々な刺激は、神経経路を通じて嘔吐中枢に伝えられます。制吐薬の多くは、この刺激伝達経路のどこかを遮断するか、あるいは嘔吐中枢そのものの感受性を調整することで、吐き気や嘔吐を抑制します。具体的には、神経伝達物質が結合する特定の受容体（例：Gタンパク質共役受容体やリガンド開口型イオンチャネル）の働きを阻害したり、逆に活性化させたりすることで効果を発揮します。

具体的な薬剤とその働き

制吐薬には、作用する標的となる受容体の種類によって様々なタイプがあります。

H1受容体拮抗薬: 脳内のH1受容体の働きを抑え、主に乗り物酔いやつわり、術後の悪心・嘔吐に使われます。ジフェンヒドラミンなどが含まれます。
ムスカリン受容体拮抗薬（抗コリン薬）: 平衡感覚に関わる神経や嘔吐中枢にあるムスカリン受容体をブロックし、乗り物酔いや術後に有効です。スコポラミンなどが代表的です。
D2受容体拮抗薬: 化学受容器引き金帯（CTZ）にあるD2受容体の働きを抑えることで効果を発揮します。がん化学療法や放射線療法、術後、消化器の不調など様々な状況で使われます。メトクロプラミドやドンペリドンなどがあります。
5-HT3受容体拮抗薬: 消化管などに分布する5-HT3受容体を遮断し、特に抗がん剤や放射線療法による悪心・嘔吐（CINV）に広く用いられます。オンダンセトロンやグラニセトロンなどがあります。
NK1受容体拮抗薬: 脳幹や消化管の神経末端にあるNK1受容体をブロックし、CINVや術後の悪心・嘔吐に有効性が認められています。アプレピタントなどがこのタイプです。
CB1受容体作動薬: 特定の脳領域にあるCB1受容体を活性化させることで嘔吐を抑えます。ドロナビノール（カンナビノイド）はCINVに対して一部の国で承認されています。
合成副腎皮質ホルモン剤（ステロイド）: 詳しい作用機序は完全には解明されていませんが、CINVや放射線療法後、術後の悪心・嘔吐に対して臨床的に高い効果が確認されており、よく併用されます。デキサメタゾンなどが使われます。
GABAA受容体作動薬: 不安を和らげることで、精神的な要因による悪心・嘔吐に効果を示すことがあります。ベンゾジアゼピン系の薬剤（ロラゼパムなど）が用いられます。

これらの薬剤は、悪心・嘔吐の原因や程度、患者さんの状態に応じて単独または組み合わせて使用されます。例えば、抗がん剤治療に伴う悪心・嘔吐では、薬剤の催吐性の高さに基づいて、数種類の制吐薬を併用することが標準的です。

様々な状況での使われ方

制吐薬は、以下のような様々な状況で使用されます。

乗り物酔い: バランス感覚の乱れによる吐き気に、抗ヒスタミン薬や抗コリン薬が主に使われます。
つわり: 妊娠初期の悪心・嘔吐です。日本では重症の場合に限って薬物療法が検討されることが一般的ですが、海外では安全性が確認された特定の薬剤（コハク酸ドキシラミン/塩酸ピリドキシン配合剤など）が軽症から使用されることもあり、日本でも承認要望が出ています。
がん治療: 抗がん剤や放射線治療は強い吐き気を引き起こすことが多く、様々な種類の制吐薬を組み合わせることで、症状を強力に抑える治療（支持療法）が行われます。
術後: 手術や麻酔の影響で生じる悪心・嘔吐（PONV）に対しても、患者さんのリスク因子などを考慮して適切な制吐薬が選択されます。
* 緩和ケア: がんなど、重い病気による症状緩和目的でも、吐き気や嘔吐を和らげるために制吐薬が用いられます。

また、制吐薬は飲み薬だけでなく、注射薬、座薬、貼り薬など、様々な剤形があります。

その他の方法

薬物療法以外にも、悪心・嘔吐の緩和に有効とされる方法があります。例えば、手首の「内関（ないかん）」と呼ばれるツボへの刺激（鍼や指圧、リストバンドなど）は、特に術後の悪心・嘔吐に効果があることが報告されています。また、生姜も制吐作用を持つ成分が含まれており、古くから利用されてきました。スペアミントやペパーミントなども同様の効果が示唆されています。

悪心・嘔吐のメカニズムにはまだ完全に解明されていない部分も多く、今後も研究が進められることで、より効果的で安全な制吐法が開発されることが期待されています。

もう一度検索