夔

夔（き）とは

夔（き）は、中国神話に登場する神、獣、人物、または妖怪とされる存在です。夔牛（きぎゅう）とも呼ばれます。古い伝承では一本足であるとされ、音楽と深い関わりを持つとされていますが、その姿や役割は時代や地域によって大きく異なっています。

中国における夔

起源

夔は、元々は殷代に信仰された神であり、夔龍（きりゅう）と呼ばれる龍神の一種でした。一本足の龍の姿で表され、鳳（ほう）と共に銅鏡などに刻まれていました。鳳がモンスーンを神格化した降雨の神であったように、夔龍もまた降雨に関わる自然神であったと考えられています。後に一本足の牛の姿で表されるようになったのは、牛が雨乞いの儀式で龍神に捧げられる犠牲獣であったためとされています。また、一本足は天から地上へ落ちる雷を表すという説もあります。

神話の中の夔

『山海経』によれば、夔は東海にある流波山の頂上に住む動物です。その姿は牛に似ていますが、角がなく、足は一本しかありません。体色は青く、水に出入りする際には必ず風雨を伴い、その光は太陽や月のように強く、声は雷のようです。黄帝が夔を捕らえてその皮で太鼓を作ったという伝説があり、この太鼓を雷獣の骨で叩くと、その音は五百里まで響き渡ったとされています。この太鼓は、黄帝が蚩尤（しゆう）と戦った際に使用したとも伝えられています。

夔は、『説文解字』では「竜のような姿で角がある」と解説されていますが、『白沢図』では「鼓のようで一本足である」と記述されており、文献によってその描写は異なります。

妖怪としての夔

『国語』の注釈によると、夔は一本足で、越地方では山繰（やまぐり）と呼ばれており、人間の顔と猿の体を持つ人語を解する動物であるとされています。また、『史記』では、夔は木や石の怪であり、魍魎（もうりょう）と同一視されています。

人間としての夔

『書経』では、夔は舜帝の配下である人間で、音楽を司るように命じられたとされています。夔は「私が石を高く低く打てば、百獣がそれに従って舞うでしょう」と語ったと伝えられています。『春秋左氏伝』には「后夔」という人物名が確認できます。

『韓非子』では、夔が一本足であるかどうかについて議論が行われています。孔子は「夔は一本足ではない。夔は性格が悪く人々は何も喜ばなかったが、正直であったために誰からも害されなかった。この一つで足りるから一足というのである」と答えたとされています。また、夔が音楽の才能だけが突出していたため、堯帝が「夔は一で足りる」と言ったという説もあります。

『呉越春秋』では、禹（う）が四瀆（しとく、長江、黄河、済水、淮水のこと）を巡行した際に、伯益（はくえき）と共にその手伝いをしたとされています。

日本における夔

山梨県笛吹市には、山梨岡神社に一本足の神像が伝わっており、「山海経」に登場する夔の像として信仰されています。この神像は、10年に一度（現在では7年に一度）4月4日に開帳され、雷除けや魔除けの神として信仰されています。

この夔神像に関する記録は、荻生徂徠（おぎゅう そらい）の『峡中紀行』が初出とされています。荻生徂徠は、甲府藩主・柳沢吉保の家臣として甲斐を遊歴した際、山梨岡神社に伝わる木像を「夔」と比定しました。以来、夔神（きのかみ）としての信仰が広まったと考えられています。夔神の来由を記した『鎮目村山梨岡神社夔神来由記』によると、江戸後期には、夔神像は天正年間に織田信長軍が山梨岡神社に乱入した際に疫病で祟ったという霊験譚が成立しています。夔神信仰は、江戸後期の社会不安から生じた妖怪ブームにも乗り、神札が大量に流通し、江戸城大奥へも献上されました。

明治初期には、山中共古（やまなかともふる）の『甲斐の落葉』で、夔神像は欠損した狛犬の像が「山海経」の「夔」と結びつけられたものだと紹介されました。

山梨県では、山の神に対する信仰や雨乞い習俗、雷信仰などの山に関する信仰や、神体が一本脚であるという伝承のある道祖神信仰が広く存在しており、夔神信仰が受け入れられる背景となっていたと考えられています。

また、『古事記』に登場する一本足の神である久延毘古（くえびこ）の「クエ」という音が、夔の古代中国での発音と似ていることから、関連性が指摘されています。水木しげるは、日本の一本足の妖怪である「一本だたら」や「山爺（やまちち）」と夔の類似性を指摘しています。

このように、夔は中国神話から日本へと伝わり、多様な姿で語り継がれている興味深い存在です。

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