東洋キネマ

東洋キネマは、大正から昭和にかけて日本の映画文化の一翼を担った映画館です。1922年 1月1日に東京市神田区神保町（現在の東京都千代田区神田神保町）で華々しく開業し、1970年代に閉館するまでの約半世紀以上にわたり、多くの映画ファンに親しまれました。特に、閉館後も1992年に建物が解体されるまで、その戦前に建設された建築物が地域に根差した存在として記憶されています。

開業と初期

東洋キネマは、1921年 12月31日の新聞広告で告知され、翌日の1922年元日に正式にオープンしました。開業初日には、著名な活動弁士である徳川夢声が解説を務め、ハタノ・オーケストラの生演奏が彩りを添えました。上映作品は、大正活映が以前製作した作品や洋画などがプログラムされました。

当初は主に洋画を中心に上映していましたが、開業時の縁もあり、日本の映画作品も積極的に扱いました。ヘンリー小谷が設立した製作会社や、栗原トーマス監督による『続アマチュア倶楽部』が1923年4月13日に封切上映されたことなどがその例です。この頃には、徳川夢声に加え、松井翠声や大辻司郎といった名だたる弁士たちが解説陣に加わり、観客を魅了しました。

関東大震災とその後の再建

東洋キネマは、開業時には本邦初の耐震耐火鉄筋コンクリート造りの常設映画館として鳴り物入りで開館しました。しかし、1923年9月1日に関東大震災が発生すると、自慢の建物はあっけなく倒壊してしまいます。幸いにも、映画館内部で犠牲者は出ませんでしたが、外壁が四方に崩れ落ちたため、周囲では多くの命が失われるという悲劇が起こりました。

震災後、東洋キネマで活躍していた弁士の徳川夢声やハタノ・オーケストラは、わずか2ヶ月後に再開した目黒キネマに移籍しました。目黒キネマは、同じく震災で焼け残った新宿武蔵野館と共に、驚異的な観客動員数を記録します。これに刺激を受けた東洋キネマ側も再建を急ぎ、同年12月25日にはバラック建築ながら営業を再開しました。しかし、建物の倒壊によって被害を受けた近隣住民からの反発は根強く、しばらくは苦難が続きました。

再開後、東洋キネマはユナイテッド・アーティスツやパラマウント映画といった既存の配給会社に加え、フォックス・フィルム極東支社の特約封切館となります。また、日本映画の上映も継続され、1924年には東亜キネマ製作の『ロビンフットの夢』や、映画芸術協会製作の『自然は裁く』といった作品が封切り公開されています。

新築、経営、そして労働争議

震災から数年を経て、1928年には根津の芙蓉館を手掛けた小湊健二の設計による新たな建物が完成しました。その後、高柳淳之助の配下であった小林兵庫が経営を引き継ぎます。小林は神田駿河台に邸宅を構え、映画館近くの神保町2丁目には従業員向けの居住施設「東キネ寮」を設置するなど、経営の安定化を図りました。

しかし、1934年2月6日に活動弁士の村田嘉楽が解雇されたことをきっかけに、同月10日には従業員による争議が発生します。従業員側には日本労働同盟東京連合会が支援に入り、問題は拡がりましたが、最終的には2月21日に村田弁士の復職という形で争議は解決に至りました。

戦災からの生存と建物の歴史

東洋キネマの建物は、第二次世界大戦の戦災を奇跡的に免れました。映画館としての営業は1970年代に幕を閉じましたが、閉館後も建物自体は他の用途で利用され続け、長きにわたりその姿をとどめました。最終的に、この歴史ある建物が解体されたのは1992年7月のことです。

建築史家の藤森照信は、東洋キネマの建物について、日本に現存する唯一のダダイスム建築ではないかと指摘するなど、その建築様式にも注目が集まりました。また、従業員寮であった「東キネ寮」は、場所は変わりましたが、現在も「さいかち坂」沿いにその名残をとどめているとされています。

文学作品への登場

東洋キネマは、その存在感がゆえに、多くの文学者たちの日常や作品に登場しました。徳田秋聲の『病める日輪』、高見順の『続高見順日記』、山本夏彦の『冷暖房ナシ』、野上弥生子の『野上弥生子日記』、内田百閒の『百鬼園日記帖』など、様々な作家の日記や小説に、東洋キネマで映画を鑑賞した際の記述が見られます。この他にも、寺田寅彦、尾崎一雄、宮本百合子、阿部昭といった著名な文学者たちの記録にも、その名が登場しています。

また、地価バブル期における神保町界隈、特に東洋キネマを含む地域の地上げの様子が、宮崎学の著書『突破者それから』（後に『地上げ屋突破者それから』と改題）の中で詳しく描かれており、映画館が閉館後の社会的な変動の中でどのように位置づけられていたかを知る資料となっています。

このように、東洋キネマは単なる映画館という枠を超え、震災や労働争議、建築様式、そして多くの文学者たちの営みとも深く関わりながら、神田神保町という街の歴史の中にその足跡を残しました。その建物が解体されて久しいですが、関連する場所や文学作品を通じて、その記憶は語り継がれています。

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