枢機卿ピエトロ・ベンボの肖像 (ティツィアーノ)

枢機卿ピエトロ・ベンボの肖像

『枢機卿ピエトロ・ベンボの肖像』は、盛期ルネサンスの巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1539年から1540年にかけて制作した油彩の肖像画です。この作品は、ヴェネツィア出身の人文主義者であり、美術収集家としても知られた枢機卿ピエトロ・ベンボを描いたもので、彼の枢機卿昇任を記念して制作されたと考えられています。現在はワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートに所蔵されています。

人物：ピエトロ・ベンボ

ピエトロ・ベンボは、ルネサンス期のイタリアを代表する学者であり作家でした。ヴェネツィアの貴族として生まれた彼は、幼少期から学問に励み、メッシーナでギリシア語を、パドヴァ大学で哲学を学びました。青年時代には、ルクレツィア・ボルジアやマリア・サヴォルニャンとの恋愛で知られています。1506年にはウルビーノの宮廷に仕え、1512年にはローマ教皇レオ10世に招かれてローマへ移りました。教皇秘書官を務めた後、1538年に枢機卿に任命されました。ベンボは、文学理論や古典の研究に生涯を捧げ、ラテン語と並んでイタリア語の重要性を提唱しました。

制作背景

ベンボは、古代の美術品や同時代の絵画に深い関心を抱いており、パドヴァ滞在中に優れたコレクションを形成しました。彼の友人である美術史家マルカントニオ・ミキエルは、1530年頃にベンボのコレクションについて解説しており、その多くはベンボ自身の審美眼によって集められたものとされています。また、ジョルジョ・ヴァザーリは、ティツィアーノが1512年以前にベンボの肖像画を制作したと述べています。ティツィアーノは、1523年の作品『教皇アレクサンデル3世の前に跪く皇帝フリードリヒ・バルバロッサ』にもベンボの姿を描いています。

作品詳細

ティツィアーノは、69歳を迎えたベンボの生気に満ちた姿を描いています。枢機卿の赤いローブとビレッタ帽を身につけ、左を見つめながら、右手を掌を上に向けています。その表情は知的で鋭く、修辞学や討論を連想させるポーズをとっています。このポーズは、古代ローマの修辞学者クインティリアヌスが推奨した演説の開始時の身振りに対応しています。一方、ナポリのカポディモンテ美術館に所蔵されているバージョンは、より瞑想的な印象を与えます。

帰属やモデルについては議論の余地はなく、ベンボの特徴的な長い鷲鼻は、1532年にヴァレリオ・ベッリが制作したメダルにも正確に描かれています。

制作年代

肖像画は、ベンボが枢機卿に昇任した1539年3月から、ローマへ出発する1540年5月30日までの間に制作されたと考えられています。1540年5月30日のベンボの手紙からは、ティツィアーノがこの時期に複数の肖像画を制作したことが示唆されます。ベンボは、ティツィアーノに「2番目の肖像画」を贈られたことに感謝しており、報酬の代わりに別の方法で返礼しようと考えていたと述べています。この手紙から、少なくとも2枚の肖像画が制作されたことがわかります。

美術史家デイビット・アラン・ブラウンは、「2番目の肖像画」は1539年3月から10月までの間に制作されたと推測しています。しかし、カポディモンテ美術館やプラド美術館にもベンボの肖像画が存在するため、どの肖像画がベンボの手紙に言及されているのかは不明確です。

カポディモンテ美術館のバージョンは、明らかに本作品よりも年老いたベンボが描かれており、1545年頃の作品と考えられています。一方、マッテオ・マンチーニは、プラド美術館のバージョンが、現在失われているティツィアーノの「最初の肖像画」の正確な複製であるとしています。この肖像画では、ベンボはマルタ騎士団のローブを身につけていますが、構図や顔立ちはワシントン版と一致しています。

これらの分析から、本作品は「2番目の肖像画」であり、ティツィアーノは「最初の肖像画」をベースに、枢機卿のローブを身につけさせて制作したと考えられます。また、ベンボが「肖像画を受け取ったばかりである」と述べていることから、ティツィアーノはベンボがローマへ出発した後、本人に会うことなく制作し、1540年5月までにベンボに届けたと推測されます。

髭の描写

ベンボの髭の描写は、「最初の肖像画」と「2番目の肖像画」が1538年から1540年の短期間に制作されたことを裏付ける証拠となります。1532年のベッリのメダルではベンボは髭を剃っていましたが、1536年の手紙でベンボは髭を蓄えていたことがわかります。一方、チェッリーニは、1537年にベンボを訪問した際、ベンボが「ヴェネツィア風に」髭を短くしていたと述べています。1542年のモザイク肖像画では、ベンボの髭は胸に達しており、1545年頃の肖像画ではさらに長くなっています。このことから、「最初の肖像画」と「2番目の肖像画」は、ベンボの髭の長さが変化した時期に制作されたと考えられます。

来歴

肖像画は、ベンボの死後、息子のトルクアート・ベンボに相続され、その後、数人の所有者を経て、17世紀に枢機卿アントニオ・バルベリーニによって購入されました。バルベリーニ家のコレクションに加わった後、1905年にニューヨークの美術商コルナギとノードラー商会によって購入され、実業家チャールズ・シュワブに売却されました。シュワブの死後、1942年にスティーブン・ピシェットがサミュエル・H・クレス財団のために購入し、1952年にナショナル・ギャラリー・オブ・アートに寄贈されました。

脚注

[1] 『西洋絵画作品名辞典』 黒江光彦監修、三省堂（1994年）

外部リンク

ナショナル・ギャラリー・オブ・アート公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『枢機卿ピエトロ・ベンボの肖像』

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