河合栄治郎事件

河合栄治郎事件：戦時下の思想弾圧

河合栄治郎事件は、1938年から1943年にかけて、東京帝国大学経済学部教授の河合栄治郎が、右翼、軍部、ファシズム勢力によって社会的に抹殺されようとした思想弾圧事件です。この事件は、当時の日本における言論の自由が著しく制限されていた状況を象徴する出来事として、歴史に深く刻まれています。

事件の概要

河合栄治郎事件は、広義には河合の著書発禁から、大学からの追放、裁判闘争までを含みます。狭義には、最初の著書発禁を指します。

事件の発端

1930年代、満州事変、五・一五事件、二・二六事件など、軍部やファシズム勢力が台頭する中で、自由主義者であった河合栄治郎は、これらの動きを批判する論陣を張りました。特に、「五・一五事件の批判」「二・二六事件の批判」などの著書は、ファシズムを強く批判する内容でした。これに対し、右翼の蓑田胸喜や三井甲之らは、河合を「赤化教授」「人民戦線思想家」と攻撃し、大学当局に河合の罷免を要求しました。

著書発禁

右翼の圧力は大学に留まらず、政府や軍部にも及びました。1938年2月、内務省は、河合の著書である『ファッシズム批判』『時局と自由主義』『社会政策原理』『第二学生生活』の4冊を発禁処分としました。これは、政府が言論の自由を著しく制限し始めたことを示す、重大な出来事でした。

平賀粛学

1938年11月、文部省は東京帝国大学の佐藤総長代理を呼び出し、河合に辞職を勧告するよう要求しました。これを受けて、経済学部では、河合を支持するグループ（純理派）と、河合に敵対するグループ（革新派）の対立が激化し、学部運営が膠着状態に陥りました。その結果、1939年1月には河合が、2月には革新派のリーダーである土方成美が休職処分となりました。この処分に対し、両派の学生や同調者が抗議のために大量に辞職し、大学を揺るがす大事件（平賀粛学）となりました。

裁判闘争

河合は、著書の発禁が不当であるとして、出版社社長とともに1939年2月に起訴されました。裁判では、河合は社会派弁護士の海野普吉や、弟子の木村健康の協力を得て、自身の無罪を主張しました。東京地裁では石坂修一裁判長の判決で無罪となりました。しかし、1941年4月からの東京高裁では一転して有罪となり、罰金300円の判決が下りました。その後、最高裁で棄却され、1943年春に刑が確定しました。

河合事件の意義

河合栄治郎事件は、右翼や軍部、ファシズム勢力が台頭する中で、マルクス主義だけでなく自由主義も弾圧の対象となったことを示す事件です。この事件は、矢内原事件、津田左右吉事件と並び、当時の思想弾圧事件の中でも特に大きな社会的な衝撃を与えました。河合事件は、日本が戦争に突入していく時代を象徴する出来事であり、言論の自由が大きく制限された時代を物語っています。

河合は裁判などでの過労が重なり、判決確定の翌年に病死しました。河合事件は、河合の寿命を縮めることになったと言えますが、それは、河合がファシズム批判を貫き、その弾圧に屈しなかったことを物語っています。

参考文献

河合栄治郎『自由に死す――河合栄治郎法廷闘争記』中央公論社、1950年
土方成美『学界春秋記』中央経済社、1960年
海野普吉述、潮見俊隆編『ある弁護士の歩み』日本評論社、1968年
木村健康編「裁判記録」『河合栄治郎全集』第21巻、社会思想社、1969年
許世楷「河合栄治郎事件――自由主義者の受けた思想弾圧」『日本政治裁判史録　昭和・後』第一法規、1970年
木村健康『東大・嵐の中の四十年』春秋社、1970年
扇谷正造『カイコだけが絹を吐く』雷鳥社、1970年
明石博隆、松浦総三編『知識人にたいする弾圧上』昭和特高弾圧史第1巻、太平出版社、1975年
「河合教授問題の発生及経過に関する調査」『思想統制』現代史資料第42巻、みすず書房、1976年
ねず・まさし『現代史の断面・ノモンハンの惨敗』校倉書房、1993年
竹内洋『大学という病――東大紛擾と教授群像』中公叢書、2001年
立花隆『天皇と東大――大日本帝国の生と死』下、文藝春秋、2005年

関連項目

河合栄治郎
ファシズム批判
思想弾圧
平賀粛学
* 海野普吉

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