覆面オーケストラ

覆面オーケストラ（ふくめんオーケストラ）とは、主にレコードやCDなどの録音媒体において、演奏している楽団の本来の正式名称ではなく、別の名称や匿名的な名称が記載され、その実体が伏せられているオーケストラの通称です。

覆面オーケストラが生まれる背景にはいくつかの理由があります。一つは、特定の録音のためだけに様々な演奏家を集めて一時的に編成されたアンサンブルである場合。もう一つは、既存のオーケストラが音楽会社との契約関係など、様々な事情から正式名称を公表できず、変名を使用する場合です。
いずれの場合も、その名称での活動は基本的に録音のみに限られ、公開の演奏会が行われることはありません。

代表的な覆面オーケストラ

過去から現在に至るまで、様々な覆面オーケストラが存在します。特にアメリカの主要レコード会社であるコロンビア・レコードやRCAビクターの録音において、多くの事例が見られます。

コロンビア交響楽団

米コロンビア・レコード社とその関連会社が録音用に編成したオーケストラです。その実体は、録音が行われた地域によって異なるとされています。

ハリウッドでの録音: ブルーノ・ワルターやイーゴリ・ストラヴィンスキーが指揮した録音にクレジットされています。特にワルターが晩年にステレオ録音を残したことで名高いこのオーケストラの実体は、ハリウッドの映画音楽家たちが集まって活動していたグレンデール交響楽団の変名であるという説や、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーにハリウッドのスタジオ奏者を加えたとする説などがあります。
ニューヨークでの録音: 1950年代から60年代にかけて、コロンビア・レコードの関連会社によってニューヨークで編成された録音用オーケストラは、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、NBC交響楽団などのメンバーをフリーランスとして雇用したものでした。ストラヴィンスキーが自身の作品を指揮したニューヨークでの録音もこれに該当します。ただし、ブルーノ・ワルター指揮のベートーヴェン交響曲第9番の一部や「コリオラン」序曲の録音では、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団そのものが変名として使用された例外的なケースも存在します。
クリーヴランドでの録音: ジョージ・セルが指揮したコロンビア交響楽団の録音は、セルが音楽監督を務めていたクリーヴランド管弦楽団の変名であると考えられています。

RCAビクター交響楽団ほか

米RCAレコードの録音用オーケストラにも複数の変遷があります。

RCAビクターの前身であるビクタートーキングマシン社時代には、ナット・シルクレットの指揮のもと、ストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽団のメンバーを主体とした録音用オーケストラが存在しました。これがRCAに買収された後、RCAビクター管弦楽団と呼ばれるようになりますが、フィラデルフィア管弦楽団が他社と専属契約を結んだため消滅します。
その後、ニューヨークで新たな録音専門のオーケストラとしてRCAビクター交響楽団（またはRCA交響楽団）が編成されました。これはニューヨークの主要オーケストラの選抜メンバーで構成されたとされ、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の変名であった可能性も指摘されています。フリッツ・ライナーが事実上の音楽監督として指揮した録音群は特に有名で、ウラディミール・ホロヴィッツとの共演盤などが知られています。ライナー以外にも、レオポルド・ストコフスキーやヨーゼフ・クリップス、キリル・コンドラシン、レナード・バーンスタインなどの指揮者による録音も多く残されており、コンドラシンがヴァン・クライバーンと共演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番などは著名な例です。RCAはカリフォルニア州でも録音を行っており、そこでのRCAビクター交響楽団はニューヨークのものとは異なり、ハリウッドのスタジオ奏者などによる編成であったと推定されています。
オペラの全曲録音においては、RCA管弦楽団やRCAビクター管弦楽団という名称が使用されましたが、これは契約上の都合による変名で、実際にはメトロポリタン歌劇場管弦楽団であったと考えられています。ライナー指揮によるビゼーの「カルメン」などが代表例です。
1960年代にローマで行われたイタリア・オペラ録音では、RCAイタリアーナ管弦楽団などがクレジットされ、これはローマ歌劇場管弦楽団の変名であったといわれています。

その他の事例

フィラデルフィア・ロビンフッド・デル管弦楽団は、フィラデルフィア管弦楽団の変名で、夏季に「ロビンフッド・デル」という野外会場で行われる音楽祭に由来する名称です。
キャピトル・レコードでは、ハリウッド・ボウル交響楽団やキャピトル交響楽団などの名称が使われ、これは主にグレンデール交響楽団の実体であったとされています。
エヴェレスト・レコードの録音に登場するニューヨーク・スタジアム交響楽団は、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の変名と考えられています。
指揮者ストコフスキーは、自身の録音で「彼の交響楽団」や「ストコフスキー交響楽団」という名称を使用しており、これもニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の変名である可能性が指摘されています。
指揮者ルネ・レイボヴィッツの録音に登場するパリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団などは、パリ音楽院管弦楽団の変名であったとする説や、実体不明な臨時編成オーケストラであったとする説があります。
ウェストミンスター・レコードが使用したウィーン国立歌劇場管弦楽団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体とは異なる、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の変名であると考えられています。
フリッツ・ライナーの晩年の録音に「交響楽団」とだけクレジットされたオーケストラは、メトロポリタン歌劇場やニューヨーク・フィルなど、複数のオーケストラから選抜された名手たちによる臨時編成であることが判明しています。

架空または特殊な事例

近年では、漫画「のだめカンタービレ」に関連して発売されたCDに「千秋真一指揮R☆Sオーケストラ」がクレジットされましたが、これは架空の指揮者とそれに合わせて作られた覆面オーケストラであり、実体は公表されていません。
また、指揮者マクシミアンノ・コブラが使用するヨーロッパ・フィルハーモニアなどの名称は、当初は実在のオーケストラであった可能性もありますが、後にシンセサイザーによる電子録音に付けられた名称であり、ウィーン・シンフォニー・ライブラリーというクレジットも、オーケストラではなく音源販売会社の名称であったことが明らかになっています。

覆面オーケストラの母体となった楽団

多くの覆面オーケトラの実体となった楽団の中で特に知られているのが、グレンデール交響楽団です。これは、ハリウッドの映画音楽家たちがクラシック音楽の演奏のために自主的に結成した団体で、カーメン・ドラゴンらが指導にあたりました。ブルーノ・ワルターやイーゴリ・ストラヴィンスキーが指揮したコロンビア交響楽団のハリウッド録音や、キャピトル・レコードでの録音の際にハリウッド・ボウル交響楽団など別の名称でクレジットされており、正式名称での録音はほとんどないという特徴を持ちます。

類似した概念との違い

「覆面オーケストラ」と類似する概念に、既存オーケストラの別名使用や、特定の目的のための臨時編成オーケストラがあります。しかし、これらの楽団が演奏会を公式に行ったり、その実体やメンバー構成が公表されていたりする場合は、通常覆面オーケストラとは区別されます。

また、幽霊オーケストラと呼ばれる概念もあります。これは覆面オーケストラを包含する広い概念とされることもありますが、幽霊オーケトラの中には、既存の録音を無断で複製し、架空の楽団名を付けて販売するといった不正な行為が含まれる場合があり、正規の契約に基づく活動である覆面オーケストラとは根本的に異なります。

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