1989年の文学

1989年の文学界：平成の幕開けと多様な才能のきらめき

1989年（平成元年）は、元号が昭和から平成へと移り変わる、日本にとって大きな節目の年でした。文学界においても、新しい時代の到来を予感させるような活気と、偉大な才能の喪失が交錯する一年となりました。

吉本ばななの時代到来

この年の文学シーンを語る上で、吉本ばななの活躍は特筆に値します。3月に中央公論社から刊行された小説『TUGUMI』は、発表されるやいなや幅広い層の読者に支持され、年間ベストセラーの総合第1位という驚異的な記録を打ち立てました。さらに、この作品は第2回山本周五郎賞を受賞し、その評価を確固たるものとしました。

吉本ばななの人気はこれに留まりません。7月に福武書店から発表された作品集『白河夜船』も年間ベストセラーで総合第5位となり、続く9月には初の随筆集『パイナツプリン』（角川書店）も年間ベストセラー総合第12位にランクイン。短期間に複数の作品がベストセラーリストの上位を占めるという現象は、彼女がまさに時代の寵児となったことを明確に示しています。

文学賞の動向

年の前半には、第100回という記念すべき芥川龍之介賞・直木三十五賞（1988年下半期）の選考会が1月に行われました。芥川賞には南木佳士氏の『ダイヤモンドダスト』と李良枝氏の『由煕』が、直木賞には杉本章子氏の『東京新大橋雨中図』と藤堂志津子氏の『熟れてゆく夏』がそれぞれ選ばれました。多様な作風の作家たちが記念すべき回を彩りました。

夏には第101回（1989年上半期）の選考が行われましたが、芥川賞は残念ながら「該当作なし」という結果に終わりました。一方、直木賞はねじめ正一氏の『高円寺純情商店街』と笹倉明氏の『遠い国からの殺人者』が受賞しました。

その他の主要な国内文学賞では、谷崎潤一郎賞（第25回）も「該当作なし」でした。泉鏡花文学賞（第17回）は石和鷹氏の『野分酒場』と北原亞以子氏の『深川澪通り木戸番小屋』に、野間文芸新人賞（第11回）は伊井直行氏の『さして重要でない一日』に贈られました。また、群像新人文学賞（第32回）も「該当作なし」でしたが、海燕新人文学賞（第8回）からは木下文緒氏の『レプリカント・パレード』と石黒達昌氏の『最終上映』という新たな才能が登場しました。

この年に生まれた作品たち

ベストセラーとなった吉本ばななの諸作品のほかにも、1989年には記憶に残る多くの書籍が世に送り出されました。小説の分野では、小川洋子氏の『完璧な病室』や佐藤泰志氏の『そこのみにて光輝く』といった、後の評価に繋がる作家たちの初期作品が発表されました。また、関川夏央氏の『水の中の八月』、藤沢周平氏の時代小説『市塵』なども刊行され、幅広いジャンルの作品が読者を惹きつけました。

小説以外の分野では、澤口たまみ氏の『虫のつぶやき聞こえたよ』、高島俊男氏の『中国の大盗賊』、村上春樹氏のエッセイ集『村上朝日堂はいほー！』、養老孟司氏の『唯脳論』など、多様な関心に応える書籍が登場しました。

文壇を去った巨星たち

1989年は、文学界にとって多くの偉大な才能との別れがあった年でもあります。国内外で、影響力の大きな作家たちが惜しまれつつこの世を去りました。

日本からは、漫画の神様として世界的に影響を与えた手塚治虫氏（60歳没）、戦後文学の旗手として活躍した開高健氏（58歳没）、そして色川武大氏（60歳没）や脚本家・小説家として知られた隆慶一郎氏（66歳没）、詩人・歌人の赤木健介氏（82歳没）が逝去しました。

海外に目を向けると、『モルグ街の殺人』など推理小説の父として知られるジョルジュ・シムノン氏（86歳没、ベルギー出身）、ピューリッツァー賞受賞作家のロバート・ペン・ウォーレン氏（84歳没、米国）、劇作家・小説家でノーベル文学賞を受賞したサミュエル・ベケット氏（83歳没、アイルランド出身）、そしてブルース・チャトウィン氏（48歳没、英国）、バーバラ・タックマン氏（77歳没、米国）、マルカム・カウリー氏（90歳没、米国）、ダフニ・デュ・モーリエ氏（81歳没、英国）、メアリー・マッカーシー氏（77歳没、米国）といった、錚々たる顔ぶれの作家たちが永眠しました。特にベケットの死去は、世界中の文学ファンに衝撃を与えました。

新しい時代が幕を開ける中で、多くの才能が生まれ、そして多くの偉大な作家たちが去っていった1989年は、日本文学史においても記憶されるべき一年と言えるでしょう。

もう一度検索